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2015年11月19日21:42

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桜の園

今年拝観した鵜山君の演出作品10本目は新国立劇場新シーズンオープニングの
チェーホフ作「桜の園」です
恥ずかしながら「桜の園」も、そもそもチェーホフを観るのは初めてです
しかし意外なことに鵜山君にとっても初めてのチェーホフだそうです
新国立劇場でも2度目の公演(初回は日本を舞台とした翻案もの)で、文学座も
過去に杉村春子主演で1度だけということですから、恥でもないのかな

神西清訳によるということだったので、事前に新潮文庫を買い求め読みましたが
どうもピンと来ない
もう一度読み返して、どうやらそれぞれの人物が滑稽なキャラの、喜劇らしい

チェーホフを観るのは初めてと書きましたが、実は過去に「題名のない音楽会」で
西村晃がゲストの時、彼の演じるチェーホフの寸劇というのを観たことがあります
これはいたく気に入り、学生時代に飲み会の時の余興にパクらせていただきました
チェーホフにはヴォードヴィル用のこうした寸劇がいくつもあるようです

桜の園も各登場人物を寸劇にあてこんでいるのかな、というのが2度目に読んだ感想でした

しかし、戯曲を文字で読んだのでは、容貌も声も、話し方もなにもわからない
かろうじて主人公のラネーフスカヤ夫人を東山千栄子が演じたという知識だけで
なんとなくおっとりとした老婦人をイメージしていたのですが、それは東京物語のときの
彼女であって、ラネーフスカヤを演じたのはまだ30代だったのですね

今回は田中裕子が演じるということで若いなと思いましたが、彼女も今年還暦ですから
勝手な思い込みは禁物です(東山千栄子の方がはるかに若い)
ということで今度の舞台は、いかに自分が読み込み不足であったかということを
思い知らされました

まず、冒頭で柄本佑演じるロパーヒンが、猛烈なスピードでよどみなくセリフを
はじき出すのにビックリ
これはいつもの鵜山調ではないなと、椅子に座り直しました
その後もロパーヒンは、ほとんど感情をこめず、機械的に語り、それは田中裕子の
ラネーフスカヤの詠嘆的セリフ回しと対をなしていました
それ以外の登場人物も、それぞれに語り口が異なって、まるで言葉のポリフォニーであります
これは戯曲だけで読むのでは決して味わえない、とてもわくわくする出来事です

しかしそのロパーヒンが第3幕で桜の園を落札したことを報告するところから一転して
ハイテンションのセリフになるところは、「なるほどそう来たか」と思わせました
この場面は没落した地主階級から、新興成金商人への重要な転換点なのです
ラネーフスカヤのセリフも、前半の浮世離れした「のほほん」とした語り口から
哀切極まりないものになります(田中裕子には狂気すら感じる)

チェーホフの作品は、背景でのっぴきならないことが起こっているのに
舞台上では何も起こらない、といわれていますが、こんな風に演じられると
やはり只者ではないという気がします

終演後、アフタートークがありました
舞台を見るだけでは気づかなかった「そうだったのか」がいっぱいありましたが
いちいちメモしなかったので、ここに書くことができなくて残念
でも、納得のいくことばかりでした
それはやはり、戯曲をあらかじめ読んでおくことが役立っているのでしょう

シアタートーク進行役の中井美穂が「ロパーヒンがワーリャにプロポーズしなかったのは、
ラネーフスカヤに思いを寄せていたからなのでしょうね」と言ったのに対し
柄本佑は「(自分の実年齢の)歳の差があるので、自分はそこまで意識しませんでした」と
さりげなく躱していました
ワタシも、そうなのかな(中井美穂の言う通り)と思う一方で、チェーホフは敢えて
ロパーヒンとワーリャを結ばせず、ハッピーエンドを避けて、クエスチョンマークのように
終わらせたかったのではないかと思います

登場人物それぞれに待ち受けている未来は、はたして何なのか
取り残された老僕フィールスの姿が暗示しているようでもありました
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