mixiユーザー(id:2396826)

2015年07月19日14:03

75 view

テレビを見れば。。。。part0032




昨日、NHK特集ニッポンの肖像なる番組を見てうんざり(-_-;)。どんだけ嘘つけば気がすむねん。ほんと、うーーーーーんざり!大体、コメンテーター二人が北朝鮮の工作員と共産党員ってどんな組み合わせだよ。どっちに聞いても左向けーー左!じゃないか。まともに語れるやつせめて一人くらいはつけろよ。まったく何つーー番組だ。

 内容は戦後70年を振り返って戦後政治史を振り返るというもの。だーーがーー、都合の悪いところはいきなり飛ばすネグレイション論法の連続攻撃。ひょっとしてプロデューサーは小保方晴子かと思ったら岩崎努と増田剛とかいうやつだった(笑)。いきなり、血のメーデーも朝鮮人暴動も山下事件はじめとする極左の凶悪なテロ事件も全部スルー。いきなり、講和条約。びっくり!世紀のプロパガンダ「全面講和論」さえもきれいにスルーーだ。うんざり(-_-;)。

 サンフランシスコ講和条約締結時、「曲学阿世」こと南原繁東大総長が唱えた「全面講和論」はナチのユダヤ人黴菌(バチルス)論よりひどい史上最低最悪のプロパガンダ。未だに使うやつがいるのが信じられない。正気か?占領期、日本は米軍に単独占領されておりアメリカの同意なしには講和条約は決して締結できなかった。そのアメリカが提案したのが「対米多数講和」。乗るしかないだろ。全面講和とは米ソ両国が同時に日本と講和することだから、冷戦勃発後のアメリカは必ず拒否して占領を続行する。そのアメリカに対して南原達極左は同意させるいかなる政策も持ち合わせてはいなかった。そのまま「対米多数講和」を破壊した後占領行政の否を訴えソ連軍を呼び込んで内戦を起こし最終的に「対ソ少数講和」に持っていくつもりだった。何つーー話だ!ルーピー鳩山の普天間処理そのまんま。「全面講和論」とは「対ソ少数講和」の別名なのだ。対立の構図は以下のとおり。


途轍もなく異常なマスコミのプロパガンダ
(国際政治学的に正しい構図)

単独講和(対米多数講和)VS全面講和(内戦後対ソ少数講和)


 左翼はいつでも大嘘つき。うんざり(-_-;)。ルーピー以後はさすがにバレてると思ったのかこの番組では無かった事になってました(苦笑)。話がしょっぱなからズレましたが番組の主題は戦後政治は吉田茂の経済成長路線と岸信介の自立路線の対立であるというもの。うんざり(-_-;)。ここまで酷い嘘、公共の電場で流していいんかい?こんな対立はじめから存在しません。しかも、立場が真逆になってます。


途轍もなく異常なマスコミのプロパガンダ

 吉田茂路線 VS 岸信介路線

 対米講和
          対米自立
 軽武装
 経済成長
          憲法改正
          国防軍設立


 この表おかしい事に気付きません?そ、空白だらけで議論がかみ合ってないんです。経済成長政策と対外自立政策は両立可能なので対立にならないの。吉田茂が経済成長のために軽武装を選択したなんて大笑い(^〇^)。そんなデタラメどっから出てくるんだ?1958年にUPI通信の記者との会見での吉田茂の発言は以下のとおり


「日本は共産主義の危険と戦うため原水爆で武装すべきだ。安保条約を改定し在日米軍を減らす、などということは愚かしい限りで、日本が独力で自分を守れない限りあらゆる兵器と兵力を確保することが必要だ」(東京新聞1958年9月21日)


 吉田茂は「核武装論者」なんです。どこが軽武装?どこが経済成長優先?大笑い(^〇^)。左翼はいつでも大嘘つき。うんざり(-_-;)。吉田茂も岸信介も武家出身の戦前エリートの生き残りで対外自立も憲法改正も国防軍設立も経済成長も一致してました。ただ岸はナチズム系の経済官僚、吉田は親英系の外交官と得意とする分野が違っただけ。そして、両方失敗しました。吉田は小さく、岸は大きくね。笑っちゃうのが吉田と岸の間の「ルーピーパパ」鳩山一郎がきれーーにスルーされてるところだよ。保守合同がありました3年後岸信介は総理になりました。おいおい、保守合同成し遂げ初代総裁になった「ルーピーパパ」はどうした?対ソ敗北外交が思い出されるのがそんなにいやか?大笑い(^〇^)。

 笑ってばかりもいられない。はっきり書くね。俺達日本人は終戦処理に失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。俺達は失敗した!失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。俺達は失敗した!失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。俺達は失敗した!終戦処理の失敗は国際政治学的には絶望的戦争の再開以外の結論を持ち得ない。くそーーー。

 始まりは、1951年にやってきたアメリカの特使ジョン・フォスター・ダレス国務長官の来日だった。敗戦から6年、占領憲法制定から4年、今だ占領下の日本。前年に韓国戦争が始まり、警察予備隊(自衛隊の前身)が設置されたばかりだった。ダレスは日本に憲法改正と再軍備を促したのに吉田茂はこれを拒否した。とんでもないミステークだった。吉田は近衛文麿名義で書いた近衛上奏文の執筆者であり、旧軍の将校団が実質赤軍と言えるほどファシズム化していることを熟知していた。とにかくクーデターの発生が怖かった。辰巳栄一将軍(駐英大使時代の駐在武官)はじめ信頼の置ける軍人は少数だった。今健軍するより保安大学校(防衛大学の前身)の卒業生の成長を待って健軍するほうが安全だと考えた。だがそれは明らかに間違っていた。

 敗戦し国土を軍事占領された日本には当時終戦処理のために超えなければならない課題が5つあった。1つ目は占領憲法の改正と再軍備、二つ目は対米講和と独立回復、3つ目は北方領土の奪還と対ソ講和、4つ目は西南諸島及び小笠原諸島の回復、最後が保護国協定(51年安保条約)の改正と日米同盟の設立だ。本来、この順番で行うのがセオリーだ。クーデターが怖いなら強力な憲兵隊を作って総理が直接掌握すればいいだけだ。他の方法はありえない。なのに吉田は2→1→3→4→5で行おうとした。だが2が終わったところで政変で引き摺り下ろされた。だから未だに1ができない。後継の鳩山と岸が正道に戻るならまだリカバリーできた。なのに「ルーピーパパ」は3を半分だけやる(正確には1/4か)デタラメ外交を行い3を戦争なくして解決不能にする外交的大敗北をきっした。「ルーピー」は遺伝するんだねきっと。そして、岸は2→5→1→4→3と最後の保護国協定(51年安保条約)の改正を2つ目に持ってきたアホや目が回る。確かに「日本人が保護国でいたいと希望するのでアメリカは日本に駐留する」って文言は屈辱的。腹が立つのは分かるが日本国憲法第九条が「アメリカ占領軍の皆様には何をされても決して抵抗いたしません、抵抗のための軍隊なんて決して持ちません」って書いてるんだからそう書かれてもしょうがないだろう<(T^T)>。まず、塊よりはじめろだぜ。60年安保の気違い騒動でビビッた池田勇人が敵前逃亡して、後継の佐藤栄作が2→5→4となんと沖縄返還に手をつけた。どう考えてもそれ最後だろ。しかも、(元来は沖縄限定の)非核三原則まで作って師匠の吉田茂の政策を根底からぶっ壊した。かくて、1と3が絶望的な状態で取り残され、田中角栄以降の政治家は「終戦処理」をタブー視した。俺達は「終戦処理」に失敗した。

 それでもチャイナが革命で混乱し、アメリカが圧倒的に強力だった時代は<名目独立国、実質保護国>という悶絶するようなデタラメな国策も余り表面化しなかった。だがアメリカ大統領が「アメリカは世界の警察官ではない!」と言い放ち米軍が敵前逃亡的後退をはじめ、チャイナとロシアが飛躍的に発展し考えるだけで悶絶するような大軍拡をはじめた以上、デタラメはデタラメに過ぎないことを直視するしかもうないんだよ。「終戦処理」が完了していれば対抗策などいくらでも取れた。だが、俺達は「終戦処理」に失敗した。早急に1と3を実行するしかない。今度失敗すれば100パーセント、成功しても20〜30パーセントの確率で戦争になるだろう。何でこうなっちまったんだか(ToT)。とほほ。



おまけにみくしー検索かけてみました。 だろうね。とほほ。

「終戦処理」

新着日記検索結果一覧 (0件)

1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年07月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

最近の日記