目に見えない事を、耳に聴こえない事なんかもだけれど、ある時代時代で、人は特別視しすぎるんだな。
気にしすぎる。
肌で感じれない事を目で見て、耳で聴いて、舌で味わい、鼻で嗅いでいるだけの事なんだが。
それらを心で感じる事がある。
心が感じなくても、見、聴きし味わい、嗅ぎ、肌で感じる事が出来る。
「心、は目に見えるものではない」と言う言葉を聴き思った。
心を目に見る必要は無い。
必要も無い。
何故、そう目で見たがるのか。
また、見てどうするのか。
心を心で感じて、その感じたものは、目に見ぬと信用出来ないと言う事なんだろうか。
では、目に見えて心で感じられないものは目に見えない方が良いのだろうか、目に見えなくする必要があるのだろうか。
大丈夫だ。
目に見えなくとも、心に感じられずとも。
それでも見たい時、心に感じたい時は、目は目をやめて、心は心である事をやめるんだな。
けれども、ある部分が気にし続けた事で、その気がある日、目になったり、耳になったりしたのだろうけれど。
ログインしてコメントを確認・投稿する