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2015年03月14日00:45

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日本

ああ「助けてくれ」なんて言えないからな。

助けを求めると殺される、逃げると殺される、歯向かうと殺される、従わないと殺される、従っていてもいじめられる、いじめられたくないと思った時は。

殺される以外での最悪なケースを言えば。
本気で、もういじめられたくない、と思い、いじめられないようにする術の第一候補は、自殺だ。

そう言う者が多い事を、いい加減認める事だ。

日本人の多くは、自分がいじめていた経験を認めたくない者が多いから、認めないんだ。
もちろん、いじめを見て見ぬ振りをしていた者も含む。
だから、いじめは減らないし、増え、悪化する一方。
こんなに世間みんなでいじめいじめと取り組んでいるのに、一向に減りもせず、良くなりもせず、ずっといじめいじめと言っている。

日本人お得意の振りだ。
やっている振り。
取り組んでいる振り。
建て前だ。
言っておけば、やっているように見える。
「こんなにみんなで頑張ってますよ。みんなでいじめをなくしましょうね」
なくなった試しがない。
そして、殺した時点で、自殺した時点で、いじめを脱した「事件」だけを裁く。
だがしかし、いじめだけは本当にやっている。
振りではない。

本来、いじめる者は社会的弱者で、自らが社会についていけない事を感じ取り、自らより更に弱者を造り出す事で、自己防衛本能を満たしている事が大半なのだから、それをつきつける機関や社会を造るべきだ。
弱者は弱者。
駄目なものは駄目。
特攻に行けと言っているんじゃない。
弱い者はと弱いとする社会をまっとうな社会になれば良いだけの事なのだ。
「俺、私、この社会に向いていない」と、この社会から離れる事が出来、今ある地方の環境をそのまま利用し整備すれば良い。
もちろん、そこでは、そこに居る間は、決して勝ち取る社会で得られるものはなにひとつ得る事は出来ない。
当然だ。
得たい時は、そこから出れば良い。
その選択権を一生の内2度までは所持出来るようにしよう。
一度は間違うかもしれない。
けれども人生が掛かった選択、2度あれば十分だ。
それ以上は、やはり驕りなり弱き面が働いている事に他ならない。
どちらでも生きて行けない証拠だ。

現代日本の弱者保護の観点は、かなり歪んでいる。
心的にも肉体的にも超過剰保護に至っている。
生きて行けない者は生きて行けない事実から目を背けすぎだ。
生きて行けない者をみんなで生かしてあげようなんてのは、驕りも良いところだ。
誰もが生きて行ける世界なんてこれまでも存在しないし、これからも存在しない。
日本だけはそうなろうとしたって、なれるものではないし、なろうとすればする程、歪み亀裂が生じ、いずれ破壊する。
自ら。

■対処必要な子供400人=連絡取れず、不良グループと交際―川崎事件で調査・文科省
(時事通信社 - 03月13日 11:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3317177
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