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2014年11月30日23:22

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バンジージャンプ

これは一体どう言う事だ?
28歳の時に飛べたバンジージャンプが飛べなくなっている。

夜だったので、バンジー自体の営業は既に終了していたのだけれども、展望台として登る事が出来、夜景を楽しむスペースとして営業されていた。

高さ22m、階段を自力で問題なく上がる。
高いところ自体はスカイツリーの展望台でも床がガラス張りの所にも立てる程度に高所に関しては問題が無い。
木登りも大好きだ。

今日、もしそこから飛び下りると決めたとしたら。
それがジャンプ台の下に鉄骨等の支えが無いだけで、そこに立つ事すら体が拒絶する。
とても飛びたいなんて思えない。
全く飛びたくない。
恐怖を超え、飛ぶ前に失神すると思う。
「飛ぶんだ」と思い身を乗り出して覗き込んだ22m下、目が頭が足がくらくらした、何度試してみても。
それ以上は飛ぶ事を意識するだけで駄目な気がして、意識する事をやめた。
景色を見ているだけなら全く問題が無い。
高いだけなのは問題が無い。

先日、娘の合唱の練習中にあるお母さんが扉で指を挟み、あまりの痛さに病院へ行ってきますと言い、扉を開けて出た瞬間に痛さで失神した人が居たそうだ。
みんなで抱き抱え起こして病院へ連れて行ったそうだが、骨折もなく、湿布も出される事の無い診察で、結局戻ってきて子供の連取を見ていたと言う。
なにしろ痛みに対する恐怖によって失神したのだろう。

このような感覚なのだろうか。

飛べた当時は、高いところだけではなく、飛ぶ事にも殆ど抵抗がなく、はっきり言って、そう言った一切の何も感じていなかった。
今この歳になって漸くそう言った事を感じ取る神経が発達したのではないかと思えるほどありありと体が拒絶した。
高いところを苦手な人、恐怖する人の感覚がこれだとすると、生まれて初めて知った。
こんなに体が拒絶する体験は初めてだ。

ぼくは、単なる経験として、自慢とかではなく本当に事実としての事を言うのと、恐怖に対しどれだけの耐性があったかを話すために書くのだけれど、多人数から数度リンチされた経験もあるし、喧嘩も多くしてきているし、ナイフなどを持ち刺そうとしてくる者に対する事もあったし、単車での大事故も経験しているし、気絶、背骨3本骨折、心肺停止、その他色々経験してきているけれども、その殆どに対し、それほど恐怖を持った事が無かった。

守るものが出来て云々と言うのであれば、当時も嫁さんも子供も居て、二人に見てもらいながらのバンジージャンプなので、そう言った心的な問題は当てはまらない。

他に考えられるのは、体力と筋力の弱体化による、肉体の持つ意志が拒絶している事。
頭脳の意志と肉体の意志は違う。
これは決定的に違う。
これらが一致する事によって、いわゆる人体の全力が発揮されるのだけれど、これがずれたり、一致させるための訓練を怠っていると、その時点で、相当のエネルギー効率等、人体すべての面で弱体化される。
ぼくとしてはこれだと思う。

実際、運動面ではその昔、羽が生えているかと思えるほどの運動能力を持っていたので、当時のぼくは過信も含め、羽があって飛べるから問題なしと意識下ではなっていたのかもしれない。
そうすると、そこにはもう二度と辿り着けない。
もう一度、そうなりたいとも思わないけれど、事実として。

「もう一度生まれ変わりたい」
「あの頃からやり直したい」
こう思えるエネルギーは凄まじいね。
ぼくはとてももう一度同じ事をしようとは思えないし、出来ないし、やりたくない。
もちろん、普通みんなは、生まれ変われば違う自分のイメージ、やり直せれば、もっと良い判断や選択を取る前提なのだろうけれども、ぼくにはそれはない。
全く同じ事を繰り返すだろう。
だもので、生まれ変わりたくない。

バンジージャンプ。
とりあえず、一度、そこに立ってみても良いかもしれない。
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