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2014年09月26日11:57

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大植英次の「悲劇的」は、本来こういう演奏だったんだろうか

いい演奏だったです。でも・・・と思うのは、僕の思い入れがありすぎるからかもしれない。

大阪 フェスティバルホール
大フィル第481回定期演奏会
大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
マーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」

フェスティバルホール前から二列目のかぶりつきで聴く「悲劇的」。二日目は定期会員席だけれど、山のような仕事ゆえこれるかどうかわからないので、何もかもほっちらかしてやってきました1日目。

通して聴いたときに印象的だったのは、大植さんが終始笑顔だった、ということ。その棒から紡がれるマーラーは、一言でいうなら「明るく」「ロマンティックな」マーラー。

いまから9年前、2005年に演奏されたときに比べれば、ホルンとペットの安定感がずっと増していて、その意味でもそれなりに整った演奏になっているというのもあるし、旋律の独特の揺らし方も、いつもの大植節として気持ちよく聞いていられる、「マーラーの交響曲」。

力点は最終楽章におかれてて、前の3楽章はそれに向けての序章と間奏曲に過ぎない、という作りも、すんなりと身を任せられるもの。そしてそのクライマックス、長い長いフレージングで朗朗と歌い上げられる、旋律の美しさにはしびれるような快感を覚える。

でも、この演奏の中に、いみじくも道義さんがプログラムの中で言っていた

「この作品の中にこそ逃避を見せないマーラーのポシティブな自己肯定の生があり、どんな絶望した人間も抱きしめてくれる」

そんな音楽の彼岸があったか・・・・それはむしろ、傷だらけの9年前の演奏の中にあったのではないかしら?僕はあの時、演奏の中に「逃げるな!戦え!」という声を聴いた。それは、まさに天啓のようだった。初めて、この曲を理解したように思った。

マーラーは今の僕に、「大丈夫だ、逃げなくていい。戦うんだ、きっと勝てる」とは、言ってくれないのだろうか?


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