私の世代はジュネであった、とボイスで呟いたが、そもそもの原点は「Comic Jun」であった。
元々竹宮恵子のファンだったし、自然な流れであったのだが、江戸川乱歩の「孤島の鬼」などで語られる同性愛のイメージはあくまでも耽美一直線だった。
その流れに「やおい」を持ち込んだのは、当時の家庭教師の女子大生で、早稲田大学の「いじけっ子漫画集団」のメンバーであった彼女は、「六神合体ゴッドマーズ」のマーズとマーグの兄弟近親相姦という生々しい二次創作を嬉々と描いており、原稿があがる度に私に感想を聞いていた。
※いじけっ子漫画集団は今でも現存するサークル。犬神図書館には創設から昭和58年度までの会誌がある。
彼女に真っ正面から「女性なのに、どうしてそこまで野郎同士の絡みにこだわるんですか」と聞いたことがある。答えはたった一言であった。
“女の子のもうひとつの夢”。
女の子の夢ではなく、もうひとつの夢、というのに深い思い入れを感じ、当時の私はなるほどと納得した。
そもそも、男女という陰陽、いわゆる二元論に支配されているのが男性で、男尊女卑という古くさい考え方にいまだにしがみついているのがその名残だ。
男も女もないという平等の考え方は平塚らいてうを持ってくればたくさんだし、性同一性障害という最近耳にする言葉も、やおいにおける一元論にはあまり関係がない。
これらも二元論から出発したもので、最初から男も女もない世界では成り立たないものだからだ。
簡単なことである。
男の子はちんちんがついていない女の子を嗤うが(この時点ですでに男女の溝が深まる)、女の子は持たざるちんちんを求めて啼くのだ。
これが女の子のもうひとつの夢であり、自分に代わって、想像のなかで好みのキャラクターを陵辱するというシチュエーションに拒否反応を示す女性は地球上には存在しない。
これらは万太郎の妹の腐女子教師馨のHDDから分けてもらった画像だけれども、私が求めた耽美志向もちょっぴり入ってるのは、いわゆる乙女心というやつであろう。
私が日曜日の美少年などで披露している美少年趣味は、やおいとは全然関係のない、男ならではの少年愛で、実際のホモセックス(アナルセックス)は浣腸がマナーで、野郎同士は気軽に浣腸しあうんだよ、イク寸前にタマは縮み上がって発射態勢になるんだよと教えても、女の子はそういう生々しさは眼中になく、耽美のなかでファックしあうことにこだわる。
それも当然で、女の子のもうひとつの夢においては、肉体的な仕組みよりも心でのつながりが重要なのだ。
ヤッて初めて快感を覚えるのではなく、想像のなかで絡んで快感を覚える・・・
女との違いをあらためて見直してからセックスに臨まないと、男はいつまでたっても心の上では両性具有にはなれないであろう。
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