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2011年04月21日20:38

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TOKIO と対戦したタイの 「TOKIOおじさん」。名前の由来は?

  






湯のみ このあいだの日曜日の 「鉄腕DASH」 です。

湯のみ タイでおこなわれた 「水鉄砲合戦」 ですよね。3戦のうちの第2戦は、タイ各地の文化遺産を複製で再現した “野外博物館” のムアンボーラーンが舞台でした。

湯のみ でね、タイ側の大将は、ムアンボーラーンでレンタルカートを貸し出している会社 「KT ボディカラジ」 の支配人で、

   トキオさん

というメガネのオジサンでした。このトキオさんの言うことには、

   トキオ! 俺の名前もトキオだ!
   ここにトキオは俺一人でじゅうぶんだ!

ってことなのよん。

   …………………………

湯のみ またまた、TVってのは、こーゆーとき、サバを読んでテキトーにダジャレるからぁ…… と思ったのね。ほら、ずっと前だけど、フジテレビの 「トリビアの泉」 で、モスクワには 「ヤキマンコ通り」 がある、って、ね、話題にしてたでしょ。だけど、ホントは、

   ヤキマンカ通り

だった。ロシア人の発音を聞いても 「イキマヌカ」 ね。TVってのはそういうことをするの。

湯のみ でね、調べたんだけど、どうも、このオジサン、ホントに 「トキオ」 って名前らしい。どういうこと?

   …………………………

湯のみ TOKIO という項目はタイ語版 Wikipedia にも立てられていて、彼の地でも TOKIO が知られていることがわかります。でも、 TOKIO は常に TOKIO と書かれていて、決してタイ文字では書かないので、タイ人がどう発音するのかわかりません。

湯のみ 日本語でも、 TOKIO は 「トキオ」 であって、「トーキョー」 じゃないわけで。

湯のみ いっぽう、タイ語で 「東京」 をどういうか、というと、これは、

   โตเกียว tookiau [ トーキヤウ ]

なの。日本語の旧仮名遣いでは 「トウキヤウ」 だったけど、これを写したってわけじゃなさそう。なぜ、こうなっちゃうか、というと、タイ語は、中国語と同様の 「孤立語」 で、「音節高低アクセント言語」、すなわち、「声調言語」 なのね。

湯のみ こういう言語は、存在しうる音節のパターンというのが有限個に固定されていて、それ以外の音節は、表記が難しかったり、不可能だったりするし、また、発音できないことも多い。中国語の外来語表記や、その転写音を見ればわかるけれど、

   非常に、音声の柔軟性を欠いていることが多い

のね。

湯のみ タイ語の場合、 -io, -ioo といった音節が存在しない。近似音として、 -iau がある。だから、近似音で 「トーキヤウ」 となる。

湯のみ ただし、文字では tookiau と書いてあっても、 tookio [ トーキヨ ] と読むヒトもいるらしい。

   …………………………

湯のみ じゃあ、あのオジサンの名前は、どんなんだったんだろう、って気になるでしょ。当日の 「鉄腕DASH」 の放送は、タイ語にタイ文字の字幕スーパーがついてたのね。あんなヤヤコシイ文字、よくつけたなあ、と思う。あんね、アナログ放送だったら、たぶん、タイ文字の字幕をつけようなんて考えは起きなかったと思うのね。

   大画面、地デジの時代だからこそ生まれた衝動

だと思うわけ。タイ文字の字幕をつけるのは可能じゃないか、って。実際、全部、読めてた。

湯のみ オジサンの名前は、フルネームで画面に出てたのよん。

   โตกิโอ บุตรศรี
   Tokio Budsri

湯のみ あんね、タイ人の名前は、西洋式で 「個人名+姓」 なんすけど、日常生活では、姓はほとんど使わないらしい。使わないけど、いったん表に出てくると、サンスクリットだのパーリ語だの、という仏教由来の

   ものすごく長くて、威厳があって、タイ語っぽくなくて、
   しかも、読まない文字 (黙字) だらけ

なのね。これは、

   サンスクリットが印欧語で、子音群が頻発するのに対し、
   タイ語が、きわめてわずかな種類の子音群しか許容しない

から、こうなるんです。じゃあ、読まない文字は書かなきゃいいだろ、と思うけど、そうじゃないのね。「由緒正しい仏教のコトバに由来する姓」 は、ありがたく、もとの綴りのまま書くわけ。

   …………………………

湯のみ タイ人の名前で、またまた、困るのが、そのローマ字転写なんす。つまりね、まず、ムズカシイ姓がありますね。これをローマ字で転写する。当然、アタシラは、

   タイ語式の発音で写している

と思うでしょ。そうじゃないんだ。タイ人は、タイ人なりに、読まなくても落としちゃいけない音がある、という意識を持っているらしい。

湯のみ よく、韓国人の 「李」 さんね、韓国語では 「이」 (イ) と発音します。ただ、本来は、中国語由来で 「리」 (リ) なのね。アルタイ諸語のネイティヴは、語頭の R を不得意としているのね。それで、朝鮮語では、

   Ri → Ni → I

と変化した。 R を N で代用したんだけど、民衆の発音では 「ニャニニュニェニョ」 の子音 ny も落ちちゃった。だから、「イ」 なのね。

湯のみ ところが、とても多くの韓国の 「李」 さんは、ローマ字で自分の名前を書くとき、

   I とは書かずに Lee

と書きます。つまり、どこかに、 I は仮の姿、みたいな意識がある。

湯のみ たぶん、タイ人の場合も同じだと思うんだけど、タイ人の場合は、もっと、困っちゃうのね。

   読まないからローマ字に綴らない文字もあるのに、
   読まないのにローマ字に綴る文字もある

湯のみ これは、まったく、基準とかないの。そのヒトの感じ方ひとつ。だから、

   タイ人の名前は、ローマ字転写を見ても、発音の参考にならない

のね。

湯のみ で、「トキオおじさん」 の名前なんだけど、画面には、こう出てた。

   โตกิโอ บุตรศรี
   Tokio Budsri

湯のみ これだと、「トキオ・ブドスリ」 って読めるでしょ。でも、実際の発音はこう。

   tookiʔoo bùt-sĭi
   [ トーキッオー ブッ(ト)スィー ]

湯のみ とりあえず、声調の話は省きます。 ʔ は 「声門閉鎖音」 といって、日本語では 「あっ!」 というような感嘆詞の語末に発音されます。

湯のみ 姓のほうはサンスクリット (古代インドの言語で、仏教で使用された) です。仏教国タイでは、サンスクリットからの借用語が、ひじょうに多く用いられ、それは日本の比ではないんです。

湯のみ タイでは、もともと、通用名 (アダ名) と正式の個人名しか使っておらず、法令によって姓をつけることが義務になったのは20世紀に入ってから。そのとき、みんなが競って由緒正しいムズカシイ姓をつけたようなのね。

湯のみ 姓のほうは、発音は 「ブットスィー」 と申し上げましたが、綴りには、

   Buttrsrii

と書いてあります。 t は綴りには1つしかありませんが、この場合、重子音であることが伝統的に決まってるんです。

   ブットルスリー

なんですよ。ところが、タイ語では、 -tr という語末の子音群が存在しないし、発音できないので、単に -t となり、また、 sr- という語頭の子音群も存在しないし、発音できないので、単に s- となります。

湯のみ これは、2つのサンスクリット語彙の合成語ですね。

   putrá- [ プトラ ] 息子、子ども
   śrī- [ シュリー ]
     (1) 光明、栄光、美しさ、優雅さ
     (2) 財産、富
     (3) <形容詞> 光明を放つ、光り輝く、燦然と輝く

湯のみ だいぶ前に、インド映画に 「ハリーポッター」 のパチモンができた、というオウワサを申し上げましたが、あれが、「ハリ・プッタル」 でした。かの 「プッタル」 が “息子” という単語です。

湯のみ 日本の仏教で 「舎利弗」 (しゃりほつ) とか、「舎利子」 (しゃりし) と称される釈迦の十大弟子のひとり、この人物はサンスクリットで、「シャーリプトラ」 と言いましたナ。「シャーリー」 は母親の名前で、「プトラ」 は息子、つまり、

   シャーリーの息子で、シャーリプトラ

という寸法です。だから、「舎利弗=舎利子」 なんすよ。音訳と意訳です。


湯のみ śrī- 「シュリー」 は、「スリランカ」 の 「スリ」 ですね。

湯のみ laŋkā- 「ランカー」 は、よく、サンスクリットで 「島」 の意、とされますが、そうではないようで、古代の叙事詩などで、セイロン島そのものや、その首都を指すコトバとして出てきます。普通名詞ではありまへん。まあ、「ヤマト」 みたいな古い地名でがしょう。

湯のみ 現在の Srilanka という国名は、この古い地名に 「光り輝く」 を前接したものです。


湯のみ タイ語でも、この2単語は普通名詞として用いられています。

   บุตร bùt, bùttra- (1) 子、子女。(2) 男の子、息子。

湯のみ 単独では bùt ブットであり、複合語では bùttra- という音がよみがえる、という意味です。ただ、トキオおじさんの姓では、 -tra- をよみがえらせずに、そのまま、 bùt- にしているようです。

   ศรี sĭi [ スィー ] (1) 吉祥、瑞祥。(2) 美麗、秀麗。
      (3) 光明、光芒。(4) 雄大、壮観。(5) 繁栄。(6) 財産。
      (7) 幸運、幸福。(8) 成功、成就。(9) 権力、王権。

湯のみ サンスクリットに比べて、意味が広がり、細分化しているのがわかりますなぁ。つまり、仏教にまつわるナニカは、こういうふうに、後世、解釈が拡大してゆく、ということなんでしょう。この単語は、つねに srii と綴るのに、 r がよみがえることは決してありません。英語で、ラテン語にしばられて doubt と書くのに似ています。

湯のみ タイ語では、「スリランカ」 も 「スィーランカー」 Sĭilaŋkaa と言います。まさに、サンスクリットの Śrīlaŋkā- 「シュリーランカー」 (古代サンスクリット資料には、この表現は存在しない) を写しながらも r の発音は落ちていますナ。

   …………………………

湯のみ ところで、問題は、名前の tookiʔoo 「トーキッオー」 です。これはナンなのか。どうも、タイ語彙ではない。サンスクリットでもない。

湯のみ タイ人のアダ名は、通例、1音節です。この語は3音節もあるので、どうも、アダ名ではなく本名ではないか、と思うわけです。

湯のみ さて、ナンだろう? ってんで、検索してみますと、どうも、 Tokyo を tookiʔoo と書くタイ人がいるにはいるらしい。Google で厳密に検索しても、7万件弱ヒットします。

   +"โตกิโอ" …… 67,400件

湯のみ いったい、この tookiʔoo とはナンだろう?と首をひねっていると、どうやら、

   戦前のタイ語での 「東京」 の表記ではないか

という徴候が見えてきたんすよ。

湯のみ タイ語のページでヒットする中に、 Tokyo Convention という語が、ときどき見えます。これは何か? 東京で何やら会議をやる、ってワケじゃあないんす。

   อนุสัญญาโตเกียว
   ʔanú-săn-yaa too-ki-ʔoo
   [ アヌゥサニヤー トーキッオー ]
   “東京の条約”

という歴史上の出来事を言うコトバなんですナ。

湯のみ このコトバ、 Wikipedia には、日本語版とタイ語版があり、おたがいの存在に気づいていないのか、リンクが張られていません。

湯のみ タイ語版の見出しは

   อนุสัญญาโตเกียว
   ʔanú-săn-yaa too-kiau

で、「東京」 の綴りは現代式です。しかし、本文中に、別称として、

   อนุสัญญาสันติภาพโตเกียว
   ʔanú-săn-yaa săntì-phâap tookiau
   [ アヌゥサニヤー サンティぱーッ(プ) トーキヤウ ]
   「東京の和平の条約」

   สนธิสัญญาโตกิโอ
   sŏnthíʔ săn-yaa tookiʔoo
   [ ソンてぃッ サニヤー トーキッオー ]
   「東京の条約」 (サンスクリットを使用)

の2つが上がっています。

湯のみ 上は、単に、「和平」 というコトバを挟み込んだだけですが、下は、「条約」 というコトバに、難しいサンスクリットを用い、なおかつ、「東京」 という地名が現代の表記と違うのです。

湯のみ ここから推測するに、後者は、おそらく、本来の戦前の言い方なんではないか、と思うわけです。

   …………………………

湯のみ 日本語の Wikipedia にも辛うじて 「東京条約」 という項目がありますが、きわめてわずかな記述しかありません。

湯のみ 歴史というのは不思議なもので、「ヤラカシタホウ」 は忘れていても、「ヤラレタホウ」 はよく覚えている、という出来事があるいっぽうで、意外と、

   「ヤッテアゲタホウ」 は忘れていても、
   「ヤッテモラッタホウ」 は覚えている

ということもあるんですよ。ナサケはヒトのためならず。

湯のみ たとえば、フィンランドやトルコが親日というのは、日露戦争で日本が仇敵ロシアを敗北せしめたからですが、意外と、日本人は身に覚えがない。

湯のみ 「東京条約」 なんてのは、おそらく、歴史の教科書に載っていないでしょうし、入試にも出ないでしょう。

   1940年 (昭和15年)、タイと仏領インドシナのあいだで紛争が起こった

んですね。

湯のみ 当時のアジアは、西欧列強によって、ほとんどの地域が植民地化されていました。日本は、逆に、西欧列強のマネをして海外に進出し、西欧に警戒されていたわけです。

湯のみ 東南アジアではタイ王国のみが雪隠詰めのように、唯一、独立国として残され、そのタイも、武力を背景に脅してくるフランスなどに、周囲の領土を侵食されていました。

湯のみ タイは、一度割譲をのんだ領土について、その返還を要求し、仏印 (仏領インドシナ) に進軍したんすね。初期にはタイが優勢に戦闘を進めたんですが、のちに、フランスに巻き返されました。

湯のみ 当時、仏印の北部には日本軍が進駐しており、この紛争を静観していました。しかし、友好国タイが不利と見るや、和平に乗り出したんですね。

   1941年 (昭和16年) 5月8日

湯のみ この日、東京で条約が結ばれ、仏印 (フランス) は戦闘を有利に進めていながら、タイの要求どおりに領土を返還せざるをえなかったんです。これは、タイにとって戦勝と同じことでした。

湯のみ もっとも、太平洋戦争で日本が敗北すると、日本軍の存在を背景に取り戻した領土は、それぞれ、ラオス、カンボジアの領土に組み込まれました。

   …………………………

湯のみ つまり、現在、タイ語で 「東京」 と言う場合、 tookiau 「トーキアウ」 なんですが、この 「東京条約」 の昔の言い方は sŏnthíʔ săn-yaa tookiʔoo 「ソンティッ・サニヤー・トーキッオー」 だったらしい。

湯のみ 昔のタイ語では、「東京」 は tookiau でなく、 tookiʔoo だった、というのは、ここから推測できるんです。

湯のみ つまり、「トキオおじさん」 の名前ってのは、

   確かに、日本の首都 「東京」 と同一の単語で、
   しかも、戦前の古い言い方である

ということになります。

湯のみ なんで、こんな名前があるのか、そいつは、もっと、タイ語を流暢に読み書きできるヒトが、タイ語のネットで調べてみるとわかるかもしれません。

湯のみ しかし、ことによると、

   戦前の日タイの友好関係
   「東京条約」 の締結

がキッカケかもしれない、という推測はできないことはありません。

湯のみ 当時のタイ人にとって、フランスというのは、「のび太」 にとっての 「ジャイアン」 みたいなもので、やたらに、オモチャを取り上げる。そこに、日本という 「ドラえもん」 が登場して、オモチャを取り返してくれたんですね。宿敵を懲らして、領土を取り戻し、タイ人は溜飲を下げたわけです。

湯のみ そこで、「トーキッオー条約」 の “トーキッオー” を子どもの名前に付けてもおかしくありません。そういう例は世界中にあって、たとえば、英語の

   Kimberly, Kim キンバリー、キム

っていう名前は、19世紀末、南アフリカにおける 「ボーア戦争」 で、英国軍がダイヤモンド鉱の町 “キンバリー” を解放したことを記念して生まれたものです。本来は、男子名だったんですが、しだいに、女子名に使うことが多くなったんすね。英語圏には、「キム」 っていう愛称の女性が多いですけど、このキンバリーにちなみますです。

   …………………………

湯のみ 「東京条約」 が締結されたのが、1940年 (昭和16年) ですから、この年に生まれたヒトは、今、71歳です。日本の敗戦が 1945年 (昭和20年) ですから、65歳以下のヒトに、この名前が付けられる可能性は少ないですね。

   71〜66歳

湯のみ TVに映っている 「トキオおじさん」 を見ると、70歳前後という可能性はかなりあるんではないか、と思います。

湯のみ さて、「トキオおじさん」 の名前の由来は、何なんでしょうか?
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