このあいだの日曜日の 「鉄腕DASH」 です。
タイでおこなわれた 「水鉄砲合戦」 ですよね。3戦のうちの第2戦は、タイ各地の文化遺産を複製で再現した “野外博物館” のムアンボーラーンが舞台でした。
でね、タイ側の大将は、ムアンボーラーンでレンタルカートを貸し出している会社 「KT ボディカラジ」 の支配人で、
トキオさん
というメガネのオジサンでした。このトキオさんの言うことには、
トキオ! 俺の名前もトキオだ!
ここにトキオは俺一人でじゅうぶんだ!
ってことなのよん。
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またまた、TVってのは、こーゆーとき、サバを読んでテキトーにダジャレるからぁ…… と思ったのね。ほら、ずっと前だけど、フジテレビの 「トリビアの泉」 で、モスクワには 「ヤキマンコ通り」 がある、って、ね、話題にしてたでしょ。だけど、ホントは、
ヤキマンカ通り
だった。ロシア人の発音を聞いても 「イキマヌカ」 ね。TVってのはそういうことをするの。
でね、調べたんだけど、どうも、このオジサン、ホントに 「トキオ」 って名前らしい。どういうこと?
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TOKIO という項目はタイ語版 Wikipedia にも立てられていて、彼の地でも TOKIO が知られていることがわかります。でも、 TOKIO は常に TOKIO と書かれていて、決してタイ文字では書かないので、タイ人がどう発音するのかわかりません。
日本語でも、 TOKIO は 「トキオ」 であって、「トーキョー」 じゃないわけで。
いっぽう、タイ語で 「東京」 をどういうか、というと、これは、
โตเกียว tookiau [ トーキヤウ ]
なの。日本語の旧仮名遣いでは 「トウキヤウ」 だったけど、これを写したってわけじゃなさそう。なぜ、こうなっちゃうか、というと、タイ語は、中国語と同様の 「孤立語」 で、「音節高低アクセント言語」、すなわち、「声調言語」 なのね。
こういう言語は、存在しうる音節のパターンというのが有限個に固定されていて、それ以外の音節は、表記が難しかったり、不可能だったりするし、また、発音できないことも多い。中国語の外来語表記や、その転写音を見ればわかるけれど、
非常に、音声の柔軟性を欠いていることが多い
のね。
タイ語の場合、 -io, -ioo といった音節が存在しない。近似音として、 -iau がある。だから、近似音で 「トーキヤウ」 となる。
ただし、文字では tookiau と書いてあっても、 tookio [ トーキヨ ] と読むヒトもいるらしい。
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じゃあ、あのオジサンの名前は、どんなんだったんだろう、って気になるでしょ。当日の 「鉄腕DASH」 の放送は、タイ語にタイ文字の字幕スーパーがついてたのね。あんなヤヤコシイ文字、よくつけたなあ、と思う。あんね、アナログ放送だったら、たぶん、タイ文字の字幕をつけようなんて考えは起きなかったと思うのね。
大画面、地デジの時代だからこそ生まれた衝動
だと思うわけ。タイ文字の字幕をつけるのは可能じゃないか、って。実際、全部、読めてた。
オジサンの名前は、フルネームで画面に出てたのよん。
โตกิโอ บุตรศรี
Tokio Budsri
あんね、タイ人の名前は、西洋式で 「個人名+姓」 なんすけど、日常生活では、姓はほとんど使わないらしい。使わないけど、いったん表に出てくると、サンスクリットだのパーリ語だの、という仏教由来の
ものすごく長くて、威厳があって、タイ語っぽくなくて、
しかも、読まない文字 (黙字) だらけ
なのね。これは、
サンスクリットが印欧語で、子音群が頻発するのに対し、
タイ語が、きわめてわずかな種類の子音群しか許容しない
から、こうなるんです。じゃあ、読まない文字は書かなきゃいいだろ、と思うけど、そうじゃないのね。「由緒正しい仏教のコトバに由来する姓」 は、ありがたく、もとの綴りのまま書くわけ。
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タイ人の名前で、またまた、困るのが、そのローマ字転写なんす。つまりね、まず、ムズカシイ姓がありますね。これをローマ字で転写する。当然、アタシラは、
タイ語式の発音で写している
と思うでしょ。そうじゃないんだ。タイ人は、タイ人なりに、読まなくても落としちゃいけない音がある、という意識を持っているらしい。
よく、韓国人の 「李」 さんね、韓国語では 「이」 (イ) と発音します。ただ、本来は、中国語由来で 「리」 (リ) なのね。アルタイ諸語のネイティヴは、語頭の R を不得意としているのね。それで、朝鮮語では、
Ri → Ni → I
と変化した。 R を N で代用したんだけど、民衆の発音では 「ニャニニュニェニョ」 の子音 ny も落ちちゃった。だから、「イ」 なのね。
ところが、とても多くの韓国の 「李」 さんは、ローマ字で自分の名前を書くとき、
I とは書かずに Lee
と書きます。つまり、どこかに、 I は仮の姿、みたいな意識がある。
たぶん、タイ人の場合も同じだと思うんだけど、タイ人の場合は、もっと、困っちゃうのね。
読まないからローマ字に綴らない文字もあるのに、
読まないのにローマ字に綴る文字もある
これは、まったく、基準とかないの。そのヒトの感じ方ひとつ。だから、
タイ人の名前は、ローマ字転写を見ても、発音の参考にならない
のね。
で、「トキオおじさん」 の名前なんだけど、画面には、こう出てた。
โตกิโอ บุตรศรี
Tokio Budsri
これだと、「トキオ・ブドスリ」 って読めるでしょ。でも、実際の発音はこう。
tookiʔoo bùt-sĭi
[ トーキッオー ブッ(ト)スィー ]
とりあえず、声調の話は省きます。 ʔ は 「声門閉鎖音」 といって、日本語では 「あっ!」 というような感嘆詞の語末に発音されます。
姓のほうはサンスクリット (古代インドの言語で、仏教で使用された) です。仏教国タイでは、サンスクリットからの借用語が、ひじょうに多く用いられ、それは日本の比ではないんです。
タイでは、もともと、通用名 (アダ名) と正式の個人名しか使っておらず、法令によって姓をつけることが義務になったのは20世紀に入ってから。そのとき、みんなが競って由緒正しいムズカシイ姓をつけたようなのね。
姓のほうは、発音は 「ブットスィー」 と申し上げましたが、綴りには、
Buttrsrii
と書いてあります。 t は綴りには1つしかありませんが、この場合、重子音であることが伝統的に決まってるんです。
ブットルスリー
なんですよ。ところが、タイ語では、 -tr という語末の子音群が存在しないし、発音できないので、単に -t となり、また、 sr- という語頭の子音群も存在しないし、発音できないので、単に s- となります。
これは、2つのサンスクリット語彙の合成語ですね。
putrá- [ プトラ ] 息子、子ども
śrī- [ シュリー ]
(1) 光明、栄光、美しさ、優雅さ
(2) 財産、富
(3) <形容詞> 光明を放つ、光り輝く、燦然と輝く
だいぶ前に、インド映画に 「ハリーポッター」 のパチモンができた、というオウワサを申し上げましたが、あれが、「ハリ・プッタル」 でした。かの 「プッタル」 が “息子” という単語です。
日本の仏教で 「舎利弗」 (しゃりほつ) とか、「舎利子」 (しゃりし) と称される釈迦の十大弟子のひとり、この人物はサンスクリットで、「シャーリプトラ」 と言いましたナ。「シャーリー」 は母親の名前で、「プトラ」 は息子、つまり、
シャーリーの息子で、シャーリプトラ
という寸法です。だから、「舎利弗=舎利子」 なんすよ。音訳と意訳です。
śrī- 「シュリー」 は、「スリランカ」 の 「スリ」 ですね。
laŋkā- 「ランカー」 は、よく、サンスクリットで 「島」 の意、とされますが、そうではないようで、古代の叙事詩などで、セイロン島そのものや、その首都を指すコトバとして出てきます。普通名詞ではありまへん。まあ、「ヤマト」 みたいな古い地名でがしょう。
現在の Srilanka という国名は、この古い地名に 「光り輝く」 を前接したものです。
タイ語でも、この2単語は普通名詞として用いられています。
บุตร bùt, bùttra- (1) 子、子女。(2) 男の子、息子。
単独では bùt ブットであり、複合語では bùttra- という音がよみがえる、という意味です。ただ、トキオおじさんの姓では、 -tra- をよみがえらせずに、そのまま、 bùt- にしているようです。
ศรี sĭi [ スィー ] (1) 吉祥、瑞祥。(2) 美麗、秀麗。
(3) 光明、光芒。(4) 雄大、壮観。(5) 繁栄。(6) 財産。
(7) 幸運、幸福。(8) 成功、成就。(9) 権力、王権。
サンスクリットに比べて、意味が広がり、細分化しているのがわかりますなぁ。つまり、仏教にまつわるナニカは、こういうふうに、後世、解釈が拡大してゆく、ということなんでしょう。この単語は、つねに srii と綴るのに、 r がよみがえることは決してありません。英語で、ラテン語にしばられて doubt と書くのに似ています。
タイ語では、「スリランカ」 も 「スィーランカー」 Sĭilaŋkaa と言います。まさに、サンスクリットの Śrīlaŋkā- 「シュリーランカー」 (古代サンスクリット資料には、この表現は存在しない) を写しながらも r の発音は落ちていますナ。
…………………………
ところで、問題は、名前の tookiʔoo 「トーキッオー」 です。これはナンなのか。どうも、タイ語彙ではない。サンスクリットでもない。
タイ人のアダ名は、通例、1音節です。この語は3音節もあるので、どうも、アダ名ではなく本名ではないか、と思うわけです。
さて、ナンだろう? ってんで、検索してみますと、どうも、 Tokyo を tookiʔoo と書くタイ人がいるにはいるらしい。Google で厳密に検索しても、7万件弱ヒットします。
+"โตกิโอ" …… 67,400件
いったい、この tookiʔoo とはナンだろう?と首をひねっていると、どうやら、
戦前のタイ語での 「東京」 の表記ではないか
という徴候が見えてきたんすよ。
タイ語のページでヒットする中に、 Tokyo Convention という語が、ときどき見えます。これは何か? 東京で何やら会議をやる、ってワケじゃあないんす。
อนุสัญญาโตเกียว
ʔanú-săn-yaa too-ki-ʔoo
[ アヌゥサニヤー トーキッオー ]
“東京の条約”
という歴史上の出来事を言うコトバなんですナ。
このコトバ、 Wikipedia には、日本語版とタイ語版があり、おたがいの存在に気づいていないのか、リンクが張られていません。
タイ語版の見出しは
อนุสัญญาโตเกียว
ʔanú-săn-yaa too-kiau
で、「東京」 の綴りは現代式です。しかし、本文中に、別称として、
อนุสัญญาสันติภาพโตเกียว
ʔanú-săn-yaa săntì-phâap tookiau
[ アヌゥサニヤー サンティぱーッ(プ) トーキヤウ ]
「東京の和平の条約」
สนธิสัญญาโตกิโอ
sŏnthíʔ săn-yaa tookiʔoo
[ ソンてぃッ サニヤー トーキッオー ]
「東京の条約」 (サンスクリットを使用)
の2つが上がっています。
上は、単に、「和平」 というコトバを挟み込んだだけですが、下は、「条約」 というコトバに、難しいサンスクリットを用い、なおかつ、「東京」 という地名が現代の表記と違うのです。
ここから推測するに、後者は、おそらく、本来の戦前の言い方なんではないか、と思うわけです。
…………………………
日本語の Wikipedia にも辛うじて 「東京条約」 という項目がありますが、きわめてわずかな記述しかありません。
歴史というのは不思議なもので、「ヤラカシタホウ」 は忘れていても、「ヤラレタホウ」 はよく覚えている、という出来事があるいっぽうで、意外と、
「ヤッテアゲタホウ」 は忘れていても、
「ヤッテモラッタホウ」 は覚えている
ということもあるんですよ。ナサケはヒトのためならず。
たとえば、フィンランドやトルコが親日というのは、日露戦争で日本が仇敵ロシアを敗北せしめたからですが、意外と、日本人は身に覚えがない。
「東京条約」 なんてのは、おそらく、歴史の教科書に載っていないでしょうし、入試にも出ないでしょう。
1940年 (昭和15年)、タイと仏領インドシナのあいだで紛争が起こった
んですね。
当時のアジアは、西欧列強によって、ほとんどの地域が植民地化されていました。日本は、逆に、西欧列強のマネをして海外に進出し、西欧に警戒されていたわけです。
東南アジアではタイ王国のみが雪隠詰めのように、唯一、独立国として残され、そのタイも、武力を背景に脅してくるフランスなどに、周囲の領土を侵食されていました。
タイは、一度割譲をのんだ領土について、その返還を要求し、仏印 (仏領インドシナ) に進軍したんすね。初期にはタイが優勢に戦闘を進めたんですが、のちに、フランスに巻き返されました。
当時、仏印の北部には日本軍が進駐しており、この紛争を静観していました。しかし、友好国タイが不利と見るや、和平に乗り出したんですね。
1941年 (昭和16年) 5月8日
この日、東京で条約が結ばれ、仏印 (フランス) は戦闘を有利に進めていながら、タイの要求どおりに領土を返還せざるをえなかったんです。これは、タイにとって戦勝と同じことでした。
もっとも、太平洋戦争で日本が敗北すると、日本軍の存在を背景に取り戻した領土は、それぞれ、ラオス、カンボジアの領土に組み込まれました。
…………………………
つまり、現在、タイ語で 「東京」 と言う場合、 tookiau 「トーキアウ」 なんですが、この 「東京条約」 の昔の言い方は sŏnthíʔ săn-yaa tookiʔoo 「ソンティッ・サニヤー・トーキッオー」 だったらしい。
昔のタイ語では、「東京」 は tookiau でなく、 tookiʔoo だった、というのは、ここから推測できるんです。
つまり、「トキオおじさん」 の名前ってのは、
確かに、日本の首都 「東京」 と同一の単語で、
しかも、戦前の古い言い方である
ということになります。
なんで、こんな名前があるのか、そいつは、もっと、タイ語を流暢に読み書きできるヒトが、タイ語のネットで調べてみるとわかるかもしれません。
しかし、ことによると、
戦前の日タイの友好関係
「東京条約」 の締結
がキッカケかもしれない、という推測はできないことはありません。
当時のタイ人にとって、フランスというのは、「のび太」 にとっての 「ジャイアン」 みたいなもので、やたらに、オモチャを取り上げる。そこに、日本という 「ドラえもん」 が登場して、オモチャを取り返してくれたんですね。宿敵を懲らして、領土を取り戻し、タイ人は溜飲を下げたわけです。
そこで、「トーキッオー条約」 の “トーキッオー” を子どもの名前に付けてもおかしくありません。そういう例は世界中にあって、たとえば、英語の
Kimberly, Kim キンバリー、キム
っていう名前は、19世紀末、南アフリカにおける 「ボーア戦争」 で、英国軍がダイヤモンド鉱の町 “キンバリー” を解放したことを記念して生まれたものです。本来は、男子名だったんですが、しだいに、女子名に使うことが多くなったんすね。英語圏には、「キム」 っていう愛称の女性が多いですけど、このキンバリーにちなみますです。
…………………………
「東京条約」 が締結されたのが、1940年 (昭和16年) ですから、この年に生まれたヒトは、今、71歳です。日本の敗戦が 1945年 (昭和20年) ですから、65歳以下のヒトに、この名前が付けられる可能性は少ないですね。
71〜66歳
TVに映っている 「トキオおじさん」 を見ると、70歳前後という可能性はかなりあるんではないか、と思います。
さて、「トキオおじさん」 の名前の由来は、何なんでしょうか?
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