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2022年11月23日22:05

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野田暉行死去について考える

作曲家の野田暉行氏が、今年の9月に亡くなったのを
知って、今更ながら驚いている。

個人的には、戦後日本の現代音楽の作曲家のなかで
第一人者は、武満徹でも、三善晃でもなく
野田暉行だと、いまでも思っている。

野田は武満や三善と違い、教授職で多忙を極め
作曲家として思うように活躍できなかった。
その理由も含めて、いろいろ考えていきたい。

野田暉行は独学で作曲を学んだあと、
19歳の頃、池内友次郎に師事し、東京芸大に入学。
本格的な意味では晩学である。

芸大在学中に日本音コン1位になり脚光を浴びたが
在学中から「芸大始まって以来の逸材」と言われていた。
きっとその存在は将来の日本の現代音楽の担い手として
期待されていたのだろう。

芸大時代の作品では「ホルン三重奏曲」が非常に優れていて
無調ながら、ユニークな旋律と和声、
そして厳しい造形。
初めてこの曲を聴いたとき、
こんな作品が戦後の日本にあったのかと、驚いたものだ。

1967年、芸大の大学院修了。
本来なら、順風満帆の未来が待っているはずだが、
その後の野田氏は
芸大講師〜助教授〜教授〜副学長。
なんと、芸大入学(1960年頃か?)から、
退官の2008年まで、ずっと芸大一筋なのだ。

60年代には、武満や三善、黛らの活躍で
現代音楽界はそれなりに盛況だったのが、
70年代に入ると、徐々に衰退期に入ってしまう。
野田氏の代表作といえる
「エクローグ(フルート&パーカッション)」や
「ピアノ協奏曲」といった傑作も
武満の「ノヴェンバー・ステップス」のような
話題になることはなかった。
(ピアノ協奏曲は尾高賞受賞ではあるが、
尾高賞では話題と言えるかどうか)

武満徹を絶賛した吉田秀和や
武満の音楽を紹介するのに力を尽くした
秋山邦晴のような人が
野田暉行の側にいれば
少しは状況は違ったものになったのかも知れないが
現代音楽そのものが衰退期に入った70年代には
そういうことも難しいのかも知れない。

彼の全盛期は、間違いなく
70年代である。
「エクローグ」「ピアノ協奏曲」に加え
「リフレクションズ(尺八、琴、チェロ)」は
高い緊張感のなかでの、チェロの超絶技巧が
非常に聴き応えのある名作だ。

芸大教授以降の野田氏については、
激務の教授職ゆえ、新作はたまにしか発表されないし
作曲コンクールの審査では
弟子ばかり入賞させるなど、非常に評判が悪かった。
芸大副学長就任後は
作曲そのものもやめてしまった。
要するに、作曲家としてはここで終わったと
いうことだろう。

退官後、新聞で、野田氏が
「自作のオペラを初演したいがその機会がない」
と語っている記事を読んだときは
作曲家としては過去の人とはいえ、
そこまで忘れられた人なのかと思った。

野田暉行が亡くなっていえることは
現代音楽の作曲家として、芸術家として
生きていくことの困難さを痛感しないわけには
いかないということである。

野田暉行のCDは
作品集がカメラータから何枚か出ているが
3枚目の管弦楽曲集が未入手なので
はやく購入したいと思っている。
あと、1枚目の「ピアノ協奏曲」は
「エクローグ」も入っていて現代音楽のファン
必聴だが、廃盤なのが残念だ。
作曲家逝去のこの機会にぜひ再販して欲しい。
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