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2022年09月01日17:30

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AIは今後,どのような芸術を生み出していくのでしょうか

 AIって本当に凄いのですね!(。・о・。)! きっとここから新しい芸術が生まれてくるのでしょうね。

 今ではこんなことを申し上げても誰にも信じて頂けないでしょうが,小学生時代の僕は結構勉強の得意な子でした。授業は聴いていればだいたい理解出来ましたし,宿題も面倒ではあっても「手も足も出ない」ということはまず無かったのでそれなりに楽しく取り組めたものです。そんな小学生時代の僕にとって,何よりも苦手で苦痛だったのが図工の授業でした。図工というのは中学・高校の美術・工芸に相当する科目で,これは僕がもともと不器用で工作の好きな子供ではなかったということも大きな原因ですが,何よりも「先生の指示を全く実行出来ない」ということが最大の原因でした。たとえば「景色を見たとおりに写生しなさい」と言われても,そもそも何をどの大きさで描いたら良いのか判らない。それでも意を決して描こうと線を引こうとすると曲がりくねって自分でも何を描いたのか判らない。已む無く定規を持ち出すと「それでは味が出ない」と意味不明の理由で使うのを禁止される・・・といった有様でした。しかし写生はまだマシだったのです。実行は困難でもとにもかくにも「景色を描けば良い」ということだけは理解出来ましたから。もっと嫌だったのは文章や音楽を鑑賞した後に「感じたことを描きなさい」という課題を出されることでした。そもそも自分が何を感じたかも判らず,必死に考えて何とかボンヤリ判ったような気になってもそれがどんな形・どんな色をしているのかは見当もつかず,結局何を描いたら良いのかも理解出来ないうちに授業が終わってしまうという感じでした。仕方が無いので椅子に座ってはおりましたが,こんな授業を何故受講しなければならないのかとただただ苦痛を感じ続けていたことを今もしっかりと覚えています。
 この苦い思い出を,数年前に女子美術大学の先生にお話したことがあります。先生は驚いていらっしゃいました。「文章や音楽を鑑賞して感じたことを絵画に描かせる」などというのは同大学で洋画や日本画を学ぶ学生さんにとってもなかなか骨の折れる課題で,そんな困難なことを小学生にやらせるなど信じ難い話だ・・・と。勿論,その先生が僕に話を合わせて下さったという面もあるでしょう。現に小学校の図工の授業でも,ニコニコしながら課題に楽しく取り組んでいる子たちも居たのですから。また僕は女子美術大学のOGや現役学生を何人か存じ上げていますが皆さん大変な才能の持ち主で,恐らくは「文章や音楽を鑑賞して感じたことを絵画に描きなさい」と指示されればその程度のことは難無くこなしてしまうに違いありません。しかしその面を割り引いても,少なくとも僕にとって小学校の図工教育は大失敗だったのだろうと思います。少しも上手にならず,授業を受ければ受けるほど美術に対する嫌悪感と怨みとを募らせていたのですから。きっと僕にとってはあまりにもレベルが高過ぎたのでしょう。

 そんなことを思い出したのは,今回こちらの記事で「和歌を入力すると,自動的に絵画が生成される」というAIの存在を知ったからです。「幾らAIでも,そんなことが出来るの?(。・о・。)?」というのが率直な思いでした。和歌の中には長歌といって長いものもありますが,通常は短歌を指しますね。短歌というのは僅か31文字で詠むもので,その中に様々な情感を込めるために様々な技法が発達してきました。的確に解釈するのにはそうした技法について学ぶ必要もありますし,何より長年の修練を擁します。そして和歌の解釈が出来たとして,今度は解釈した内容を絵画として描かなければなりません。無論「右上に太陽,左上に雲,下には菜の花の咲く地面」などということが指示されていればその通りに描くことは比較的容易でしょうが,そういった具体的な指示書のような内容の和歌というのは殆ど存在しないと思われます。和歌の内容を踏まえて絵画を描くには思考というプロセスが不可欠であり「機械にそんなことが出来るとは思えない」というのが率直な思いでした。そもそもコンピュータというのは法令用語では「電子計算機」と呼ばれることからも明らかなとおり,事前に入力されたプログラムに従って極めて迅速に計算をこなすようなことは出来ても,独自の思考といった創造的な取組は出来ないのではなかったのか。
 しかし,現に恋愛をテーマにした和歌を入力して作成された複数の絵画がこうして掲示されている以上,僕の思い込みが事実に反していることは疑いもありません。今やAIというのは計算のみならず独自の思考もこなすようになってしまったのですね。それも女子美術大学の先生が「美大生にとっても骨の折れる課題」と仰るような高度の思考を。AIの技術によって,コンピュータは計算のみならず思考を行う能力を持つようになったと判断せざるを得ません。日本と同じく漢字を使う中国ではコンピュータを「電脳」つまり電気で動く脳と呼ぶそうですが,こうして考えてみると日本の「電子計算機」という呼び方は甚だ不十分な代物に過ぎず,中国式の「電脳」という名称こそが正鵠を射ていたのだと感じてしまいます。付言すれば,文章を鑑賞しても感じたことを何一つ絵にすることの出来なかった僕は,思考力でもAIに完敗と言わざるを得ないのでしょう。

 これまでもコンピュータを使って様々な美術作品が生まれてきました。メディアアートやデジタルイラストなどは,皆様も既にご覧になったことがおありだと思います。これらはコンピュータによって生み出された表現技術を駆使した全く新しい美術であり,美術に限らず芸術の新たな可能性を大きく切り開いてきた存在です。しかしそれらはコンピュータを,絵画を描く絵筆や彫刻を彫る鑿のような道具として活用しているだけで「人間が作品を発案し思考して形にしている」という点では今までの美術作品と何も変わりませんでした。しかしAIは違います。入力されたデータを元に独自の思考で新しい作品を創っているのはAIすなわちコンピュータなのですから。AIそのものを作ったのはたしかに人間ですが,これはもう人間の創った芸術作品とは呼べないでしょう。道具は何も考えず作者の意図通りに動くだけですが,AIはそれを作った人間の意図を離れて全く独自に思考し創作をしているのだから。
 ここから新しい芸術がこれからも泉のように湧き出してくるのでしょう。それが一体どのようなものか僕には想像がつきませんが,是非観てみたいと思います。これからの芸術というのがどのようなものになっていくのか,そしてそれが人間による創作活動である既存の芸術にどのような影響を与えていくのか,空想の広がるのを禁じ得ない思いです。



恋愛の和歌からAIが絵を描く…デジタルアートの展示会 主催者「NFTを活用し社会課題の解決に」
https://www.fnn.jp/articles/-/408040
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