田村正和さん死去から1年。
訃報がメディアを通して広く知られたのが5月18日の事でした。
今日は、私の過去日記からの再編集。
改めて、田村正和さんを偲びたいと思います。
元々は、2019年9月。『古畑任三郎』がフジテレビで再放送していた当時に書いたものから再編集しています。
では、ここからです(`・ω・´)ゞ
今日のテーマは、俳優・田村正和。
現在、関東ローカルにて『古畑任三郎』が再放送中ということで書いてみました(*´ω`*)
以前、You Tubeにて、『徹子の部屋』出演時の田村正和さんを偶然発見したんですね
※今現在はもう映像は残っていません。
平成5年の1993年2月1日放送分でした
何がスゴいって、冒頭で黒柳徹子さんが『今日から放送18年目です』って話してるんですよ
現在は、『放送47年目』の番組ですからね
そして、ゲストは田村正和さん。
1993年という事で、実は“古畑前”という事になるんです
だからこそ、当たり前なのですが、番組の中で『古畑トーク』が一切出てこないのも、逆に新鮮でしたね
今、『田村正和といえば
』という『街頭100人アンケート』をやったとしたら、100人中半数以上が間違いなく『古畑』と答えるでしょうし、今この人を“古畑抜き”には絶対語れないでしょうからね
この1993年当時に『街頭100人アンケート』をやっていたとしたら…
『眠狂四郎』、『ニューヨーク恋物語』(ちなみに主題歌は井上陽水の『リバーサイドホテル』です
)、『パパはニュースキャスター』など、色々挙がってたと思うんですよね
『古畑任三郎』の放送開始は平成6年の1994年4月の事。
ちなみに全シリーズ全話、再放送含めて相当な回数見てますので、本気で語れますよ(^o^)v
※よろしければメッセージください\(^o^)/マニアの方向け。
ちなみに、『古畑任三郎』以外のドラマでは…
『総理と呼ばないで』(1997年)…三谷幸喜さん脚本作品です。
『じんべえ』(1998年)…“月9”だったのですが、たぶん今も塗り替えられてはいないと思うのですが、当時、田村さんが『月9歴代最年長主演』という事が、結構話題になってました
当時田村正和さん55歳です。
『さよなら、小津先生』(2001年)…主題歌がaikoの『おやすみなさい』で、なんかドラマに合ってて好きでした
今をときめく森山未來くんの、『連ドラ初出演作品』でもありました
『明智小五郎対怪人二十面相』…相手役の“怪人二十面相”がたけしさんだったドラマです。
ちなみにこんな“スピンオフ”があったのを、どれだけの人が知っているのだろうかと…
『巡査・今泉慎太郎』という番組。
出演は西村雅彦さんと、故・伊藤俊人さんの2人のみ。
96年の、『古畑第2シリーズ』が放送された同じ日の深夜に放送されていました。(地方によって違いがあったらスミマセン
)
この『今泉慎太郎』第1話で、今泉の『だって真実は1つだもん』のセリフが出てきてるのですが、この放送があったのが、96年の1月10日深夜で、“某国民的人気アニメ”の放送開始が1996年1月8日だったので、収録日諸々の関係もあるので一概には何とも言えないのですが、三谷幸喜さんなら“やりかねない”なと(笑)
いずれ機会があったらまた『古畑』を語りたいと思います
また相当長くなると思いますが
以上です
と、ここからが今回の追記(;^_^A
私自身、亡き祖母が、裏番組の「はぐれ刑事純情派」を見ていたこともあり、当初は意識していなかったんです。
ところが第2話…
堺正章さんがゲスト犯人でした。
出身校のOBということもあり、「CMくらいまで見てみるか」という、本当に軽い気持ちで見ていたら…
あれよあれよとハマってしまい、結局番組最後まで…
私が「古畑」にハマった瞬間でした(^^;)
それから毎週、全シリーズ、全話見届けましてね。
そのたび、「第1話・中森明菜」だけ、唯一リアルタイムで見なかったことが若干悔やまれたわけなんです(;^ω^)
さて、放送当時。平成6年。1994年のリアルタイムで見た方だけが覚えているかもしれない…いや、覚えていないか…
とっておきの裏話を初公開しましょう(^▽^;)
平成6年。1994年6月29日。
警部補・古畑任三郎としての第1シーズンの最終回でした。
ゲスト犯人は故・菅原文太さん。
最終回でしたが、通常の60分で終わるストーリーでした。
ところが…
21時30分頃から総理大臣を指名する、「首班指名選挙」が行われるため、放送を中断する事態になったんです(・_・;)
ここからは、wikiからの引用です↓
6月25日、進退窮まった羽田内閣が総辞職し、社会党を巡り自民党・連立与党が協議を行うなか、自民党総裁の河野洋平が社会党委員長首班の連立政権を打診し、自社さ共同政権構想に合意した。しかし、自民党総裁経験者である海部俊樹が「社会党委員長を首班に支持できない」と主張し、それに中曾根康弘も同調し、連立与党は海部俊樹を統一候補に指名した。6月29日、首班指名が行われるが、衆議院で過半数に達せず、決選投票となった。その結果、村山が指名決選投票で海部を破って内閣総理大臣に指名され、自社さ連立政権内閣が発足した。ここに1947年の片山内閣以来47年ぶりの社会党首班内閣誕生となった。また、1955年の自民党誕生以降から2010年6月に菅直人が内閣総理大臣に就任するまでの間では、自民党籍を有したことのない唯一の内閣総理大臣であった。
1994年当時わたくし中学3年でしてね。
こんな経緯はまったく知らなかったんです。
とにかく「村山首相指名のため、古畑が中断された」という印象が強く残ったんですよ(;´∀`)
結果として…21時30分ごろから22時15分頃まで約45分間中断しての再開でした(~_~;)
インターネットもSNSでさえもなかったこの時代ですからね( ̄▽ ̄;)
とにかくテレビつけっぱなしで放送再開を待っているしかなかったんですよ(;´・ω・)
で、放送再開して、残りの半分見て最終回という流れでした(^^;)
とにかくこの「中断」が強く印象に残ってしまっただけに、のちの再放送で「すんなり」放送された時の違和感も半端なかったんです(;´・ω・)
これを書いて、1994年当時を思い出して興奮した方いましたら、是非メッセージお寄せください(^▽^;)
ほんっっきで古畑任三郎語れますからね( ̄▽ ̄)
そして、勢い余ってもうひとつ余談です。
古畑の犯人役として登場したイチロー。
実は…
再びwikiより↓
第41回には、イチローが本人役として出演しているが、当初は架空の選手「ハチロー」として登場する予定であった。イチロー本人の希望により、イチロー役として登場することになった。なお、登場人物のイチローは「名前が同じで顔もそっくりだが、別の人物」とされており、古畑も視聴者に語りかけるシーンで「この番組はあくまでもフィクションであり実際のイチローは殺人をしない」と説明した。イチローのキャラクター設定に関しては、三谷も苦心したらしく、「死体を食べちゃうとかいう役にはできませんし」などと冗談めかして語っている。なお、エンディングのクレジットに田村のみレギュラー時と同じく役の名前「古畑任三郎」がクレジットされていたが、その他の出演者は役の名前のクレジットがなかった。なお、フジテレビ On Demandでは肖像権の関係上、この回は配信されなかった。2020年現在では、ファイナルの他2作品も配信終了となっている。
本作の打ち上げは1月10日に行われた。出席者は主演の田村他、イチロー、松嶋菜々子、そして小林隆、だいぶ遅れて石井正則が出席。簡潔なスピーチやビンゴ大会が執り行われた。出席した小林によると、「大人の雰囲気」だったという。
番組ポスターのキャッチコピーは「犯罪者は、まず、私を葬るべきだった。」。
つまり、古畑任三郎の世界では、SMAPは殺人を犯したことになっていますが、イチローはあくまで「野球選手のイチローとは別人」という世界観で描かれたんです。
今なら忖度(そんたく)やらなんやらで叩かれたんでしょうけど、古畑任三郎の世界観として、あくまで「野球選手のイチロー」でも、「架空のハチロー」でもなく、「架空の野球選手のイチロー」として描かれたものだというわけなんです。
古畑任三郎の熱狂的ファンとして。最後に気になった疑問として。
1990年代当時。
ヒットドラマを次々映画化していったのにもかかわらず…
「古畑任三郎」は、実はただの一度も映画化されなかったんです。
これ。どう調べても、理由が見つからなかったのですが…
田村正和さんが断固拒否したとしか、思えないんですよ。どうしても。
だって、あの「世にも奇妙な物語」ですら、映画化されているんですからね(;・∀・)(2000年当時)
いや〜まだまだ語り尽くせないことばかりですが…
また別の機会とすることにします(^_-)-☆
田村正和さん。改めて、ありがとうございました。
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