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2022年02月05日00:55

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父見舞いのセクハラオジサンその後

真面目で働き者、奥さんを戦火で亡くされ、残された我が息子である乳飲児を育て、戦後も働き続けた。
だが、幼児(私)へのムンギュ的尻触りは許されるものではない! 子供は何が起きているのかの把握ができずに、泣くことも出来ない。幼児でも怖い体験や嫌な体験は終生忘れるものでは無いのだ。

戦時中木材を集め、自分の手で奥さんを荼毘にふした。
ところが、集めた木材も少なく、火力が足らずに半萌え状態だったとか。人間を骨まで焼いて灰にするって、大変な火力が必要なんだと言っていた。

度々見舞いに来ては、「◯◯くん、1日も早く健康を取り戻して、家族の為に働かないと家族が可哀想だよ。しっかりしたまえ〜!」
私はその言葉を忘れない。もっと言って、もっと言って、母ちゃんが大変なんだ。心の中で、しっかりして欲しい父親へのエールでもあった。
だが、優しく、遠慮気味に励ましただけで終わってしまった。

わが家に来るお客さんは、子供がいようがいまいが、衝撃的なお話を勝手にすすめる人達ばかりなので、好奇心旺盛な子供は、耳をそば立てて自分なりに咀嚼してしまうものなのだ。

正に宮本輝の小説に出てくるような人々が、我が家には集まっていたと言うことになる。

わが父は、病弱だった為に、私をオンブしたり、抱っこしたり、ましてや高〜い高〜い!などはできない。
私の大好きな肩車なんて、持ってのほか。しばらくすると「ゼ〜、ゼ〜ッ」と喘息の息切れが始まり、周囲を心配させる状況になるからである。

子供は、乱暴な遊びが大好き! 両手を持って、グルグルと回してください私を! なんて遊びだって大好き。母は腕が外れるからとか、父は発作が起きるからとかで、してはもらえなかった。

ただ一人、私を肩車をしてくれたのは、2階の2dkに間借りしていたシングルマザーの子供たち4人の、セイちゃんだけだった。
このセイちゃんは、私がお母ちゃんに「あ〜ちゃん、あ〜ちゃん!」と甘えている姿を見ると、純米は甘えただなぁ、俺なんかカァちゃんにそんな事はできなかったよ。っと言いながら、ある時、肩車をしてくれたのだった。

彼は、結核で大手術をして、肺が半分しかないと言っていた。そんな体の人に私は肩車をしてもらっていたのだ。なんて子だろう自分はっと子供心に自分を攻めたが、かぁちゃん、かぁちゃんの甘えたはやめられなかった。

娘は父親に甘えたい!これはどこの家庭を見ても、父親は娘にメロメロで甘えさせてくれていたからだ。この甘えができない体の弱い父に無謀なことはできない。っと察していたので、それは出来ないわけ。

たかが13年しか、父との関わりが無かったのだが、やはり娘は父親への思慕は歳とともに募るものだ。

小学生の頃、向こうから同級生が父親に甘えるように腕を組んで歩いてくると、羨ましい感情と憎らしい感情が湧いてきたものだった。

母親が息子が王子様であるように、父親は娘に対しては姫様扱いで、メロメロな下僕になるようである。

父よ、どうしてもう少しで良いから、自分の健康と立ち向かい、家族を護って見せる!の意気込みを見せてはくれなかったのか。
これは、私が死ぬまで、私に張り付いて拭えない私のトラウマになってしまっているのだ。
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