北村薫が父親の若いころの日記をもとに父子「共作」した『いとま申して』三部作、やっと読み終えた。 二巻→一巻→三巻の順番でだけれど(そういう読み方をしても大丈夫な本)。
慶應の院を出たあと、民俗学の研究者になる志をあきらめて国語教師になった父親とならぶ、作中の主人公格は、民俗学者折口信夫と、古典のテキストクリティークですぐれた仕事を残した横山重(しげる)。
二人をめぐる慶應国文学科の人間関係の綾模様を「探偵」するというのが、この大作のひとつの縦糸で(もうひとつはもちろん父宮本演(のぶ)彦の前半生)、たいして折口には関心がなかった私が(師柳田の「妖怪談義」には厨房のころから親しんでいるけど)、その事績にえらく詳しくなってしまった。
本書の折口についての記述のなかで触れられていないのが、(富岡多恵子が初めて公に論じた)同性愛者説。
反論も多いし、いっぽうで四方田犬彦などは明確な事実として論を立てているのだけど、多くの紙幅を費やしてその苛烈で複雑な人物像を描きながら、作者は肯定も否定もしていない。
戦死した「養子」への強い愛の記述のところなど、ほぼ肯定しているにひとしいと、私には思われるのだが。
でも、そういう書き方って、よくも悪くも、いかにも「節度」の作家の北村さんらしいとも思うのだった。
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