半年かけて、フルトヴェングラー「交響曲第2番」(1945年作)を
いろいろな演奏で聴いてきた。
難解かつ地味な音楽なので、理解するのに
非常に時間がかかった。
第2、3楽章は古典的な形式で書かれていて、
第1楽章とフィナーレは、長大だが
ソナタ形式のフォルムをキープしているので
曲の構成はそんなに難しくない。
難しいのは、手の込んだ対位法的な展開である。
これを理解するには、録音の悪い自作自演よりも
朝比奈やバレンボイム等、録音が良く、
オーケストレーションの細かいところまで
聴き取れる演奏を聴く必要がある。
それだけではなく、
自作自演は、フィナーレのコーダの
猛烈なアッチェレランド(だんだん速く)など
かなりのめり込んだ演奏で、
もう少し、客観的にこの作品を捉えることのできる
演奏をまず聴いておきたいところでもある。
○朝比奈隆/大阪フィル
基本的には朝比奈らしい、真面目な演奏だが
フィナーレのアッチェレランドも
自作自演と違い、節度は守りつつしっかり決めている。
第2、第3楽章では、ほかの演奏にはない
親しみやすさがあり、第3楽章中間部の
スビトピアノ(急に弱く)など、
自作自演より決まっているくらいである。
録音も良いし、大阪フィルも立派な演奏。
○バレンボイム/シカゴ響
シカゴ響の緻密なうまさが目立つ1枚。
バレンボイムも、冷静に曲の
構成を見渡したような、明快な指揮ぶり。
朝比奈盤と比べ、曲の捉え方の違いが面白い。
オケの響きがドライで即物的なので感動するような演奏ではないが
曲の理解には、非常に役に立つ演奏だと思う。
○アルフレッド・ワルター/BBC響(marco polo)
珍しい曲の録音で有名な、香港マルコポーロレーベルから
出たもの。
録音が非常に良く、演奏もあまりダイナミックではないが
丁寧で、特に第1、第2楽章が良い。
残念ながら第3楽章以下があまり良くなく、特に
フィナーレのコーダではアッチェレランドの部分が
逆に遅くなり、テンションがガクッと落ちる。
録音と前半の良さで、個人的には捨てがたい1枚なのだが。
○ヨッフム/バイエルン放送響
1956年のライヴ。かなり気合の入った演奏で
自作自演の影響下にあるものといえるかもしれない。
情熱的だが、フレージングの呼吸が浅く、
深い表現は見られないのが本家とは大違いだ。
録音はモノラルのライヴとして普通だが、
複雑なテクスチュアを聴きとるには少々苦しい。
自作自演もいろいろ聴いてみた。
○ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団(1948年)
○ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1951年)
○ヘッセン放送交響楽団(1952年)
いずれもフルヴェンらしい、のめり込んだ演奏だが
曲が地味なのと、録音があまり良くないので、
イマイチに感じる部分も少なくないが
フィナーレのコーダの熱狂はこの3枚が
圧倒的である。
この中ではベルリン盤がスタジオ録音だが
ライヴ、スタジオ関係なく、自作を演奏するのに
かなりのめり込んでいるのが興味深い。
リヒャルト・シュトラウスやラフマニノフらの
冷静だが面白くない自作自演とは対照的だ。
○ウィーンフィル(1953年)
晩年の演奏で、さすがに落ち着いた好演。
録音がイマイチ。オルフェオのマスタリングのせいか?
○シュトゥットガルト放送響(1954年)
自作自演の中では、これが唯一録音が良いので
評判も良いが、演奏は良くない。
第1楽章冒頭のファゴットの動機と
ヴァイオリンの第1主題が、なんと合ってないのだ。
曲の冒頭が合ってないのはひどすぎる。
(最晩年、難聴のためか?)
ほかにも合っていないところが散見される。
再現部終わりのトランペットのミスも目立つ。
それでも、自作自演で、録音の良いのは
この演奏だけなので、貴重である。
以上、全9種の演奏を聴いたが、
たしかにこの曲は傑作ではないが
大作であると同時に、細かいところまで
入念に考え抜いて作曲された、その力作ぶりに圧倒される。
柴田南雄や、宇野功芳がけなしたというような
先入観を持たずに、くり返し聴けば
曲の内容はわかるはずだし、
フルトヴェングラーが、この作品に込めた
主張や人生観まで、理解できれば
非常に大きな音楽体験となるだろう。
まず聴くべきは朝比奈盤。ついでバレンボイム。
自作自演は、ベルリン・フィルとのスタジオ録音と
シュトゥットガルト放送オケとのライヴ録音。
ベストは、自作自演でなく、朝比奈盤を推したい。
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