私自身は好き嫌いを表に出さない方だが、それでも好きな人と嫌いな人はいる。
頭では「あの人は自分のことが嫌いだから嫌い」と感じているのだが、でもよくよく考えてみると、確かに相手も私のことを嫌いだろうが、私も彼のことが嫌いで、なぜ嫌ったかを考えると、結局、彼の顔が嫌いだから嫌っていたことが分かる。
以前、上司にイジメられた時のことを思うと、一緒に仕事をする前、顔を合わせた時から、彼は私のことを嫌っていた。
嫌いな人間がミスをしたから、そこにつけこんでイジメる。
ミスをしなければ、好きになるかといえば、好きになることはない。
ただ「イジメる口実」がつかめないので、苦々しい顔をしているだけ。
なぜこんな理不尽なことが起こるのか?
それは人には好きな顔と嫌いな顔があり、好きな顔をしている人は好き、嫌いな顔をしている人は嫌いだからだ。
自分が好きでこの顔に生まれたわけではないが、他人はそうやって見る。
そのことを知ってから、他人に嫌われても理由を考えなくなった。
ただ「あの人は俺のことが嫌いだろうな」と感じたら、彼の前では決してミスをしないように気をつける。
嫌いな人は些細なことにつけこみ、攻撃してくるからタチが悪い。
本人は「あいつは俺の嫌いな顔をしているからイジメている」と知っているかもしれないが、決して口に出しては言わない。
「ミスをしたから俺が教育している」と言う。
まわりの人間も冷たいもので、たとえ親であっても「彼はあなたの顔が嫌いだから嫌っているだけ」とは言わない。
私の親世代は、なんでも理屈で説明できるとウソを教えられているからだ。
そのため「ああしたから嫌われたんじゃないの?」とか「そんなことするから嫌われたんじゃないの?」とあれこれ理屈を言い出す。
それらのミスにつけこまれているだけであり、それらがイジメの原因ではない。
今、永松茂久さんが書いた「人は話し方が9割」という本を読んでいるのだが、そこにこんなことが書かれてあった。
大人は子供に「好き嫌いで人を判断してはいけない」と言うけど、そう言う大人は好き嫌いで人を判断して生きている。世の中は科学的な分析でも客観的な思考でもなく、単なる好き嫌いでまわっている。
この本では「好き嫌いはフィーリングで決まるから、よいフィーリングを持たれるように努力しなさい」とのことだが、
フィーリングっていうのは、結局は”顔”から受ける印象のことであり、生まれた時から決まってしまっている。
確かに世の中は”顔”の好き嫌いでまわっている。
でも”顔”だけに変更のしようがない。
できることは、自分の顔を嫌う人とは距離をあけ、できるだけつけこまれるミスをみせないこと。
また顔で好き嫌いが決まるのは悪いことばかりでもない。
自分の顔が好きな人は、何をしても自分のことが好きなのだ。
そういう人に対しては、変に疑うことなしに、信頼してよいと思う。
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