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2020年06月09日07:07

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北狄(10)

中国での内乱は劉秀率いる赤眉軍が勝利。劉秀は帝位につき光武帝となった。そして王朝
名を再び漢とした。これを後漢といい以前のものを前漢と呼ぶ。前漢滅亡の頃からの乱世
によって中国の人口は7千万人だったものが2千万を切るところまで激減していた

そこで光武帝は前漢の文帝が行った再建策を再び行う。対外面においては新がやった華夷
秩序に基づく周辺国蔑視政策を改め、「王」の称号を与えて持ち上げる政策をとった。日
本でも「漢委奴国王印」というのが発見されているが、この金印を与えたのも光武帝だ

光武帝は周辺国に宥和的に出たわけだが、匈奴だけは「うるせーばかやろー」という感じ
で後漢に対してつっかかっていった。まあ匈奴はもともと漢を属国としていたこともある
ので、出来たばかりの後漢に対しても「俺のほうが上だ」と言う感じだったのかも

ところがそんなときに大旱魃とバッタの大群飛来によって、大飢饉が訪れ匈奴では国民の
2/3が死ぬという大厄災に見舞われてしまう。匈奴の力が衰えたことで漢に接している
南のエリアが独立をして漢と結んでしまう。南北分裂である

匈奴は「反漢」である北匈奴と「親漢」である南匈奴に分裂してしまった。南北間で戦い
が行われるが漢を味方につけた南匈奴が勝利する。これ以降北匈奴は衰退の一途をたどる
ことになる。一方の南匈奴のほうは万里の長城の南に住むことを許されると同時に、主に
長城周辺の地域の警護にあたることになったという

北匈奴が衰退してくると今度は昔匈奴にボコボコにされた東胡の末裔である鮮卑と烏桓が
台頭してくることになった。というわけで次回からはこの2つについてだー

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