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2020年04月26日12:01

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アリサの『アメイジング・グレイス』

 
【よぼよぼ読書日記】

 往年のLPの名盤を取り上げて、それについてブックレットと新書版の間くらいの長さで一冊書く、33 1/3というヨコモジ本のシリーズがあって、もう100点以上出ている。
 黒音楽関係はとても少なくて、その少ない中から、ジェームズ・ブラウンの『Live at Apollo』と、アリサ・フランクリンの『Amazing Grace』を、よぼよぼ読んだ。

 JB のほうは小ネタで稼いでる感じで、「へえ!」というような話はそんなには出てこなかったけど(彼のショー用のマイクスタンドは特注で、重心を触って客席のほうに倒しても戻ってくるようになっていた、とかいうのも前にどこかで読んだ気がする)、アリサのゴスペルライヴ盤のほうは、なかなか読みでがあった。

 著者の Aaron Cohen は、ライヴのリズムセクションをつとめたバーナード・パーディ、チャック・レイニー、コーネル・デュプリーをはじめ、ジェイムズ・クリーヴランドの片腕になってサザン・カリフォルニア・コミュニティ・クワイアの指揮をとったレクサンダー・ハミルトン、プロデューサーのジェリー・ウェクスラーなど、多くの関係者にインタビューしていて、そのうえ文献や雑誌記事への目配りもしっかりしている。 
 分厚くはないけど、とても手をかけた本だ。

 とくに興味深かったのは、アリサとジェイムズ・クリーヴランド牧師との関係。 
 クリーヴランドはシカゴ生まれで、「ゴスペルの父」トーマス・ドーシー牧師の教会ともかかわりがあったが、家が貧乏で、少年時代、デトロイトのアリサの父、C・L・フランクリン牧師の豪邸(スモーキーの自伝にも黒人街は思えないすごいお屋敷だったと語られてる、アリサはほんとうに「姫」だったのよ)に身を寄せていたことがある。
十近く年上のクリーヴランドは、いわば兄貴分として、幼いアリサにゴスペルピアノの手ほどきをし、サンクティファイド教会風のフィーリングの表現法の手本となった(後年の「Spirit in the Dark」なんかはその成果ね)。

 だから、アリサが、少女時代に父の教会で録音したような、教会での礼拝のライヴアルバムを作りたいと思ったとき、そのときはすでにクワイアという新しいジャンルのリーダーになっていた、“小さいとき家にいたおにいちゃん”、クリーヴランドと組もうと考えたのは、自然なことだった。

 ただ、ひとつだけ、クリーヴランドはC・L・牧師の不興を買って、フランクリン家を放り出された人間だったという難点がなくもなかった。 でも、時の経過のおかげで、C・L・も、「お前が教会へ戻ってアルバムを作るんだったら、いいんじゃない」というリアクションだった。
 ただ、なぜクリーヴランドが放り出されたかについての、アリサの説明がちょっと不可思議。
 「C・L・牧師があとで食べようと取っておいたバナナ・プディングを、クリーヴランドが盗み食いしたから」だっていうんだけど、ほんまかいな。

 さて、パーディ、レイニー、デュープリーがなぜこのアルバムでバックを務めるに至ったかの経緯を読むと、キング・カーティスって偉かったんだなあと、いまさらながら思わずにはいられない。
 三人とも、あのテキサス生まれのサックス吹き/バンドリーダー/ソングライター/プロデューサーが、あちこちから見つけて来て使ったミュージシャンで、カーティスが前座兼ディレクターをつとめて、アリサがあの大名盤『Live at Fillmore West』のライヴで大受けしたあと、あの形でツアーをしようとしていたら、カーティスが自宅の前でジャンキーに刺されて不慮の死(1971年8月)。
 で、3人は一時アリサのツアーバンドにスライドし、その流れであの『アメイジング・グレイス』のリズム隊を務めた。 そのあと間もなく、それそれが、引く手あまたのセッションミュージシャンとしての道を歩み始めるわけだけど。

 著者のコーエンが強調するのは、デュープリーはさておき、パーディとレイニーは、あまり知られていないことだが教会で演奏をはじめ、このアルバムのあとも何枚ものゴスペルアルバムでバック演奏をしている「ゴスペルが身についている」ミュージシャンだということ。
 それなくして、あのアルバムの音楽的成功はありえなかった、といわれると、なるほどと思う。

 ロングセラーになり、二枚組アルバムがダブル・プラチナ(20万枚超え)を認定されたという『アメイジング・グレイス』は、完全版が出たり、映画が公開されたりと、今世紀になっても話題を生み続けている。
 ちなみに、あの映画、アリサは「自分は(撮影を)聞いてなかった」とか、「女性の来賓をローアングルから撮ってたりしてゲスい」とか(著者が見せてもらった映像にはそんなカットはなかったそうだ)、ぶつぶついったりしていたらしいけど、なんでオクラになったかといえば、じつは監督のシドニー・ポーラックが売れ始めて忙しくなって、取ったフィルムへの関心を失くしたからだって。
 かりに完成してたら、『スーパー・フライ』かなんかのブラックスプロイテーション映画の添え物として、二本立て上映される予定だったとのこと。
 著者は、それはないだろう、むしろ『ワッツタックス』と併映されるべきものだったと、起こらなかった出来事にツッコミを入れている。

 内容が薄いわりに、長くなってごめんなさい。
 インタビューの引用とか紹介したかったけど、別の機会にしますね。
 さて、この33 3/1シリーズ、次読むとしたら、何かな。
 プリンスの『Sign ‘O’ the Times』か、ステーヴィー・ワンダーの『Songs in the Key of Life』? あるいは、スライの『There’s a Riot Goin’ On』あたりかな。


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