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2020年02月21日07:53

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北狄(5)

白登山で完全包囲された劉邦。冒頓単于の奥さんを通して「命乞い」にでた。お宝も差し
上げます、食料も差し上げます、なのでどうか命だけは助けて下せえ〜とやったのだ。こ
れに対して匈奴側としても別に漢を滅ぼしてその地を支配するという意欲は薄かった

だいたい人口を比べると漢のほうが何十倍も多い。生活様式も文化も全く違う。そんなの
を統治するなんてめんどくさい事はしたくはなかっただろう。ちゅうわけで劉邦は解放さ
れた。その代わり漢は匈奴に対して定期的に多額の金品や食料などを差し出す事になる

つまりはあれだ。「朝貢」である。朝貢するということは相手の隷属国になるという事を
意味する。つまり漢は匈奴の「属国」に成り下がったのである。皇帝は匈奴からの使者を
地に頭を擦り付けて出迎えなければならなかったというわけだ

「中華の皇帝」とか偉そうに言っちゃってもその内実は北方騎馬民族の属国。ご主人様に
尻尾を振る犬でしかなかった。こうした屈辱の属国状態は50年以上にわたって続く。そ
もそもこの時の中国は長らく続いた戦乱で荒廃しており、国力が低下していた

この戦いの5年後に劉邦は死去するのだが、その時に冒頓単于は劉邦の奥さんである呂氏
に対して「旦那が死んで寂しいか。俺で良ければ慰めてやるぜヘッヘッヘ」という内容の
手紙を送り付けたという。完全に見下した態度だよなあ

このようなあまりにも侮辱的な手紙に対し、呂氏は激怒。匈奴討つべし!となったのだが
「戦ったって絶対に負けるから」「匈奴に戦いを挑めば絶対に滅びる」という声が圧倒的
で泣き寝入りせざるを得なかったという逸話がある。それぐらい匈奴は強かった

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