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2019年07月17日21:06

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【ブックレビュー】歴史主義の貧困

歴史主義の貧困
カール・ポパー著
岩坂彰訳
日経BP社


 カール・ポパーといえば科学哲学での業績が有名かと思います。科学哲学の入門書を読むと必ず序盤に出て来て重点的に扱われています。似非科学やインチキビジネスを批判する際に「反証可能性」という言葉を聞いた事がある人もいるでしょう。本書は、ポパーの初期の主著「開かれた世界とその敵」の9年前に出版された、その予告編というかダイジェスト版というか、そんな立ち位置かと思います。っていうか最初は「開かれた社会とその敵」を読もうかなと思ったのですが、かなりの大部でして、こっちでいいや、となった次第です。それでもとても苦労しました。本当に理解できてるのか怪しかったり(´・ω・`)。また、購入してから気付いたのですが、解説が現職の日銀総裁である黒田東彦氏でびっくりしました。

 「開かれた社会とその敵」では、プラトンやマルクス等を名指しで厳しく批判しているようですが、こちらでは個人の思想を批判するというよりは、タイトルの通り「歴史主義」を中心に批判しています。その「歴史主義」ですが、各分野や学者によって様々に定義されていて、正直よく分かりません。本書においては序章で、

・・・・・
(前略)私が歴史主義という言葉で意味するのは、社会科学に対する一つのアプローチである。そのアプローチは、自らの主たる目的は歴史的予測であると考え、その目的は歴史の進化の基に存在する「リズム」または「パターン」、「法則」または「トレンド」を発見することにより達成できると想定している。
  私は、このような歴史主義的方法論こそが、理論社会科学(経済学理論を除く)の不満足な現状の元凶だと確信している。したがって、これらの見解についての私の説明は、確かに偏りを免れない。しかし私はここで極力、歴史主義を弁護するように努めたつもりである。そうすることで、後の私の批判がいっそう有効になるからである。
・・・・・
※本書の訳において、訳者が「歴史主義」には全て「ヒストリシズム」というルビを付けてポパーの術語とする工夫をしています。また、私の引用では傍点は省略しています。行頭の2段下げは本書通りです。


 と、明らかにマルクス主義(というかヘーゲル的な?)の歴史観へ対する批判を含んだ定義をしています。また、引用にあるように、本書の前半部分では、「歴史主義」を誤解していないぞ、しっかり理解した上で批判しているぞ、というアピールも忘れていません。蛇足ですが、経済学に対しては好印象を持っているようで、後のLTCM事件や効率的市場仮説の凋落等についての意見を伺いたいところです(笑)。


 私が分かりやすいと感じたのは以下の部分です。

・・・・・
  (a)観察から出発し、そこから理論を引き出そうとするという意味での帰納的一般化を私たちが行っているとは、私は考えない。(中略)私たちは、科学的にどのような発展段階にあろうと、理論的な性質を持つ何かを持たずに始めることはないと、私は考えている。それは仮説であるかもしれないし、先入観、あるいは問題意識(技術的問題であることが多い)であるかもしれない。
(中略)
  (b)科学の観点からすれば、理論に到達するのに、保証のない結論に飛びついたのか、単に偶然(つまり「直感」により)たどり付いたのか、それとも何か帰納的方法を用いたのかということは、どうでもいいことなのである。「最初にどのようにその理論を見出したか」という問題は、いわばまったく個人的な問題にすぎない。そうではなく、「どのようにその理論を検証したか」という問題のみが、科学的に意味を持つ。(後略)
・・・・・

 科学哲学では、ポパーよりも、学説としてはクーンやポランニーの方が優勢だとされているかもしれません。ただ、実際に大学や企業での科学研究は今でも上記引用の方法で行われているはずです。ポパーはこの方法が自然科学のみならず、社会科学にも当てはまる、として、社会全体を計画的に構築できるとする「歴史主義」、つまり「全体論的工学」「ユートピア主義的工学」に対して「つぎはぎ修理」を意味する「ピースミール工学」を提唱しています。


・・・・・
  ピースミール工学者に特徴的なアプローチは、以下のような形をとる。ピースミール工学者も、「全体として」の社会に関わる理想−おそらく社会全体の福祉といったもの−を抱いていることだろうが、社会を全体として再設計する方法などというものには信を置いていない。目的は何であれ、ピースミール工学者は、継続的に改善可能な細かい調整、再調整を積み重ねていくことで、その目的を達成しようとする。
(中略)
  全体論的またはユートピア主義的社会工学は、ピースミール社会工学とは逆に、「民間的」ではありえず、必ず「公共的」性格を持つ。それは「社会全体」を、一つの決まった計画(青写真)にしたがって作り直すことを目指す。(後略)
・・・・・

 黒田氏の解説によりますと、本書が書かれた時はマルクス主義と精神分析がウイーンで大流行していて、その風潮に対する違和感が本書執筆の動機だそうです。いずれも現在では似非科学という扱いになっている点、ポパーの慧眼と勇気に感服します。
 ネット等で社会問題に対して、大ナタを振るった極論を唱える素人が多いように思います。そういった人達も本気で言っているわけではないでしょうけれど、様々な条件をクリアしたり妥協したりして、実際に政策を立案して法制化し実施する人達の苦労、問題が発生した際にはつぎはぎ修理で対応せざるを得ない人達の苦労、を無視しないで欲しいと思います。
 あと、引用中にある「公共的」というのはあくまでも政府が、あるいは権力が、という意味だと思います。現代で議論されている公共性は民間の方が主だったりしますので注意したいと思います。


 「反証主義」である以上、反証の対象を当時の読者がしっかりと理解していなければならないという理由からでしょうか、現代の理解を基準とすると「歴史主義」の説明が長くて読みにくくなっている(変に持ち上げているようにも見えて理解を妨げているような)感は否めませんので、マルクス主義や精神分析等に詳しい人は前半は冗長に感じるかもしれません。

 黒田氏の解説を先に読むのを強くお勧めしますが、さて、日銀の金融政策は、「歴史主義」に陥っていないでしょうか?地下資源が乏しくて少子高齢化の社会において、リフレ政策が本当に正しいのかどうか、反証可能でしょうか。

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