mixiユーザー(id:2396826)

2018年10月19日12:53

181 view

最近、思ったこと。part0039


 〔緊急連載〕ロシア東欧史概論対露アウトライン・ダイジェストその13{かっ飛びつまみ食い編その11}。さてと、よーーやく本筋に帰れる(-_-;)。えっと、どこまでいったんだっけ(苦笑)?そうそう、「運命の王」モンケ・カーンが戦死したんだってとこまで言ったんだっけ。さて本筋チャートに戻ろう。


53、モンゴル本土の大本営を守っていたアリクブケ・カンが全土に新帝選出の「帝国会議(クリルタイ)」開催を宣言し、参加を全分封国に呼びかける。
           ↓
54、漢地大総督クビライが「帝国会議(クリルタイ)」参加を回避するために敵地に突入し、孤立した重臣ウリャンハタイ(「四狗」スブタイの子)を救出する。
           ↓
55、アレッポを攻略したフレグ遠征軍が「帝国会議(クリルタイ)」参加のため、先鋒軍15000騎を残留させてアゼルバイジャンに撤退する。
           ↓
56、漢地大総督クビライが本営に向かわず、自身の本拠地・金蓮川にて左翼諸弟王国の支持を固め「違法クリルタイ」にて大カーンを僭称する軍事反乱を開始する。
           ↓
57、驚いたアリクブケ・カンが右翼諸子王国の支持にて急遽第5代大カーンに即位する。
           ↓


もう無茶苦茶だな(-_-;)。ま、ある意味俺たち日本人は「助かった」(笑)。ちょーーーー強力無比な「侵略大帝国」が勝手に「内ゲバ」起こして「自滅的大混乱」に陥ってくれたんだから(黒笑)。一般には「アリクブケの乱」と教わるが「大嘘」だよ(-_-#)。この時、モンゴル大帝国に起こったのは


582年の「突厥帝国」同様の「帝国の東西分裂」だった


のさ(-_-;)。これが判らないからモンゴル帝国史の記述がひたすら「トンチンカン」に成っちまうんだよ(怒)。モンゴルは世界統治者として一体・永遠でなければならないとする「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」が21世紀の「俺たちの目」を曇らせているのさ。このまま、「思想史」的分析をダーーと記述したいが、切が無いんで今日は割愛する。


58、帝位継承戦争の勃発を知ったフレグはアゼルバイジャンでの「自立」を決意しジョチ・ウルスからの援軍を保持するためにその指揮官を皆殺しにする。
           ↓
59、自軍の指揮官皆殺しに仰天したジョチ・ウルスからの援軍10000騎は三々五々フレグ遠征軍を脱走しジョチ・ウルスに帰還する。
           ↓
60、「それ」に激怒した、ジョチ・ウルスのベルケ・カンが30000騎を率いて自らアゼルバイジャンに攻め込む。
           ↓
61、右翼諸子王国の主力ジョチ・ウルスの兵力をフレグが引き受けている間に、クビライは組下の左翼諸弟王国・内蒙古五投下・漢人世候のチャイナ遠征軍を自下に「再組織」し帝都カラコルムを強襲占拠する。
           ↓


は・は・は・(乾いた笑い)、しっかし、凄いやり口だね(-_-;)。狂信的な「政治イデオロギー」持ってるやつらって必ず「これ」やるよね(黒笑)。この時、クビライ反乱軍とフレグ遠征軍との間にどんな「連絡」が有ったのかはよくわからない。でも「結果」から推測するに両者の動きは明かに「連動」していた。そして、北西モンゴル人たちにとってそれは


モンゴル主流派である「トゥルイ家」との「同盟関係」の「終焉」


を表していた。酷く、ショックだったに違いない。トゥルイ家政権はジョチ・ウルス、特にバトゥ・カンの支援なくしては絶対に有り得なかった。ジョチ・ウルスのベルケ・カンはこの「同盟関係」に基づき兄バトゥ・カンの成し得なかった「ヨーロッパ制圧戦争」の再開を計画し、すでに20000騎の大軍を先行的にポーランドに突入させていた。計画ではイラクを押さえ牧民的要衝コーカサスへのイスラム勢力の進入を防止したフレグ遠征軍主力がジョチウルスに「合流」し、ヨーロッパへ攻め込む「約束」のはずだった。だが(黒笑)、


フレグ遠征軍の「真の目的」は実はジョチ・ウルスの「解体」と「乗っ取り」だった


のさ(-_-;)。な、「これ」やるだろ(黒笑)?「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」を信奉するモノは何者にも捉われない「悪の自由主義者」なのさ(-_-#)。はーーーーー、「全ては許される」と本気で信じてやがる(怒)。それが、現代思想の「アナーキズム」と密接にリンクしている所以なのだがそれは後述する。またこれ以降、北西モンゴル人たちは「偏執狂」的に「疑り深い」文化を持つようになるのだがそれも後述する。


62、アリクブケ・カーンの降伏後、オゴタイ家の棟梁カイドゥ・カンが簒奪者クビライに対してエミルにて挙兵。
           ↓
63、クビライは事態収拾のために中央アジアを押さえるチャガタイ家の本拠地イリ渓谷に代理人のバラク・アカを送り込む。
           ↓
64、バラク・アカはチャガタイ本家のムバラク・シャーの権力を簒奪。カイドゥ・カンとジュチ・ウルスの代表者とタラスで会盟し、本来大カーン直属の要衝マーワラーアンナフル(シル川とアム川の間の大オアシス地帯・現ウズベキスタン)を3家で分割しチャガタイ汗国を建国。
           ↓
65、バラク・アカは40000騎の大軍を率いてフレグ・ウルスに進攻するもフレグ・ウルスのアバガ・カンに撃破され、直後にカイドゥ・カンに暗殺される。
           ↓


ははは、大笑いだ(^〇^)。「狂信者」は自分が裏切り・騙すのは「平気」だが、自分が裏切られ・騙されるとは決して「思わない」んだよね(-_-;)。ほんと不思議な「心性」だわ。簒奪者・クビライもフレグ・ウルスのカン達も「なぜ」こうなったのかさっぱり判らなかったに違いない(黒笑)。繰り返し繰り返し中央アジアに兵を向けるが尽く「失敗」した。はーーーー、原因はあんた方の「狂信」なんだよと怒鳴りつけてやりたいよ(怒)。いかんいかん、また、「モンゴル帝国寄り」になってる(-_-;)。「狂信」大賛成!「内ゲバ」頑張ってしてください、ファイトーーーo(^-^)o(笑)。さて、この後、ヨーロッパ征服の「夢」を断たれた北西モンゴル人たちは次第に「内向き」になり、現地ゲルマン・スラブ両族と混血し、イスラム教を受容して一種独特の「文化」を創設していくこととなるのだが少し長くなったそれはまた次回語ろう。


Ps、そういえば、中川博士が共産党勢力による2032年の「皇統断絶」計画説を出してきたね。あの論文イロイロな意味で「心臓に悪い」論文だったが(-_-;)、共産主義者の「奇妙な癖」である「文字合わせ・数合わせ」から考えれば相手側がまじめに「検討」している可能性はかなり高いと思う(-_-#)。「経済崩壊」と移民激増による「治安悪化」が始まれば現在の「自称・国民」の意識は絶対的にそっちに行くから、心理的に「皇統断絶」を「乖離」させることができる(怒)。タイミング的にはピッタリだ(-_-;)。ほんと、なんとかならんのか。くっされ!




おまけにみくしー検索かけてみました。

「狂信」


新着日記検索結果一覧 (5件)

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年10月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   

最近の日記