最近、ボランティアについての議論が盛り上がってきている
私はというと、動物園や博物館、ビジターセンターなどで
ボランティアをしたことがあるが、いずれも「対自然or他の生物
」。
純粋な人間相手のボランティアは、
大学での介護実習等を除けば、ほぼ未経験だ。
あっ、占い師としての活動は、今のところお金をもらってないから、
ボランティアということになるのかな……。
日本では、ボランティアというとどうもハードルが高く、
必ずしもうまく機能しているとはいいがたい。
それは、「仕事は責任を持って最後までやりきるもの
」
という奇妙な常識があるからだろう。
一部の障がい者雇用のなど、ごく特殊な状況を除き、
どんなに給料が安くても「責任を持って最後までやりきること」
は求められる。
これが労働、ひいてはボランティアへのハードルを著しく上げてるのだと思う。
本来なら、労働者に「責任感」を求めるのは変な話だ。
責任を取るのは、使用者、経営者の役割のはず。
しかし日本の労働者はマジメ過ぎるので、
「労働者も責任感を持たなければ」と
自ら重荷を背負うことを名乗り出てしまった
図に乗った使用者は「渡りに船
」とばかりに、
どんどん思い責任を課してきた結果、
現在のような、至る所ブラックだらけという現実があるのだ。
宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』でも、
「かまじい」が「手を出すなら最後までやれ!」と怒鳴るシーンがあり、
日本人の奇天烈な労働観を浮き彫りにしている。
『最後までやりきらなくても、
ほんの少し肩を貸してくれる、背中を押してくれるだけでありがたい
』
あらゆる使用者に、そんな意識が芽生えるだけで、
日本の労働観、ボランティア意識は劇的に変わると思う。
体が弱かったり、障がいがあったり、
時間に制約がある人でも、労働やボランティアに参加しやすくなる
……と、こんなことを言うのは、
私自身が「最後までやりきる」ことが恐ろしく苦手という
個人的な事情も大いにあるのです(笑)
何かが軌道に乗ると、露骨に興味をなくす、
何かに慣れると、すぐ別のことに手を出したくなる、
小学校の通知表の図工の項目でも、
「最後まで粘り強く作品に取り組む」という項目だけ、
どうしても「よくできた」を取れなかった苦い思い出があります。
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