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2017年12月15日07:30

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レイテ(24)

戦艦武蔵が海中に没した24日夜、戦況はどうなっていたかというとルソン島北東沖には
小沢機動艦隊がおり、ハルゼー率いる38タスクフォースの空母群は、小沢艦隊攻撃のた
め北上していた。小沢艦隊とは相当に距離があったのでこちらのほうで戦闘が起こるのは
翌25日のことになる

いっぽう反転して引き返し始めた栗田艦隊だったが、反転してから2時間ほどたった17
時15分ごろ、米軍機の攻撃が無くなったことにより再度反転して従来の計画通りにサン
ベルナルジノ海峡を目指して進み始めていたのである

さらにここまで登場してこなかった、西村艦隊と志摩艦隊である。ブルネイから出発した
西村艦隊は栗田艦隊とは違う経路を辿った。ミンダナオ島に向けて東に進み、レイテ島と
ミンダナオ島の間のスリガオ海峡を北上してレイテ湾に突入する予定だった。作戦計画で
は栗田艦隊がサンベルナルジノ海峡を抜け、サマール島の東を南下してレイテ湾に突入す
るのと歩調を合わせ、南北から同時にレイテ湾に突入して敵上陸部隊を叩く手筈だった

また日本本土から南下してきた志摩艦隊はルソン島の西を南下して大きく回り込み、西村
艦隊と同じルートを辿ってレイテ湾に突入する予定であった。志摩艦隊は米軍に見つから
ずに進んでいたが、西村艦隊は24日の朝に米軍機による攻撃を受けている。これは第3
8タスクフォースの空母によるもので、戦艦扶桑と重巡最上・駆逐艦時雨が損害を受けた

西村艦隊は続く攻撃があると考え警戒を強めたが、米空母は栗田艦隊への攻撃に力を注い
だため西村艦隊への後続攻撃は無かった。西村艦隊は栗田艦隊よりも小規模だったため、
航空戦力は栗田艦隊への攻撃に使い、西村艦隊への対処はレイテ付近に展開し上陸の護衛
にあたっていたアメリカ海軍第7艦隊に任されることになった

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