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2017年06月16日07:59

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ケンタッキーの我が家

 
【保存のためにフェイスブックから移しました】

 積読だった東理夫氏の 『アメリカは歌う』 (作品社 2010) を拾い読みした。 帯の惹句の「目からウロコのアメリカ史!」は、部分的には、たしかにそう。 
 ていうか目からウロコすぎて、眉につばをつけたくなる箇所もある。

 たとえば3章の、フォスターの「オールド・ケンタッキー・ホーム」の原詞の「The sun shines bright in the old Kentucky home /This summer, the darkies are gay」が、南部からほぼ逃げ出しおおせた逃亡奴隷たちが喜ぶさまを描いたものだ、という解釈。
 この歌のモデルになったのは、フォスターのいとこの法律家ジョン・ローワンが住んだ、ケンタッキー州バーズタウンの家だったという説がある。
 そして東氏によれば、ローワンの家は、南部から北部へ奴隷を逃がす地下鉄道 (underground railroad) の最後のステーションだった。 だから「黒んぼたち」は「陽気」なのだ。
 フォスターは、ごく幼いころそのローワンの家を訪れて、そうした事情を知っていたから、何十年もたって書いた歌に、そのことをひそかに書きこんだと、東氏はいうのである。

 小説だったら、それでいいと思う。
 でもさ、これ、一応ノンフィクションだよね。 だったら、推測だけじゃなくて裏付けがないと。
 ローワン一家と地下鉄道のつながりを示す資料が、何かあるのかしら? 近年のリサーチによればこの一家が、奴隷所有者だったってことだけは、たしからしいけど。
 あと、フォスターの姉がローワン家に住んだことがあるのは事実だけど、フォスター本人が、ローワンの家に行ったことを示す証拠はないとのことだ。

 下の、3年前の 『ニューヨーカー』 の記事によれば、38歳で (ほとんど無一物で) 病死したフォスターは、ケンタッキーもスワニー河もアラバマも、見たことがなかった。 南部へは新婚旅行で一度行き、蒸気船にのってミシシッピ川をニューオーリンズまで下っただけ。
 <Foster never saw Kentucky or the Suwannee River or Alabama, and had been south of the Mason-Dixon Line only once, for his honeymoon, on a steamboat trip down the Mississippi to New Orleans.>

 彼の南部の歌は、ヤンキー (北部人) によるノスタルジックな南部幻想の産物。 だから、「This summer, the darkies are gay」も (ちなみに「darkies」は差別的だというので、いまでは「people」に書き改められている) 、南部の黒人をステレオタイプ的 (あるいはミンストレルズショウ風) に描いたものだと理解するのが、自然だと思う。

 東氏があまりにも自信満々な口ぶりで書くもんで、あわてて調べてみて、なあんだって感じ。
 そういや私にも、このレベルのはったりまじりの推測を、原稿にしてた時代があったなあ。 20代に 『MM』 誌に書いてたころ、たま〜にね。
 いまでは、そういうことをしちゃいけないと思うおかげで、短い原稿にもやたら時間がかかって、困るのことよ。

[参照記事]
 Can’t Escape Stephen Foster By Michael Friedman (March 10, 2014)
 http://www.newyorker.com/…/cultu…/cant-escape-stephen-foster

P.S.
 「ケンタッキーの我が家」はケンタッキーの州歌になり、歌にちなむ州の公園までできています。
 My Old Kentucky Home State Park:
 http://parks.ky.gov/parks/recreationparks/old-ky-home/

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