客観的には到底かなわないとわかっている相手に挑むとしても。
自分が当事者となれば「絶対何とかするつもりで挑む」と考えるべきだろう。
たとえ同一人物でも評論家とプレイヤーという立場の違いがあれば
意見が異なるのは「当然」なのだ。
たとえば私が内部監査をしていた時は「監査は大事」と言い、現場で仕事をするようになったらば「監査は面倒だ」と思うこと自体は仕方がないと思うのだ(笑)。
日本代表が「大差のある世界一」を相手に戦う時に「どうせ勝てないので」というプレイヤーは失格だし(当事者として戦う情熱や決意、意志の欠如)、それを見ている評論家が「思い入れ的に絶対勝つでしょう」というのではやはり失格(冷静な分析の欠如)だ。上記の例では評論家は比較的許容されている気がする。
どこかの口先ボクシング王のように言動不一致な「ビッグマウス」は嫌われる。
だが、「決意の表明」まで否定されるべきではあるまい。というか、当事者が決意の表明すらできないのなら最初からやらないほうがいいのではないか。
少なくとも私は評論家としては長兄に勝てないのは重々承知しつつ、もし対局するとなれば当然「勝つつもりで」やるし、もしインタビューのように問われれば「当然勝ちます!」と答える。
ビッグマウスと決意表明は違う。
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