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2017年02月12日22:51

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スタジオ録音にも必要な「ライヴ感」

去年の暮れに、ベートーヴェンの交響曲全集を
カラヤン/ベルリン(60年代)、ショルティ/シカゴ(70年代)
と、2組を続けて聴いた。

いずれも自分にとって、苦手な、いや、嫌いな演奏である。
どこが、どのように嫌いなのか、はっきりさせようと
思ったのだ。

ところで、いままで、ベートーヴェンの交響曲全集というものを
愛聴して来たことがない。

大作曲家の最高、最良の仕事をまとめて聴けるのだから
便利なもののはずだが、
満足できる演奏は、あるのだろうか?
満足できるものがないとしたら、残念である。
演奏芸術の難しさというものだろうか?

(フルトヴェングラーは1.3.4.5.6.7.がスタジオ録音。
9はライヴ。2.8.は劣悪なライヴ録音)

カラヤンとショルティの全集であるが、細かいところで
収穫もあった。
カラヤンの60年代の全集は、響きにのみ関して言えば
非常に良かったのだ。
この時代のベルリンフィルは良かった。
ただ、表情が一本調子になりがちなのは
指揮者の責任であろう。
5番の第3楽章など、その最たる例だろう。

ショルティは意外に6番が良かった。
データを見ると、なんと6番のみウイーン録音とある。
あと、9番は以前から聴いて知っていた。これも良い。
あとは、真面目すぎて、リズム感が少しも活き活きとしない。
繰り返しをぜんぶ実行しているのも真面目すぎて煩わしい。
これも指揮者の責任だろう。

あと、どちらも、スタジオ録音ということで
妙に冷静な、醒めた感じがする。
編集の手がかなり入っているようで、
その結果、あざとい感じや、音響のバランスに
拘わり過ぎているようでもある。


ベートーヴェンの交響曲全集で、いままでで印象が良かったのは
シェルヘン/ルガノ響と、クレンペラー/フィルハーモニア管で
どちらもライヴ録音である。

この2つの全集に見られる、
ベートーヴェンに身体ごとぶつかるような必死さは、
カラヤンやショルティにはまったく感じられない。
まさに、別物だ。

ここで、思い出したのは、ホロヴィッツのメフィストワルツの
ライヴ盤についてのインタビューで
ミスタッチが修正されていないことについて質問されたとき
「編集のし過ぎはいけません。ライヴの雰囲気を残す必要があります」
といっている。
けだし名言というべきだろう。

最近のスタジオ録音は、ミスが完全に
取り除かれているが、その結果
「ライヴ感」がまったく感じられないものが多い。

「過ぎたるは及ばざるがごとし」という気がしてならない。

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