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2016年11月28日22:49

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都響第819回A定期@東京文化会館

今月のB定期はエレフラのライヴと重なったので本日に振替えました
結果としてワタシの好きなプログラムを聴くことができました

久しぶりの東京文化会館での定期で、3年前まではこちらの方を
聴いておりました(会社の帰りに都合がよかったので)
当時のワタシの席には当然のことながら別の人が座っておりましたが
その隣の席にはいつも一緒だった母子の姿もありませんでした
当時80歳を超えていると思われる母親と、アラフィフくらいの息子の
会話は、聞くともなく聞こえてくるのがとても微笑ましかった
時にとんちんかんなことを言う母親に対して、辛抱強く敬語で答える息子
もう高齢で退会してしまったのかな、と思うとちょっと切ない思いでした

本日のプロはマーラーの4番をメインに、ベルクのアルテンベルク歌曲集
というのは繫がりがわかりますが、それに挟まれてラヴェルの「左手」と
いうのがちょっと不思議な取り合わせです
強いて言うなら、左手の委嘱者であり初演者のヴィトゲンシュタインは
ヴィーン生まれなので、そういう関係かというのは無理がありますかね
マエストロ大野の言葉によると「19世紀末から20世紀にかけての豊饒な
音楽」ということらしいです
都響の音が気に入っているということで、マエストロと都響の蜜月関係
を感じます(事実、演奏がそれを証明していた)

ベルクの作品におけるオケは単なる伴奏ではなく、3管編成に加えて
ピアノ・チェレスタ・ハルモニウムが並び、チューバ奏者は2本の楽器を
持って登場するという大編成です(チューバが参加することだけでも驚き
なのに持ち替えがあるとは)

ソプラノソロの天羽明惠さんは楽譜を携えておられましたが、ほとんど
閉じられたままで、途中一、二度ちらっと見て確認するだけで、ほぼ暗譜
といっていいでしょう、それだけ自分のものにしておられました

作詩者のアルテンベルクは酒におぼれ、奇装・奇行の人だったようですが
その詩はそれほど破天荒なものではなく、韻は踏んでいない自由律のもの
で、ベルクはそれを朗読するようなテンポ感覚で曲付けしています
もちろん、音の動きは無調で跳躍が多く、ただの抑揚以上のものがあります
それに伴う管弦楽は、詩の印象に合わせ、けばけばしいものではなく
いかにもベルクらしい清澄でしかも豊かな響きです
マエストロ大野の言われる「豊饒」ということですね

続いてのラヴェルの左手については、午前中にスカパーで放映され録画
したままになっていたヴィトゲンシュタインのドキュメンタリーを観ました
恥ずかしながら、あの哲学者の兄であるという事は初めて知りました
Wikiにも書かれていることも多かったのですが、娘や弟子の証言も交えて
なかなか興味深い内容でした

それを踏まえての本日の演奏は、やはりずしりと重いものでした
第一次大戦で右手を失ったピアニストと、パイロットを志しながら年齢と
健康上の理由でそれを諦めた作曲家の執念のようなものが感じられます
この曲を初めて生で聴いたのは、安川加寿子女史による演奏でした
女性でもこんなに雄渾な演奏ができるものかと驚いた記憶がありますが
作曲者と初演者の意気込みがそうさせたのでしょうね
この曲もまた編成の大きなオケが「豊饒な」音楽を奏でます

ソリストアンコールは、独奏者のピエール=ロマン・エマールにより曲名
アナウンスがありましたが「ナントカシオン」という部分しか聞き取れず
弾き始めるとかなりの前衛的作風です(これはメシアンではないな)
後で発表されたのを見ると、なるほどブーレーズでしたか
今年亡くなったので追悼の意味もあるのでしょうね

休憩を挟んでのメインであるマーラーは、前半とは逆にそれほど編成は
大きくありません(マーラーにしては)
ソリストはベルクと同じ天羽さんで、ベルクの時は詩の内容に合わせた
暗いシルクグレーのドレスでしたが、今度は天上の音楽ということで純白の
ドレスにお色直し、やはり譜面持参でしたがここでも見ることはほとんどなし
第3楽章の終わりでオーケストラが盛り上がって終楽章のテーマが鳴り響く
ところで登場しました(やはりそうしますよね、マーラーもそれを当て込んで
この部分を作曲したのではあるまいか)

編成は大きくないものの、マエストロはアゴーギクを自在に動かし、
様々な楽器に割り当てられたテーマをくっきり浮かび上がらせ、行き届いた
コントロール力を見せます(先日の二期会でのシモーネ・ヤングの几帳面
ではあるものの、面白みのない指揮振りとは大違い)

この曲はアバド指揮ヴィーン・フィルで聴くと、かなり濃厚なヴィーン情緒が
感じられるのですが、マエストロ大野は特にそれには拘らないみたいです
第1楽章のヴァイオリンによるテーマも、アバドはポルタメントを掛けるの
ですが、大野さんはむしろスタカート気味にさらりと演奏します
しかし全体像としてはとても考え抜かれた構築性が感じ取れます

公演パンフの解説によると、この曲(特に終楽章)は、副題である「大いなる
喜びの讃歌」という呼び名から考えられる楽天的なものではなく、ブラック・
ユーモアとも言えるものである、とのことらしいです
ワタシは残念ながらそこまでブラックなものは感じ取ることができませんでした
ただ、解説により「当初のアイディアであった第2楽章に置かれるべき歌曲
『この世の生活』で飢え死にした子供が夢見る天上の生活が終楽章の世界
なのだ」という説明には深く動かされました
それを思うと終楽章に現れるとりどりの御馳走が、ひたすら哀れであります

エレフラのために公演振替して得をしたような気分の演奏会でした
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