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2016年10月04日07:45

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「天皇陛下の生前退位」

 この「天皇陛下の生前退位」と言う表現も大嫌いなのですが、そう書かないとお読みくださる方々に分かりにくいので、新聞表現に従ったまでです。で、何を言いたいかと言うと、「天皇陛下のお言葉」があったから・・とか、「皇室典範の問題だ」とか、「憲法改正が必要だ」とか・・・・。それに「朝まで生テレビ」などの浅薄な議論「天皇制がぁ〜〜」とか、「皇室の事情に詳しい学者」とか・・・・。

 違うだろう?そんな『GHQ脳』で日本の皇室の在り方を論じられたら、日本は日本で無くなるのじゃないかと言う危機感が迫ります。「皇室の存在」は、実は戦後のGHQの7000余の「「発禁図書」によって「日本精神を鼓舞し、皇室の伝統を貴ぶあらゆる思想書」を日本中の書庫や書店から消してしまったこと」で、何も知らない戦後教育を受けた浅学の政治家や学者が知ったかぶりを振りかざし、時に感情的な情緒を交えて主張しますが、ではなぜ徳川時代も水戸学派が「大日本史」をはじめとして連綿と皇統の歴史を編纂し、維新前夜の志士たちが何を読んで、何に刺激を受けて、何を意気に感じて命を懸けて新政府擁立に奔走したのか?その明治政府を盤石なものにするために、どれだけ多くの明治の重鎮が命がけで奮闘したのか?そこを抜きにして些細な「譲位議論」をされたら、栄えある2676年の歴史を持つ皇室が崩れ去る引き金になりかねないと思うのです。

 僕も、その道に詳しいわけではないので、生意気なことは言えませんが、書かれたものによると古くは北畠親房の「神皇正統記」にその源流があり、そこから何百年もの間、いろんな方々が「日本の国体の在り方」について研究され、「維新回転」の思想的原点は藤田東湖、会沢正志斎などで、そのもとは山鹿素行、本居宣長、賀茂真淵、平田篤胤、頼山陽に繋がるものとされており、そこから1687年に書かれた浅見炯斎の「靖献遺言」が「勤皇志士の聖典」と呼ばれた書物や、栗山潜峰と言う水戸光圀の「大日本史」の編纂にかかわった学者の「保建大記」のように、「後白河天皇」の即位から崩御までの38年間の皇室の衰微と武家の台頭をもたらした「戦国動乱」の原因を訴求した考察など、今日の皇室がどのような歴史の中で形作られてきたかを研究した数々の名著がGHQの「発禁図書」の中に含まれているのです。

それどころか、昭和20年の終戦に当たり、大日本帝国があれほど拘った「国体の護持」と言うものが、すっかりウヤムヤニされて「GHQ製の憲法」と「アメリカ隷従の国体」と「飾りとしての天皇陛下」の中で、本来国民が論じるべきでない内容にまで踏み込んで勝手に議論すること自体が異様なことではないかと思います。もっと卑近な例で考えても、僕らの「家督相続」とか、「家業の隠居相続」とかは部外者の介入すべき問題ではないのであって、その家の都合や考え方で決められるものを、まして皇室のような部外者の知りえない立場と伝統の中での判断を陛下自らの御意志が反映できずに一部の「有識者」の『意見』で仕切られるというのは『筋違い』ではないかと思います。

 と言うより2676年の歴史の中で、天皇陛下の「譲位」を強いたのは、藤原氏や平氏のような恣意的な権力者であって国民ではなかったハズであり、国民が介入するなんて「不敬罪」ではないのかと言う疑問さえ湧きます。生テレビの議論の中で偉そうに「皇室は私たちの税金で賄われているから・・・」などと言う輩がいますが、外国の王室が聞いたらあきれてしまうでしょう。そんなバカな議論がまかり通るのであれば、宮様の結婚相手も国会審議が要る、皇室の会計監査も国会審議が要るなどと言う暴論が出てきかねません。先に申しました、「水戸学派」のどこを探しても「七生報国、君 君たらずとも 臣 臣たるべし」の忠君思想ばかりで、天下国家のために「国防強化」を説き、版籍を剥奪されたり、安政の大獄で捕縛されて獄死した藩士まで居たのです。

 これからも連綿と日本の繁栄の心棒として皇室が続いて行くためには、キチンとした「皇統の歴史」を十分に踏まえて世界に仰がれる皇室のあり方を実現していただきたいと切に願うものです。
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