一部に熱狂的ファンを持つマルク・ミンコフスキが昨年に続いて都響に登場です
といっても、昨年は「作曲家の肖像シリーズ〜ビゼー」だったので定期を振るのは
今回が初めてです(だからワタシにとっても初めて)
昨年は超満員だったそうですが、今年は都響のウェブサイトで「当日券あり」の告知
実際に会場に入ってみると、思ったより空席が目立ちます
演奏曲目がルーセルの「バッカスとアリアーヌ」にブルックナーの0番という人を食ったもの
集客力のあるプログラミングとしないところがミンコフスキ流なのでしょうか
まず、ルーセルは例の「ナクソス島のアリアドネ」の物語をバレエ化したものの付随音楽
シュトラウスのオペラのように「人間の孤独の象徴としてのアリアドネ」ではなく
バッカスが表れた後、テセウスを追い払って魔力に物言わせてアリアーヌを魅惑し
二人で乱舞するという筋書きですので、賑やかでカラフルな音楽でした
小太りなミンコフスキが、体をゆすってリズミカルにきびきびと指揮する様子は
なんとなく北村協一先生を思い出してしまいました
都響のフランス物というと、まだジャン・フルネが存命の頃、フランクの交響曲を振ると
とたんに馥郁たる香りが漂い、フルネの魔法に触れた思いがしたものですが
今日は曲が曲で、フランスの香りというよりは、どちらかというとストラヴィンスキーの様な
バーバリスティックなサウンドで、ミンコフスキの真価を理解するところまでには至りませんでした
ただ、非常に楽しげに、「この曲はこんなに素敵なんだよ」と言っているかのようで
多彩な曲を巧みに描き分けているところが魅力なのかもしれません
休憩をはさんでブルックナーの0番交響曲
ワタシの持っているカラヤン/BPOの全集には収められていませんので、聞くのは初めて
これが期待よりはるかに美しく、敬虔な祈りの込められた優れものでした
第1番より前に作曲されたので0番かと思いきや、実際には2番に相当するらしい
それをお蔵入りにして、しかし破棄することはせずに、遺言で0番とするように望んだとのこと
0とは順番ではなく"null"を意味するらしいです
ミンコフスキは単に演奏するだけではなく、あたかも今この曲が作曲され聴衆に披露されて
いるかのように、細かいところまで丹念に振り分けていました
指揮ぶりが細やかというわけでもなく、しかし紡ぎだされる音がそれぞれ意味を持って
提示されること、先日のゴレンシュテイン/東響のチャイコ5番とはえらい違いでした
振り終わると静寂が訪れ、それを引き裂くような艶消しのbravoは、しかし我慢しましょう
叫ばずにはいられなかった気持ちもわからぬではない
熱狂的ファンがいることも納得であります
拍手に応えてブルックナーのスコアを示し、「ほらね、こんなに素敵な曲だったでしょう」と
作曲家とその作品に対する賞賛の拍手を促していました
人を食った選曲だなんて思ったことを反省しなくちゃ
ブルックナーはこの曲をお蔵入りにはしたけれど、決して破棄はしなかった
それは正しかったのだとミンコフスキに教えてもらった気がします
来シーズンの都響への登壇予定はないようですが、オーケストラ・アンサンブル金沢の
首席客演指揮者なので、またその魅力ある音楽づくりに触れる機会があるかもしれません
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