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2015年12月09日00:25

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雑談想  ネトゲを巡る夫婦の問題

 この妻が『自分や家庭のことをもっと見てほしいから』というのなら判るんだけど…。けど、「もっと仕事に集中してほしいから」というのはなんでしょう? それは「自分のためにもっと、ちゃんと稼いで!」という、夫の収入に依存しているにも関わらず消費欲求や自己顕示欲は人一倍あるという女性なんじゃないかとちょっと疑問に思わせるんです。

 けど、一方で『ネトゲのアカウント』を捨てられたくらいで離婚を言い出す夫もどうかと思う。ネトゲはあくまでネット上の仮想空間のサークルであって、それはどこまでいってもリアルな自分ではない、代償作用、補完機能としての消費空間でしかないのだ。こういう事を書くからと言って、「お前はネトゲをやらないから、そういう事を言うんだろう」とは思わないでほしい。別に現在も、やってます。

 けど、ネトゲするにしろ『距離』は大事だと思うんですね。気晴らしやちょっとした解消のために…というのを忘れて没頭すると、あきらかにリアルの自分がおいてけぼりになります。ネットだとちょっとの時間投資とお金の投資で、『強く』なって認められるんですね。けど、そもそもだけど、ネトゲやる暇があったら、本当はリアルの自分をステップアップさせるために時間とお金を投資すべきです。特に若い人はね。

 で、妻から「ネトゲはもうやめて!」と言われてアカウント削除されたら、「…俺が悪かったよ。これからは、仕事とお前を見つめて生きるよ」……と、ドラマみたいなクサいセリフ吐いて、日常に頑張るべきなんだと思うのです。どんなに古くて、ステロタイプでもね。

 けど、この記事に対して、「離婚されて当然」みたいな意見が多いことが、やはり時代だと思うんですね。『一番に優先されるべきは、自分の欲求』というのが、若い世代を中心に当たり前になっている。『自己』が価値判断の基本基軸で、それが当然と信じて疑ってない。

 こういう意見を見れば、例えば『地方はどうかしらんけど、都心には電力が必要だから原発は必要』とか、『日本(自分たち)に米軍の傘が必要だから、沖縄の連中は我慢しろ』みたいな国勢が出てくるのも当然という気がするのです。そこには『他者』を慮って、その他者の事情を含めた上で価値判断をする『民主性』が欠けてるわけです。

 現在、はっきり言って多くの人は「民主性」を「多数性」と勘違いしてますが、間違いです。少数者も含め、「すべての人の幸福追求権」が、民主的であることの基本理念です。『人権』ってものが、なんで近代民主主義の根幹にあるのかよく考えてみましょう。少数者の人権を踏みにじるような決定は、「民主的」とは言わないのです。

 まあ、そんな大掛かりな話じゃなくても、こんな人もいるでしょう。「妻は離婚するかもしれないが、自分の趣味は一生もの!」 まあ、それもいいかとは思います。けど、実はことネトゲということになると、それもどうかな? とは思うのです。

 というのも、実はネトゲで『ハマる』タイプのものというのは、単純な成果クリア型ではなく、ユーザー同士のコミュニティを装備してるものが多いからです。で、ハマる理由というのはつまるところ、「ネット空間では、自分の存在が認められる」ということに尽きるからです。

 反論を先取りして言うと、「ネット上の仮想人格で認められる面白さと、現実の自分が認められることは質が違う」とは思います。けど、恐らくですが、リアルの自分が本当にリアルの世界で認められ、必要とされていれば、仮想空間の仮想人格で認められることはそれほ必要ない人が大半じゃないでしょうか? たとえば、「どうしても自分は、異性の人格を装ったうえで認められることに喜びを感じる」みたいな人もいるとは思いますが。

 まあ究極的に言うと、「ネット<リアルなんて価値観はもう古い!」ということも言えるでしょう。古いかもしれないですね。けど、僕は経験的に、家族がいてリアルで強くなる喜びというものを知っているので、ネット上での面白さがあるのを知りつつも、それがリアルの幸せを上回るとはやはり思わないのです。が、この際、僕の一個人の経験に基づく価値観はおいておきましょう。

 危険だ、と思うのは、この「ネット>リアル」という価値観でもいいじゃないか、ということを成立させる前提である、「自己>他者」の基盤です。いや、本当に危険なのは、以前はむしろ「仮想は現実以上にはならない」とか、「結局は他者を重んじなければ、人は幸福感(承認欲求)を満たすことはできない」と、以前はセイフティが働いたものが、簡単に『ネット』のなかで実現されうる、ということそれ自体の危険性です。

 もっと言うと、この危険に無自覚である、ということそのものの危険性がそこにあります。つまり、「自分の欲求は何よりも重要」という価値観を、需要として応えてしまうものが存在する、という現実に対して批判的な観点をもってない…という危険性です。この批判的観点がないと、人はどんどんと自己の欲求を満たす装置にハマっていき、究極的には依存症になります。

 たとえばアルコールや麻薬依存などのケースは、肉体的な被害がでるので、最終的には自分自身が物理的に立ち行かなくなるので判りやすいです。けど、一方でネット依存、あるいはセックス依存とか盗癖等は、少なくとも肉体的には障害はでません。盗癖は逮捕される危険性がありますが、ネットやセックス依存の場合、特に罰されることもありません。

 けど、依存は依存なんですね。あきらかに「それがないと精神の安定を欠く」ところにまで行っていて、それは極めて危険な精神状態と言えるのです。実際、ネトゲ廃人で死亡したケースが韓国などにはあります。睡眠不足と疲労の結果なんでしょうけど、それは麻薬のように自己の健全な健康チェックや、社会的常識に基づく事態の価値判断を欠如した状態なのです。

 …ちょっと話は大仰で重いですか。そんな大げさなところまでいかなくても…うん、もっともです。じゃあ、夫婦の問題、ということに限定しましょう。

 そもそもなんですが、この妻は本当に夫を「愛している」のでしょうか? それとも「収入源」として重要、と思ってるにすぎないのでしょうか? 記事だけでは本当のところは判りません。僕が引っかかったのはやはり、「もっと仕事に…」という、妻側の動機です。

 以前に、某SNSでこんな相談を見ました。「夫がうつ病になりました。どうしたら別れられるかアドバイスをください」。……言うまでもなく、『愛情』なんてかけらもないケースです。けど、もしかしたらこの妻は、自分が「愛情の欠落した人間だ」ということに無自覚かもしれませんね。『愛情』というものを、「夫が金持ってきてくれることに対する互応性」と考えると、「夫が金を持ってこない以上、自分が何も提出しないのは当たり前」と思ってるかもしれません。

 けど、これは断言しておきますが、こういう人は『愛情』というものを持ってない人です。パートナーが自分自身で立てないような状況になった時、本当の「愛情」が試されます。そこで「自分の方が可愛い」と思う人は、愛情の「ない」人間だと自覚すべきです。そういう人に、特にかける言葉はありません。僕はそういう人が、本当の意味で『幸福』を得るとも思ってませんので。

 で、話を戻しますが、仮にこのアカウント破棄妻が「愛情」は持っていたとしたら、この妻はやはり事前に「話し合う」べきだった、とは思います。「お願いだから、これからの私たちの未来のために、あなたがネトゲに割いている時間を、私たちの未来のために使ってください」と話し合うべきでした。まあけど、こういう話し合いが苦手、あるいは自身の本意をそこまでうまく言語表現できる人ばかりではない、とも思います。

 ので、思い余って、あるいは思慮が足らずにアカウント削除されて夫はどう対応すべきだったか。やはり僕は、怒るべきは怒るべきだと思いますが、『そこまでさせてしまった自分』の挙動を、やはり『二人の未来』のために改めて考えるべきだったと思います。自分の欲求が最優先…ということをまずおいて、『二人の未来』のために、何が大事なのか、をもう一度振り返るいい機会を、妻が作ってくれたと考えるべきです。

 そもそも、価値観も育ちも違う2人が一緒に暮らすのが夫婦です。けど、その「違い」を互いに理解して、歩み寄ったり、適切な距離を取ったりするのも、夫婦に必要なことです。こういう、二人の間に大きなヒビの入るような事件て、本当は二人の間を以前よりもっと深くするいい機会なんですね、本当は。僕はそう思うのです。だから「妻は離婚されて当然」というような短絡な思考が、それだけ自分の幸福にマイナスになるか…は、考えてみてほしい、と僕は思ったのでした。


 


妻が夫のネトゲアカウントを無断で断捨離が話題
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=159&from=diary&id=3750040
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