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2015年08月31日17:58

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グラウンディングと鉄 その7 細胞内コンステレーション

 ファミリーコンステレーションのワーク技法を使って、細胞内にある核(遺伝子を内包)、ミトコンドリア(エネルギー産生)、リボゾーム(タンパク質合成の場=その細胞のかたちとはたらきが決まる)の3つの要素の動きを見守ってみたことがあるのですが……

 核は中心にあって不動であり、ミトコンドリアは、その核に対して献身的忠誠的、リボゾームはやんちゃで遊びたいばかりの子供のようにタンパク質合成の仕事からエスケープしようとしている……

 ……それは、ほんとに不思議な動きでした……

 周知の通り、核内に保存されている23対の染色体(核外に存在しているミトコンドリア固有染色体は別)には、その細胞がとりうるあらゆる可能性の種子、夢が遺伝子のかたちで宿されています……けれどもこれを現実化するためには、ミトコンドリアから供給されるエネルギー、その夢を物質化するために必要な力が不可欠であり、これら二つの力が合わさることで、初めて子としてのタンパク合成が行われ、その細胞の具体的なかたちと機能が定まってくるのです。

 コンステレーションを開いて意外だったのは、ミトコンドリア側から送られる、夢見る核に対する圧倒的な無償の愛というか、つきない献身のまなざしでした。

 遠い遠い過去の時代に、ミトコンドリアは、核を有する細胞に一目惚れをして、ポニョが宗介の元に押しかけたように有核細胞のもとを訪れ一緒に暮らすようになり、やがてひとつの細胞として溶け合い合体し、現在のぼくたちの細胞の土台をつくりあげた……というのが真の物語なのかもしれません。

 
 女性原理は物質に根をおろしている。
 肉体に根をおろしている。
 だが、男は夢を見る。男は夢想家だ。
 男性原理というのは夢見の原理だ。


 女性は現実的で、地に足をつけている。
 女性は現世的だ。
 男性原理は大空のようであり、
 女性原理は大地のようだ。
 男は未知なるものを夢見、計画を練り、望み、それにあこがれる。
 男は冒険家 であり、
 自分をとらえている夢にいつでも生命を賭ける用意ができている。


 男であれ女であれ、
 すべての人のなかにあるアニマ(女性原理)を克服しなければならない。
 なぜか?
 それはアニマが形であり、肉体であり、物質だからだ。
 精神が主人にならなければいけない。
 精神が肉体の上に君臨しなければいけない。
 精神が肉体を従わさせなければいけないのであって、その逆ではだめだ。
 だから、男であろうと女であろうと関係ない。
 内なるアニマ(女性原理)をアニムス(男性原理)に従属させなければならない。
 なぜなら、アニムスのみが探求し、探索することができるからだ。
 そして女性が後からついてくるなら、
 アニムスは実在の奥底まで分け入ってゆくことができる。


 詩人が、背後に女性がついていて、
 自分を支えてくれていることを知っているなら、
 彼の詩は高く高く舞い上がることができる。
 女性がいつもそばにいてくれることがわかると、
 男はじつに逞しくなる。
 彼はどんな冒険にもおもむくことができる。
 女性がそばにいてくれないと感じるやいなや、
 彼は気力を失ってしまう。
 今や彼には夢しかない。が、その夢は無力だ。
 その夢にはもはやエネルギーがなく、実現されえない。

 ものを実現させる力は女性にある。夢見る力は男にある。

 
 神、あるいは真理の探究においては、
 男が先頭に立ち、女が従わなければならない。
 あなたの内側では、アニムスが師になり、
 アニマが弟子にならなければいけない。
 そして、もう一度くり返すが、
 あなたが男であるか女であるかは関係ない。


 落ち着きという原理は女性的であり、
 落ち着きのなさという原理は男性的だ。
 女性がまろやかで美しく、男性が絶えず熱を帯びているのはそのためだ。

 だが、成長するためには落ち着きのなさという原理が必要になる。
 なぜなら、成長とは変化を意味するからだ。
 女性は基本的に古い型を守ろうとし、
 男性は基本的に古い型を破ろうとする。
 女性はつねに現状を支持するが、
 男性はたとえ愚かな革命であっても はじめようと待ち構えている。
 変化してゆくものなら、何でも男は支持する。
 状況が良くなろうが、悪くなろうが、それは大したことではない。
 変 わ る こ と が 善 なのだ。
 女性はいつも古いもの、確立されたものを指示する。
 それが良いか悪いかは問題ではない。
 「いつもそうだったのだから、そうあるべきよ」というわけだ。

  成長するためには、
 あなたの内にあるよどみの原理が溶け去る必要がある。
 あなたの内なる女性は凍りついている。
 あなたが川になれるよう、その女性を溶かさなければならない。
 だが、川はまた両岸の力も借りなければならない---
 岸辺は動かないことを覚えておきなさい。
 もし両岸がなかったら、川はけっして大海にたどり着けない。
 そして水が凍っていたら、川はけっして大海にたどり着けない。
 だから川は溶けて水にならなければならないが、
 それでも動かない岸辺の力を借りなければならない。

 全な人間というのは、
 みずからの活動的な側面を川として使い、
 みずからの静的な側面を岸辺として使う者をいう。
 それが完全なバランスだ。
 そうなったら、あなたは成長するために アニムスを使い、
 その成長をつかのまの現象ではなく、
 確たるものにするためにアニマを使ったことになる。


 私のここでの努力はそれに尽きる
 ---あなたのアニムスをアニマ の支配から解き放つこと。
 ひとたびアニムスがアニマの支配から 解き放たれたなら、
 私たちはアニマをも使うことができる。
 だが、まずは解き放たれることが先だ。
 私がしきりに動的な瞑想の技法を勧めるのはそのためだ。
 ごくまれに坐禅やヴィパッサナをするよう勧めることがあるが、
 それはその人のアニムスが流れているのがわかるときだけだ。
 今や彼らはアニマを使うことができる。

 ヴィパッサナや坐禅はアニマの技法、女性的な技法だ。
 スーフィ・ダンス、ダイナミック瞑想、ナタラジはアニムスの技法だ。
 まず最初は川にならなければいけない。
 そうしてはじめて岸辺を支えとして使うことができる。


     OSHO『黄金の華の秘密』第五章;アニムスとアニマ

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