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2015年04月16日20:54

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私的反武満徹論

マイミクの方が、日記で武満徹、それも、特に
「ノヴェンバーステップス」を絶賛されていたので、
この曲の構成上の問題点を指摘したところ、
速攻でマイミクを切ってきた。
武満オタは、議論も出来ないのか?
たぶん、盲目的に惚れ込んでいるだけであろう。

「ノヴェンバーステップス」は、オケと純邦楽(尺八&琵琶)が
交代に演奏しあう、という構成である。
それは、まるで別々の曲を聴くような奇妙さである。
そして、両者が同時に演奏することは、ほとんどない。

岩城宏之(だったか)は、この曲の構成について、
「西洋文化と東洋文化は融合しない」と
述べていたが、そういうメッセージを受け取ってしまえば
もう、この曲からは得られるものは、何もないのではないか?

あと、3回目の邦楽デュオのみの演奏。
10分以上もある。
明らかに長過ぎる。緊張感を維持できていない。退屈極まりない。
(「ノヴェンバーステップス」に感動したという人は
この部分について、ぜひ説明して欲しい。
芸術作品は、緊張感が持続できなくてもいいのか?退屈でもいいのか?)

純邦楽の楽器とオーケストラとの組み合わせによる現代曲だと、
「ノヴェンバー」のほかに

野田暉行「変容」
諸井誠「協奏三章」
高橋悠治「鳥も使いか」

などがある。
そして、これらの作品が「ノヴェンバー」より劣っているとは
とても思えないのだ。

「ノヴェンバー」以降、武満の作品は
楽曲構成への意思がいっそう希薄となる。

弦楽四重奏「ア・ウェイ・ア・ローン」では
A→B→C→D→E→F→Gという感じ。
構成する必要ありません、ということだろうか。

しかし、芸術作品の根本は造型なのではないか。
少なくとも、武満の1970年以降の作品は
聴きてに物足りない思いをさせるものが多いと思う。

「地平線のドーリア」あたりで、彼の芸術は終わりなのではないか。

あと、もうひとつ、武満徹を絶賛した音楽家、批評家連中に対して。

岩城宏之
「20世紀の三大作曲家はストラヴィンスキー、バルトーク、武満です」
ところが、別のインタビューでは
「20世紀の三大作曲家はストラヴィンスキー、メシアン、武満です」
といっていた。
もう、いうまでもないだろう。この男には
誠実な姿勢が全く欠落しているのだ。
この男が日本の現代音楽の最大の宣伝マンなのである。
それは本当に不幸な事であったと思うのだ。

秋山邦晴
彼の著書「日本の作曲家たち」に矢代秋雄が入っていないが
三枝成彰や水野修孝は入っている。
この人、そもそも音楽的素養がどれくらいあるのだろう?
特に古典音楽の作曲技術などについて。
単なる「前衛オタク」ではないのか。
職業は「詩人」らしいが。ひょっとすると無職の別称か?

吉田秀和
かれの武満評は「現代音楽を考える」(全集にももちろん入っている)
などで読むことができるが
その手放しの絶賛の嵐は、常軌を逸していると思う。
そんなにいいのか?
本職を忘れていないか?

さらにたちの悪いことに、彼は、武満を絶賛しまくったあと
とっとと現代音楽から足を洗ってしまった。
その後の批評を読むと、まるで
「現代音楽?そんなの、関わったことすらありません」
というニュアンスすら感じてしまう。

本当に現代音楽に対する理解があるなら
そこから逃げるように去る必要があるだろうか?
武満絶賛の嵐も、そうとう怪しいものだと思う。

こんな人たちが、武満の人気を支えていたわけだ。


というわけで、批判の連続になってしまったが、
武満の再評価には、誠実な識者が必要だということは
ぜひ言っておきたい。

うさんくさい指揮者や、いかがわしい前衛芸術家、
素人はくれぐれもお断りだ。


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