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2012年02月11日20:09

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我が国家論。

建国記念日だからといって、別にかしこまることもなく、いつものように国旗を門に掲げた。私が祝日を旗日と言うのは、この習慣のためだ。
しかし。
過去、オヤジの代で、国旗を掲揚するとは感心だと上から見下ろすように右翼の大物が挨拶に来たことがあるが、右も左もねえ、日本人ならあたりめえだろうが、あたりめえのことにいちいち感極まってるんじゃねえやと一喝して追い返したオヤジの姿勢は、息子の私にもそのまま受け継がれている。右翼も嫌いだが、左翼も同様に嫌いである。
じゃあ、どっち寄りなんだと聞かれたら、三島由紀夫のような官能的右翼だと答えることにしている。だったら、11月25日の憂国忌に行ってるかと詰め寄られたら、あんな右翼よがりのイベントに行くわきゃねえだろう、バカ野郎と突き飛ばすのが常だ。
実際、一度行って、三島を我が国の烈士と崇め奉る雰囲気にものすごく閉口した。

官能的右翼とはもちろん、ほんとうの右翼ではなく、単なる方言で、自分自身の官能性に浸り、それを極めるという生き方だ。要は、三島は国家をダシにして、徹底的に自分自身の官能を完成させたのである。

ケンタの代になって、台東区の左翼のなにがしという人が国旗掲揚が目障りだからやめるように進言しに来た。話を聞いたのは私で、当然、ふざけるなと拒否した。そしたら口を忙しく動かして、あれやこれやと議論をふっかけてきた。
「神風特攻隊というのがありましたよね、あれはイスラムのテロリストの自爆と全く同じなんですよ、そう思いませんか?思わないとしたら、あなたはテロリストと同じだ」
これには反論の代わりに、右ストレートを食らわしてやった。テロリスト扱いされた以上、お望み通りテロリズムに訴えるのが筋だと思ったからであった。

そんなことを思い出しながら、以前、マイミクさんにステレオタイプなのではないかと言われたことも思い出した。右でもない、左でもない、どっちつかずという姿勢であればそう思われるのも仕方がない。
しかし、私はそれでも、祝日には粛々と国旗掲揚する一国民なのである。

日本とは何か。
それは浅草の観光客を見れば分かる。

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はちまきのなかでイチバン売れているのは、「神風」である。クラッシュを聴いたことがある世代でも、そうでない世代でも、「神風」のはちまきを我先にと買い求めている。
ユカタだの、カタナだのを買い求めるのと同じように、日本のイメージを集約しているからだ。
サムライ、ニンジャ、ゲイシャ、そしてヘンタイ、ヤオイのイメージを持たれている以上は、どんなに否定してもそれが地球上における日本そのものなのだ。

日本人であるのがうらやましい、ボクも日本に生まれたかったという若いアメリカ人にWHY?と聞いてみるがいい、答えは決まってこうだ、「クールでエキサイティングだから」。

即ち、我々は常にクールでエキサイティングでいなければならないわけで、退屈とはほど遠い生活を送るのが当たり前、と。心配しなくても、今では地震、放射能、無能な国家のせいで心休まる日のない日々を送っているのだけれども、周囲の国々の目、また自国の右翼、左翼の目を気にせずとも、日本国に生まれた以上は、カミカゼの国の人間なのであり、日の丸の赤い血が流れる日本人なのである。

そういう自覚を持つか、持てないか。その違いで、国家の行く末も変わってくるであろう。

結局、自分が何人であるかをズバッと言えない者は、自分自身からも自由であるわけがない。自由に国旗掲揚が出来ない者に、日本をまっすぐ見据えられるわけがないのだ。
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