ジャンク・フューチャー。
ごらんのように、複葉機が飛び交うメトロポリス、ゴッテリしたロボットのロビー、そしてウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」(もうキーボードを抱えて歩いたりしないのは分かりきっている)でさえも、現在では「その通りにやって来ない、外れた未来」のイメージを言う。
それで、ヴェルヌの時代に逆行して、未来を「意匠」したのがスチームパンクで、我が国では大友克洋の「スチームボーイ」が知られている。
基本的なイメージはこんな感じだ。
でもこれらは皆架空を前提にしたものであって、外れた未来であっても作家には責任はない。
しかし、1889年、商業デザイナーのジャン・マルク・コテはフランス世紀末の祭典の一環として、未来のイメージを「2000年までにはそうなるであろう」と自信たっぷりに描いたのである。
イラストは業者の倒産により、長らく封印されたままだったが、発掘されて、SF作家のアイザック・アシモフが嬉々として解説して紹介した。
我が国では石ノ森章太郎監修で「過去カラ来タ未来」と題して出版された。
本を機械に放り込んで自動的に音声化された情報が学生たちの耳に入るの図。
パソコンを使って授業をする現在から見たら、風刺以外のなにものでもないのだが、デカいコンピューターしか知らなかったアシモフは電子化された教育革命を予言していた。
エンジン付きのインラインスケートを楽しむの図。
これは現在でも実現していないが、安全上、この先も実現しないであろう。
アシモフも同じことを言っているが、技術に比例して遊びもより過激になるだろうという意味のことを述べている。
通勤用飛行機を交通整理している空飛ぶ警官の図。
もちろん現在では実現不可能だが、本質的には正しい予見だとアシモフは書いている。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「ブレードランナー」を思い出せば、我々は納得するであろう。
空飛ぶ郵便配達人の図。
これは個人的に実現するのではないかと見ている。
地上32階に住んでいる友人によると、宅急便を受け取るのにいちいち下の宅配ボックスに行くのが面倒くさいというので、トラックが空を飛べる時代がきたら、当然そういうサービスになるであろう。
寸法を計って服を自動的に仕上げるの図。
これも実現しそうなシステムだ。3Dでスキャンしてオーダーメイド。コストを抑えられれば、みんな自分に合った服を買うわけで、ユニクロもなくなっているかもしれない。
馬が珍獣として見世物にされるの図。
産業革命当時、馬車は時代遅れになるだろうと早々と予見されていたので、馬を見たこともない子供たちのために馬が見世物に出されると考えたようだ。
でもアシモフは競馬というギャンブルから人類は抜け出せないと見越していて、馬は少なくなっているだろうが、未来においても存在するだろうと述べている。
空飛ぶ消防士たちの図。警官といい、郵便配達人といい、昔はこんなチャチな装置で飛べると本気で考えていたようだ。ジュール・ヴェルヌの影響であろうか?でも、ヴェルヌは純然たる想像力と当時の博物学だけで物語を書いたのであり、装置の構図には科学的なこだわりを持たなかった。アシモフもいちいちツッコミを入れながら感想を述べているけれども、大先輩であるヴェルヌだけは擁護している。
移動式住宅の図。これは現在でいうトレーラーハウス。でも戸籍、地籍で人をその地に縛りつけるようになってからは、人間は身一つでしか移動出来なくなった。アシモフは単純に、移動出来るだけの広い道路は存在しなくなるであろうとツッコんでいる。
ラジウム暖房の図。世界で最初に核エネルギーの平和利用を描いたものと評価されるが、同時に、放射線の危険性が理解されていなかった時代ともいえる。アシモフの鋭いツッコミはいいとして、我が国の原発推進者たちはいまだにこの図のなかに生きているのではあるまいか。
他にもまだまだたくさんの図があるのだけれども、これらをごらんになってお分かりのように、占星術に向けられる願いと同様に、自分の未来を知りたいという欲求は、未来に美を求める。
美がかなわなかったものが、廃墟萌えであったり、スチームパンクであったり、ジャンク・フューチャーであったりするわけだが、美が他の姿に変わっただけなので、基本的に人間の願いと欲求はそれ自体が美しさの追求であると言えよう。
そういう美について一考するのに是非一読を。
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