山頭火の日記(昭和14年11月20日〜)十一月二十日 晴、好晴、行程六里、久万町、札所下、とみや。やっと夜が明けはじめた、いちめんの霧である、寒い寒い、手足が冷える(さすがに土佐は温かく伊予は寒いと思う)、瀬の音が高い、霧がうすらぐにつれて前面の山
山頭火の日記(昭和14年11月1日〜、四国遍路日記)『四国遍路日記』十一月一日 晴、行程七里、もみぢ屋という宿に泊る。――有明月のうつくしさ。今朝はいよいよ出発、更始一新、転一歩のたしかな一歩を踏み出さなければならない。七時出立、徳島へ向う(先夜
山頭火の日記(昭和14年5月19日〜、其中日記十五)『其中日記』(十五)五月十九日 晴。さらりと朝湯によごれを流して。――自分のうちのしたしさ、そしてむさくるしさ、わびしさ。日本晴、めつきり夏めいた。今日はアルコールなし!【其中日記(十五)】『其中日
山頭火の日記(昭和14年5月2日〜)五月二(ママ)日 曇、夕立、晴、満島泊。朝早く起きて散歩、山も水も人も快い。七時出立、まことによい宿だつた、昨日の宿にひきかへて安くもあつた、何となく気持がよろしい。行けるところまで歩くつもりで、水窪川(みさくぼ
山頭火の日記(昭和14年3月31日〜、道中記・昭和十四年)『道中記』(昭和十四年) 道中記三月卅一日 曇。夕方になつてやうやく出立、藤井さんに駅まで送つて貰つて。――春三君の芳志万謝、S屋で一献! 白船居訪問、とめられるのを辞して、待合室で夜明の
山頭火の日記(昭和14年1月1日〜、其中日記十四)『其中日記』(十四)一月一日 曇――雨。聖戦第三年、興亜新春、万歳万々歳。安眠、朝寝、身心平静。おめでたう、ありがたう。――起きるなり、水を汲みあげて腹いつぱい飲んだ、それは若水であり、そして酔醒の
山頭火の日記(昭和13年8月2日〜、其中日記十三の続)『其中日記』(十三の続) 旅日記八月二日 晴れて暑い、虹ヶ浜。午後三時の汽車で徳山へ、白船居で北朗君を待ち合せ、同道して虹ヶ浜へ。北朗君は一家をあげて連れて来てゐる、にぎやかなことである、そして
山頭火の日記(昭和13年5月28日〜、旅日記・昭和十三年)『旅日記』(昭和十三年)五月廿八日 廿九日 澄太居柊屋。やうやく旅立つことが出来た(旅費を送つて下さつた澄太緑平の二君にここで改めてお礼を申上げる)。八時出発、朝飯が足らなかつたから餅屋に寄
山頭火の日記(昭和13年5月1日〜、其中日記十三)『其中日記』(十三)五月一日 晴――曇――雨。早起、一風呂あびて一杯ひつかける、極楽々々! 七時のバスで帰庵。留守中に敬君や樹明君や誰かが来庵したらしい、すまなかつた、残念なことをした。何となく憂欝
山頭火の日記(昭和13年3月12日〜、道中記)『道中記』三月十二日 晴、春寒、笹鳴、そして出立――八幡。昨夜は夜通し眠れなかつた、出立前に、アメリカ同人の贈物ポピーを播いてをく! 今朝の誓願、今後は焼酎を飲むまいぞ、総じて火酒は私に向かない、火酒
山頭火の日記(昭和13年1月1日〜、其中日記十二)『其中日記』(十二) 知足安分。 他ノ短ヲ語ル勿レ。 己ノ長ヲ説ク勿レ。 応無所住而生其心。 独慎、俯仰天地に愧ぢず。 色即是空、空即是色。 誠ハ天ノ道ナリ、コレヲ誠ニスルハ人ノ道ナリ
山頭火の日記(昭和12年8月1日〜、其中日記十一)『其中日記』(十一) 自省自戒 節度ある生活、省みて疚しくない生活、悔のない生活。 孤独に落ちつけ。―― 物事を考へるはよろしい、考へなければならない、しかしクヨクヨするなかれ。
山頭火の日記(昭和12年1月1日〜、其中日記十)『其中日記』(十) 自戒三則 一、物を粗末にしないこと 一、腹を立てないこと 一、愚痴をいはないこと 誓願三章 一、無理をしないこと 一、後悔しないこと 一、自己に佞らないこと 欣求三条
山頭火の日記(昭和11年7月22日〜、其中日記九)『其中日記』(九) 昭和十一年(句稿別冊)七月二十二日 曇、晴、混沌として。広島の酔を乗せて、朝の五時前に小郡へ着いた。恥知らずめ! 不良老人め! お土産の酒三升は重かつたが、酒だから苦にはならなか
山頭火の日記(昭和11年5月31日〜)五月三十一日 雨。夢のやうに雨を聞いたが、やつぱり降つてゐる、昨日ここまで来てゐたことは(宿屋で断られて汽車に乗つたのだつたが)ほんたうによかつた、宿で降りこめられて旅費と時間とを浪費することは私のやうなもの
山頭火の日記(昭和11年5月2日〜)五月二日 曇。いよいよ東京をあとに、新宿から電車で八王子へ。多摩少年院に三洞君を訪ねる。夜は三洞居で丘の会句会。今日、久しぶりに豊次君に会つて話した、あの頃の事はいつもなつかしい、それにしてもお互に変つたもので
山頭火の日記(昭和11年1月1日〜、旅日記)『旅日記』年頭所感――芭蕉は芭蕉、良寛は良寛である、芭蕉にならうとしても芭蕉にはなりきれないし、良寛の真似をしたところで初まらない。私は私である、山頭火は山頭火である、芭蕉にならうとも思はないし、また、
山頭火の日記(昭和10年8月21日〜)八月廿一日 晴。初秋の朝の風光はとても快適だ、身心がひきしまるやうだ。どうやら私の生活も一転した、自分ながら転身一路のあざやかさに感じてゐる、したがつて句境も一転しなければならない、天地一枚、自他一如の純真が
山頭火の日記(昭和10年4月21日〜)四月二十一日 晴、そとをあるけば初夏を感じる。昨日は朝寝、今朝は早起、それもよし、あれもよし、私の境涯では「物みなよろし」でなければならないから(なかなか実際はさうでもないけれど)。常に死を前に――否、いつも
山頭火の日記(昭和10年1月1日〜、其中日記八)『其中日記』(八) 唐土の山の彼方にたつ雲は ここに焚く火の煙なりけり一月一日 雑草霽れてきた今日はお正月 草へ元旦の馬を放していつた 霽れて元日の水がたたへていつぱい けふは休業(や
山頭火の日記(昭和9年11月25日〜)十一月廿五日 曇、雨となる。誰か来さうな。……うすら寒い、火鉢を抱いて漫読。麦飯と松葉薬とが(消極的には酒を飲まずにゐたことが)胃の工合をほどよくしてくれた、ここに改めてお百姓さんと源三郎君とに感謝を捧げる。
山頭火の日記(昭和9年7月26日〜、其中日記七)『其中日記』(七) 花開時蝶来 蝶来時花開七月廿六日曇、雨、蒸暑かつた、山口行。心臓いよいよ弱り、酒がますます飲める、――飲みたい、まことに困つたことである。朝、学校の給仕さんがやつてきて、山
山頭火の日記(昭和9年7月1日〜)七月一日晴、つつましくすなほな生活を誓ふ。 こころあらためて七月朔日の朝露を踏む筍を観てゐると、それを押し出す土の力と、伸びあがるそれ自身の力とを感じる。ウソからホントウの自殺へ――彼は酔うて浪費つて、毒をのん
山頭火の日記(昭和9年5月28日〜)五月廿八日曇、后晴、また持ち直したらしい、よく続くことだ。ありがたい手紙をいただく(江畔老人から)。うつかりして百足に螫された、大していたまなくてよかつた、見たらいつも殺すのだから一度ぐらゐ螫されたつて腹も立て
山頭火の日記(昭和9年3月21日〜、其中日記六)『其中日記』(六) 旅日記 □東行記(友と遊ぶ) □水を味ふ(道中記) □病床雑記(飯田入院) □帰庵独臥(雑感)【行乞記(六)】『行乞記』(六)には、昭和9年3月21日から昭和9年7月25日までの日記
山頭火の日記(昭和9年2月4日〜、其中日記五)『其中日記』(五) おかげさまで、五十代四度目の、 其中庵二度目の春をむかへること ができました。 山頭火拝 天地人様【行乞記(五)】『行乞記』(五)には、昭和9年2
山頭火の日記(昭和8年9月11日〜、行乞記・広島尾道)『行乞記』(広島・尾道)九月十一日広島尾道地方へ旅立つ日だ、出立が六時をすぎたので急ぐ、朝曇がだんだん晴れて暑くなる、秋日はこたえる、汗が膏のやうに感じられるほどだ。中関町へ着いたのは十一時過ぎ
山頭火の日記(昭和8年8月28日〜、行乞記・大田から下関)『行乞記』(大田から下関)八月廿八日星晴れの空はうつくしかつた、朝露の道がすがすがしい、歩いてゐるうちに六時のサイレンが鳴つた、庵に放つたらかしいおいた樹明君はどうしたか知ら! 駄菓子のお婆
山頭火の日記(昭和8年8月8日〜、行乞記・仙崎)『行乞記』(仙崎)八月八日五時半出立、はつらつとして歩いてゐたら、犬がとびだしてきて吠えたてた、あまりしつこいので桂杖で一撃をくれてやつた、吠える犬はほんとうに臆病だつた。水声、蝉声、山色こまやかな
山頭火の日記(昭和8年7月14日〜、行乞記・大田)『行乞記』(大田)七月十四日ずゐぶん早く起きて仕度をしたけれど、あれこれと手間取つて七時出立、小郡の街はづれから行乞しはじめる。大田への道は山にそうてまがり水にそうてまがる、分け入る気分があつてよい