折口信夫『死者の書(1943)』 あらすじ・登場人物・章別あらすじ・系図あらすじ郎女(藤原南家の姫)は、二上山に現れる幻影(郎女を恋人と思い込む大津皇子の亡霊)に誘われるように、ふもとの万法蔵院(当麻寺)に入り込み、女人禁制を破った咎をあがなう
十八当麻(たぎま)の邑(むら)は、此頃、一本の草、一塊(ひとくれ)の石すら、光りを持つほど、賑(にぎわ)い充(み)ちて居る。当麻真人家(たぎまのまひとけ)の氏神当麻彦の社へ、祭り時に外れた昨今、急に、氏上の拝礼があった。故上総守老真人(かず
十六山の躑躅の色は、様々ある。一つ色のものだけが、一時に咲き出して、一時に萎(しぼ)む。そうして、凡一月は、後から後から替った色のが匂い出て、禿(は)げた岩も、一冬のうら枯れをとり返さぬ柴木山(しばきやま)も、若夏の青雲の下に、はでなかざし
十四貴人(うまびと)はうま人どち、やっこは奴隷(やっこ)どち、と言うからの――。何時見ても、大師は、微塵(みじん)曇りのない、円(まど)かな相好(そうごう)である。其に、ふるまいのおおどかなこと。若くから氏上(うじのかみ)で、数十家(け)の
十二怒りの滝のようになった額田部子古は、奈良に還(かえ)って、公に訴えると言い出した。大和国にも断って、寺の奴ばらを追い払って貰うとまで、いきまいた。大師を頭(かしら)に、横佩家に深い筋合いのある貴族たちの名をあげて、其方々からも、何分の御
横佩大納言と謂われた頃から、父は此二部を、自分の魂のように大事にして居た。ちょっと出る旅にも、大きやかな箱に納めて、一人分の資人(とねり)の荷として、持たせて行ったものである。其魂の書物を、姫の守りに留めておきながら、誰にも言わずにいたので
九兵部大輔(ひょうぶたいふ)大伴家持は、偶然この噂を、極めて早く耳にした。ちょうど、春分から二日目の朝、朱雀大路を南へ、馬をやって居た。二人ばかりの資人(とねり)が徒歩(かち)で、驚くほどに足早について行く。此は、晋唐の新しい文学の影響を、
七南家の郎女の神隠しに遭ったのは、其夜であった。家人は、翌朝空が霽れ、山々がなごりなく見えわたる時まで、気がつかずに居た。横佩墻内(よこはきかきつ)に住む限りの者は、男も、女も、上の空になって、洛中(らくちゅう)洛外(らくがい)を馳(は)せ
五おれは活(い)きた。闇(くら)い空間は、明りのようなものを漂していた。併し其は、蒼黒い靄(もや)の如く、たなびくものであった。巌ばかりであった。壁も、牀(とこ)も、梁(はり)も、巌であった。自身のからだすらが、既に、巌になって居たのだ。屋
四ひさかたの 天二上(あめふたかみ)に、我(あ)が登り 見れば、とぶとりの 明日香(あすか)ふる里の 神南備山隠(かむなびごも)り、家どころ 多(さは)に見え、豊(ゆた)にし 屋庭(やには)は見ゆ。弥彼方(いやをち)に
三万法蔵院の北の山陰に、昔から小な庵室(あんしつ)があった。昔からと言うのは、村人がすべて、そう信じて居たのである。荒廃すれば繕い繕いして、人は住まぬ廬に、孔雀明王像(くじゃくみょうおうぞう)が据えてあった。当麻の村人の中には、稀(まれ)に
二月は、依然として照って居た。山が高いので、光りにあたるものが少かった。山を照し、谷を輝かして、剰(あま)る光りは、又空に跳ね返って、残る隈々(くまぐま)までも、鮮やかにうつし出した。足もとには、沢山の峰があった。黒ずんで見える峰々が、入り
一彼(か)の人の眠りは、徐(しず)かに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱(よど)んでいるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、
第6章 マネーの偽りの歴史と国際金融資本権力の世界私は銀行業界は常備軍よりも危険だと信じている。そして財政支援という名目で後世につけをまわす歳出という原則は、後世の人々を騙すことだ。 トーマス・ジェファーソン(第3
あなたはおカネの仕組みにこうして騙されている もう騙されない!真の家計防衛マニュアル! 国家も家計も瀕死の状態に見える現在の日本。 その原因は、お金の創造者たちによって起きた問題だった。 お金の創造から無くなるまで、お金の歴
たただひたすらに作業をする、雑念を考えるのではなく、行動を通じて神仏に仕える時、「生死を離れ、神仏と一体になれる」のです。対人恐怖の人に一言注意しておきたいのは、自分は気が小さい、劣等である、それは生まれつきでどうにも仕方がないと行