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2019年12月26日17:18

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死者の書  折口信夫 10

十四

貴人(うまびと)はうま人どち、やっこは奴隷(やっこ)どち、と言うからの――。
何時見ても、大師は、微塵(みじん)曇りのない、円(まど)かな相好(そうごう)である。其に、ふるまいのおおどかなこと。若くから氏上(うじのかみ)で、数十家(け)の一族や、日本国中数万の氏人から立てられて来た家持も、じっと対(むこ)うていると、その静かな威に、圧せられるような気がして来る。
言わしておくがよい。奴隷たちは、とやかくと口さがないのが、其為事(しごと)よ。此身とお身とは、おなじ貴人じゃ。おのずから、話も合おうと言うもの。此身が、段々なり上(のぼ)ると、うま人までがおのずとやっこ心になり居って、いや嫉(ねた)むの、そねむの。
家持は、此が多聞天か、と心に問いかけて居た。だがどうも、そうは思われぬ。同じ、かたどって作るなら、とつい聯想(れんそう)が逸(そ)れて行く。八年前、越中国から帰った当座の、世の中の豊かな騒ぎが、思い出された。あれからすぐ、大仏開眼供養が行われたのであった。其時、近々と仰ぎ奉った尊容、八十種好(しゅごう)具足した、と謂(い)われる其相好が、誰やらに似ている、と感じた。其がその時は、どうしても思い浮ばずにしまった。その時の印象が、今ぴったり、的にあてはまって来たのである。
こうして対いあって居る主人の顔なり、姿なりが、其ままあの盧遮那(るさな)ほとけの俤だ、と言って、誰が否もう。
お身も、少し咄(はな)したら、ええではないか。官位(こうぶり)はこうぶり。昔ながらの氏は氏――。なあ、そう思わぬか。紫徴中台(しびちゅうだい)の、兵部省のと、位づけるのは、うき世の事だわ。家(うち)に居る時だけは、やはり神代以来の氏上づきあいが、ええ。
新しい唐の制度の模倣ばかりして、漢土(もろこし)の才(ざえ)が、やまと心に入り替ったと謂(い)われて居る此人が、こんな嬉しいことを言う。家持は、感謝したい気がした。理会者・同感者を、思いもうけぬ処に見つけ出した嬉しさだったのである。
お身は、宋玉や、王褒(おうほう)の書いた物を大分持って居ると言うが、太宰府へ行った時に、手に入れたのじゃな。あんな若い年で、わせだったのだのう。お身は――。お身の氏では、古麻呂(こまろ)。身の家に近しい者でも奈良麻呂。あれらは漢(かん)魏(ぎ)はおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせんから、言うがいない話じゃわ。
兵部大輔は、やっと話のつきほを捉えた。
お身さまのお話じゃが、わしは、賦の類には飽きました。どうもあれが、この四十面さげてもまだ、涙もろい歌や、詩の出て来る元になって居る――そうつくづく思いますじゃて。ところで近頃は、方(かた)を換えて、張文成を拾い読みすることにしました。この方が、なんぼか――。
大きに、其は、身も賛成じゃ。じゃが、お身がその年になっても、まだ二十(はたち)代の若い心や、瑞々(みずみず)しい顔を持って居るのは、宋玉のおかげじゃぞ。まだなかなか隠れては歩き居(お)る、と人の噂じゃが、嘘じゃなかろう。身が保証する。おれなどは、張文成ばかり古くから読み過ぎて、早く精気の尽きてしもうた心持ちがする。――じゃが全く、文成はええのう。あの仁(じん)に会うて来た者の話では、豬肥(いのこご)えのした、唯の漢土びとじゃったげなが、心はまるで、やまとのものと、一つと思うが、お身なら、諾(うべの)うてくれるだろうの。
文成に限る事ではおざらぬが、あちらの物は、読んで居て、知らぬ事ばかり教えられるようで、時々ふっと思い返すと、こんな思わざった考えを、いつの間にか、持っている――そんな空恐しい気さえすることが、ありますて。お身さまにも、そんな経験(おぼえ)は、おありでがな。
大ありおお有り。毎日毎日、其よ。しまいに、どうなるのじゃ。こんなに智慧づいては、と思われてならぬことが――。じゃが、女子(おみなご)だけには、まず当分、女部屋のほの暗い中で、こんな智慧づかぬ、のどかな心で居させたいものじゃ。第一其が、われわれ男の為じゃて。
家持は、此了解に富んだ貴人に向っては、何でも言ってよい、青年のような気が湧いて来た。
さようさよう。智慧を持ち初めては、あの欝(いぶせ)い女部屋には、じっとして居ませぬげな。第一、横佩墻内(よこはきかきつ)の――
此はいけぬ、と思った。同時に、此臆(おく)れた気の出るのが、自分を卑(ひく)くし、大伴氏を、昔の位置から自ら蹶落(けおと)す心なのだ、と感じる。
好(ええ)、好(ええ)。遠慮はやめやめ。氏上づきあいじゃもの。ほい又出た。おれはまだ、藤原の氏上に任ぜられた訣(わけ)じゃあ、なかったっけの。
瞬間、暗い顔をしたが、直にさっと眉の間から、輝きが出て来た。
身の女姪(めい)が神隠しにおうたあの話か。お身は、あの謎見たいないきさつを、そう解(と)るかね。ふん。いやおもしろい。女姪の姫も、定めて喜ぶじゃろう。実はこれまで、内々消息を遣して、小あたりにあたって見た、と言う口かね、お身も。
大きに。
今度は軽い心持ちが、大胆に押勝の話を受けとめた。
お身さまが経験(ためし)ずみじゃで、其で、郎女の才高(ざえだか)さと、男択びすることが訣(わか)りますな――。
此は――。額ざまに切りつけるぞ――。免(ゆる)せ免せと言うところじゃが、――あれはの、生れだちから違うものな。藤原の氏姫じゃからの。枚岡(ひらおか)の斎(いつ)き姫(ひめ)にあがる宿世(すくせ)を持って生れた者ゆえ、人間の男は、弾く、弾く、弾きとばす。近よるまいぞよ。ははははは。
大師は、笑いをぴたりと止めて、家持の顔を見ながら、きまじめな表情になった。
じゃがどうも――。聴き及んでのことと思うが、家出の前まで、阿弥陀経の千部写経をして居たと言うし、楽毅論(がっきろん)から、兄の殿の書いた元興寺縁起も、其前に手習いしたらしいし、まだまだ孝経などは、これぽっちの頃に習うた、と言うし、なかなかの女博士(おなごはかせ)での。楚辞(そじ)や、小説にうき身をやつす身や、お身は近よれぬわのう。霜月・師走の垣毀雪女(かいこぼちおなご)じゃもの。――どうして、其だけの女子(おみなご)が、神隠しなどに逢おうかい。
第一、場処が、あの当麻で見つかったと言いますからの――。
併し其は、藤原に全く縁のない処でもない。天二上(あめのふたかみ)は、中臣寿詞(なかとみのよごと)にもあるし……。斎(いつ)き姫(ひめ)もいや、人の妻と呼ばれるのもいや――で、尼になる気を起したのでないか、と考えると、もう不安で不安でのう。のどかな気持ちばかりでも居られぬて――。
押勝の眉は集って来て、皺(しわ)一つよせぬ美しい、この老いの見えぬ貴人の顔も、思いなし、ひずんで見えた。
何しろ、嫋女(たわやめ)は国の宝じゃでのう。出来ることなら、人の物にはせず、神の物にしておきたいところじゃが、――人間の高望みは、そうばかりもさせてはおきおらぬがい――。ともかく、むざむざ尼寺へやる訣(わけ)にはいかぬ。
じゃが、お身さま。一人出家すれば、と云う詞(ことば)が、この頃はやりになって居りますが…。
九族が天に生じて、何になるというのじゃ。宝は何百人かかっても、作り出せるものではないぞよ。どだい兄公殿(あにきどの)が、少し仏凝(ほとけご)りが過ぎるでのう――。自然内(うち)うらまで、そんな気風がしみこむようになったかも知れぬぞ――。時に、お身のみ館の郎女(いらつめ)も、そんな育てはしてあるまいな。其では、家(うち)の久須麻呂が泣きを見るからの。
人の悪いからかい笑みを浮べて、話を無理にでも脇へ釣り出そうと努めるのは、考えるのも切ない胸の中が察せられる。
兄公殿は氏上に、身は氏助(うじのすけ)と言う訣なのじゃが、肝腎(かんじん)斎き姫で、枚岡に居させられる叔母御は、もうよい年じゃ。去年春日祭りに、女使いで上られた姿を見て、神(かん)さびたものよ、と思うたぞ。今(も)一代此方から進ぜなかったら、斎き姫になる娘の多い北家の方が、すぐに取って替って、氏上に据るは。
兵部大輔にとっても、此はもう、他事(ひとごと)ではなかった。おなじ大伴幾流の中から、四代続いて氏上職を持ち堪(こた)えたのも、第一は宮廷の御恩徳もあるが、世の中のよせが重かったからである。其には、一番大事な条件として、美しい斎き姫が、後から後と此家に出て、とぎれることがなかった為でもある。大伴の家のは、表向き壻(むこ)どりさえして居ねば、子があっても、斎き姫は勤まる、と言う定めであった。今の阪上郎女(さかのうえのいらつめ)は、二人の女子(おみなご)を持って、やはり斎き姫である。此は、うっかり出来ない。此方(こちら)も藤原同様、叔母御が斎姫(いつき)で、まだそんな年でない、と思うているが、又どんなことで、他流の氏姫が、後を襲うことにならぬとも限らぬ。大伴・佐伯(さえき)の数知れぬ家々・人々が、外の大伴へ、頭をさげるようになってはならぬ。こう考えて来た家持の心の動揺などには、思いよりもせぬ風で、
こんな話は、よそほかの氏上に言うべきことでないが、兄公殿がああして、此先何年、難波にいても、太宰府に居ると言うが表面(おもて)だから、氏の祭りは、枚岡・春日と、二処に二度ずつ、其外、週(まわ)り年には、時々鹿島・香取の東路(あずまじ)のはてにある旧社(もとやしろ)の祭りまで、此方で勤めねばならぬ。実際よそほかの氏上よりも、此方の氏助ははたらいているのだが、――だから、自分で、氏上の気持ちになったりする。――もう一層なってしまうかな。お身はどう思う。こりゃ、答える訣にも行くまい。氏上に押し直ろうとしたところで、今の身の考え一つを抂(ま)げさせるものはない。上様方に於かせられて、お叱りの御沙汰を下しおかれぬ限りは――。
京中で、此恵美屋敷ほど、庭を嗜(たしな)んだ家はないと言う。門は、左京二条三坊に、北に向いて開いて居るが、主人家族の住いは、南を広く空けて、深々とした山斎(やま)が作ってある。其に入りこみの多い池を周(めぐ)らし、池の中の島も、飛鳥の宮風に造られて居た。東の中(なか)み門(かど)、西の中み門まで備って居る。どうかすると、庭と申そうより、寛々(かんかん)とした空き地の広くおありになる宮よりは、もっと手入れが届いて居そうな気がする。
庭を立派にして住んだ、うま人たちの末々の様が、兵部大輔の胸に来た。瞬間、憂欝(ゆううつ)な気持ちがかぶさって来て、前にいる大師の顔を見るのが、気の毒な様に思われる。
案じるなよ。庭が行き届き過ぎて居る、と思うてるのだろう。そんなことはないさ。庭はよくても、亡びた人ばかりはないさ。淡海公の御館はどうだ。どの筋でも引き継がずに、今に荒してはあるが、あの立派さは。それあの山部の何とか言った、地下(じげ)の召し人の歌よみが、おれの三十になったばかりの頃、「昔見し旧(ふる)き堤は、年深み……年深み、池の渚(なぎさ)に、水草(みくさ)生ひにけり」とよんだ位だが、其後が、これ此様に、四流にも岐(わか)れて栄えている。もっとあるぞ――。なに、庭などによるものじゃないわ。
恃(たの)む所の深い此あて人は、庭の風景の、目立った個処個処を指摘しながら、其拠る所を、日本(やまと)・漢土(もろこし)に渉(わた)って説明した。
長い廊を、数人の童(わらわ)が続いて来る。
日ずかしです。お召しあがり下されましょう。
改って、簡単な饗応(きょうおう)の挨拶をした。まろうどに、早く酒を献じなさい、と言っている間に、美しい采女(うねめ)が、盃を額より高く捧げて出た。
おお、それだけ受けて頂けばよい。舞いぶりを一つ、見て貰いなさい。
家持は、何を考えても、先を越す敏感な主人に対して、唯虚心で居るより外は、なかった。
うねめは、大伴の氏上へは、まだくださらぬのだったね。藤原では、存知でもあろうが、先例が早くからあって、淡海公が、近江の宮から頂戴した故事で、頂く習慣になって居ります。
時々、こんな畏(かしこ)まったもの言いもまじえる。兵部大輔は、自身の語(ことば)づかいにも、初中終(しょっちゅう)、気扱いをせねばならなかった。
氏上もな、身が執心で、兄公殿を太宰府へ追いまくって、後にすわろうとするのだ、と言う奴があるといの――。やっぱり「奴はやっこどち」じゃの。そう思うよ。時に女姪(めい)の姫だが――。
さすがの聡明(そうめい)第一の大師も、酒の量は少かった。其が、今日は幾分いけた、と見えて、話が循環して来た。家持は、一度はぐらかされた緒口(いとぐち)に、とりついた気で、
横佩墻内(よこはきかきつ)の郎女は、どうなるでしょう。社・寺、それとも宮――。どちらへ向いても、神さびた一生。あったら惜しいものでおありだ。
気にするな。気にするな。気にしたとて、どう出来るものか。此は――もう、人間の手へは、戻らぬかも知れんぞ。
末は、独り言になって居た。そうして、急に考え深い目を凝した。池へ落した水音は、未(ひつじ)がさがると、寒々と聞えて来る。
早く、躑躅(つつじ)の照る時分になってくれぬかなあ。一年中で、この庭の一番よい時が、待ちどおしいぞ。
大師藤原恵美押勝朝臣の声は、若々しい、純な欲望の外、何の響きもまじえて居なかった。

十五

つた つた つた。
郎女は、一向(ひたすら)、あの音の歩み寄って来る畏(おそろ)しい夜更けを、待つようになった。おとといよりは昨日、昨日よりは今日という風に、其跫音(あしおと)が間遠になって行き、此頃はふつに音せぬようになった。その氷の山に対(むこ)うて居るような、骨の疼(うず)く戦慄(せんりつ)の快感、其が失せて行くのを虞(おそ)れるように、姫は夜毎、鶏のうたい出すまでは、殆、祈る心で待ち続けて居る。
絶望のまま、幾晩も仰ぎ寝たきりで、目は昼よりも寤(さ)めて居た。其間に起る夜の間の現象には、一切心が留らなかった。現にあれほど、郎女の心を有頂天に引き上げた頂板(つし)の面(おもて)の光り輪にすら、明盲(あきじ)いのように、注意は惹(ひ)かれなくなった。ここに来て、疾(と)くに、七日は過ぎ、十日・半月になった。山も、野も、春のけしきが整うて居た。野茨(のいばら)の花のようだった小桜が散り過ぎて、其に次ぐ山桜が、谷から峰かけて、断続しながら咲いているのも見える。麦原(むぎふ)は、驚くばかり伸び、里人の野為事(しごと)に出た姿が、終日、そのあたりに動いている。
都から来た人たちの中、何時までこの山陰に、春を起き臥すことか、と侘(わ)びる者が殖えて行った。廬堂(いおりどう)の近くに掘り立てた板屋に、こう長びくとは思わなかったし、まだどれだけ続くかも知れぬ此生活に、家ある者は、妻子に会うことばかりを考えた。親に養われる者は、家の父母の外にも、隠れた恋人を思う心が、切々として来るのである。女たちは、こうした場合にも、平気に近い感情で居られる長い暮しの習しに馴れて、何かと為事を考えてはして居る。女方の小屋は、男のとは別に、もっと廬に接して建てられて居た。
身狭乳母(むさのちおも)の思いやりから、男たちの多くは、唯さえ小人数な奈良の御館(みたち)の番に行け、と言って還(かえ)され、長老(おとな)一人の外は、唯雑用(ぞうよう)をする童と、奴隷(やっこ)位しか残らなかった。
乳母(おも)や、若人たちも、薄々は帳台の中で夜を久しく起きている、郎女(いらつめ)の様子を感じ出して居た。でも、なぜそう夜深く溜(た)め息(いき)ついたり、うなされたりするか、知る筈のない昔かたぎの女たちである。
やはり、郎女の魂(たま)があくがれ出て、心が空しくなって居るもの、と単純に考えて居る。ある女は、魂ごいの為に、山尋ねの咒術(おこない)をして見たらどうだろう、と言った。
乳母は一口に言い消した。姫様、当麻(たぎま)に御安著(あんちゃく)なされた其夜、奈良の御館へ計わずに、私にした当麻真人の家人たちの山尋ねが、わるい結果を呼んだのだ。当麻語部とか謂(い)った蠱物(まじもの)使いのような婆が、出しゃばっての差配が、こんな事を惹(ひ)き起したのだ。
その節、山の峠(たわ)の塚で起った不思議は、噂になって、この貴人(うまびと)一家の者にも、知れ渡って居た。あらぬ者の魂を呼び出して、郎女様におつけ申しあげたに違いない。もうもう、軽はずみな咒術は思いとまることにしよう。こうして、魂(たま)の游離(あくが)れ出た処の近くにさえ居れば、やがては、元のお身になり戻り遊されることだろう。こんな風に考えて、乳母は唯、気長に気ながに、と女たちを諭し諭しした。こんな事をして居る中に、早一月も過ぎて、桜の後、暫らく寂しかった山に、躑躅(つつじ)が燃え立った。足も行かれぬ崖の上や、巌の腹などに、一群(ひとむら)一群咲いて居るのが、奥山の春は今だ、となのって居るようである。
ある日は、山へ山へと、里の娘ばかりが上って行くのを見た。凡(およそ)数十人の若い女が、何処で宿ったのか、其次の日、てんでに赤い山の花を髪にかざして、降りて来た。廬の庭から見あげた若女房の一人が、山の躑躅林が練って降るようだ、と声をあげた。
ぞよぞよと廬の前を通る時、皆頭をさげて行った。其中の二三人が、つくねんとして暮す若人たちの慰みに呼び入れられて、板屋の端へ来た。当麻の田居も、今は苗代時(なわしろどき)である。やがては田植えをする。其時は、見に出やしゃれ。こんな身でも、其時はずんと、おなごぶりが上るぞな、と笑う者もあった。
ここの田居の中で、植え初めの田は、腰折れ田と言うて、都までも聞えた物語りのある田じゃげな。
若人たちは、又例の蠱物姥(まじものうば)の古語りであろう、とまぜ返す。ともあれ、こうして、山ごもりに上った娘だけに、今年の田の早処女が当ります。其しるしが此じゃ、と大事そうに、頭の躑躅に触れて見せた。
もっと変った話を聞かせぬかえと誘われて、身分に高下はあっても、同じ若い同士のこととて、色々な田舎咄(いなかばなし)をして行った。其を後(のち)に乳母たちが聴いて、気にしたことがあった。山ごもりして居ると、小屋の上の崖をどうどうと踏みおりて来る者がある。ようべ、真夜中のことである。一様にうなされて、苦しい息をついていると、音はそのまま、真下へ真下へ、降って行った。がらがらと、岩の崩(く)える響き。――ちょうど其が、此盧堂の真上の高処(たか)に当って居た。こんな処に道はない筈じゃが、と今朝起きぬけに見ると、案の定、赤岩の大崩崖(おおなぎ)。ようべの音は、音ばかりで、ちっとも痕(あと)は残って居なかった。
其で思い合せられるのは、此頃ちょくちょく、子(ね)から丑(うし)の間に、里から見えるこのあたりの峰(お)の上(え)に、光り物がしたり、時ならぬ一時颪(いっときおろし)の凄い唸(うな)りが、聞えたりする。今までついに聞かぬこと。里人は唯こう、恐れ謹しんで居る、とも言った。
こんな話を残して行った里の娘たちも、苗代田の畔(あぜ)に、めいめいのかざしの躑躅花を挿して帰った。其は昼のこと、田舎は田舎らしい閨(ねや)の中に、今は寝ついたであろう。夜はひた更けに、更けて行く。
昼の恐れのなごりに、寝苦しがって居た女たちも、おびえ疲れに寝入ってしまった。頭上の崖で、寝鳥の鳴き声がした。郎女は、まどろんだとも思わぬ目を、ふっと開いた。続いて今ひと響き、びしとしたのは、鳥などの、翼ぐるめひき裂かれたらしい音である。だが其だけで、山は音どころか、生き物も絶えたように、虚しい空間の闇に、時間が立って行った。
郎女の額(ぬか)の上の天井の光の暈(かさ)が、ほのぼのと白んで来る。明りの隈(くま)はあちこちに偏倚(かたよ)って、光りを竪(たて)にくぎって行く。と見る間に、ぱっと明るくなる。そこに大きな花。蒼白い菫(すみれ)。その花びらが、幾つにも分けて見せる隈、仏の花の青蓮華(しょうれんげ)と言うものであろうか。郎女の目には、何とも知れぬ浄(きよ)らかな花が、車輪のように、宙にぱっと開いている。仄暗(ほのぐら)い蕋(しべ)の処に、むらむらと雲のように、動くものがある。黄金の蕋をふりわける。其は黄金の髪である。髪の中から匂い出た荘厳な顔。閉じた目が、憂いを持って、見おろして居る。ああ肩・胸・顕(あら)わな肌。――冷え冷えとした白い肌。おお おいとおしい。
郎女は、自身の声に、目が覚めた。夢から続いて、口は尚夢のように、語を逐(お)うて居た。
おいとおしい。お寒かろうに――。


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