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2019年12月26日17:19

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死者の書  折口信夫 11

十六

山の躑躅の色は、様々ある。一つ色のものだけが、一時に咲き出して、一時に萎(しぼ)む。そうして、凡一月は、後から後から替った色のが匂い出て、禿(は)げた岩も、一冬のうら枯れをとり返さぬ柴木山(しばきやま)も、若夏の青雲の下に、はでなかざしをつける。其間に、藤の短い花房が、白く又紫に垂れて、老い木の幹の高さを、せつなく、寂しく見せる。下草に交って、馬酔木(あしび)が雪のように咲いても、花めいた心を、誰に起させることもなしに、過ぎるのがあわれである。
もう此頃になると、山は厭(いと)わしいほど緑に埋れ、谷は深々と、繁りに隠されてしまう。郭公(かっこう)は早く鳴き嗄(か)らし、時鳥(ほととぎす)が替って、日も夜も鳴く。
草の花が、どっと怒濤(どとう)の寄せるように咲き出して、山全体が花原見たようになって行く。里の麦は刈り急がれ、田の原は一様に青みわたって、もうこんなに伸びたか、と驚くほどになる。家の庭苑(その)にも、立ち替り咲き替って、栽(う)え木(き)、草花が、何処まで盛り続けるかと思われる。だが其も一盛りで、坪はひそまり返ったような時が来る。池には葦が伸び、蒲(がま)が秀(ほ)き、藺(い)が抽(ぬき)んでて来る。遅々として、併し忘れた頃に、俄(にわ)かに伸(の)し上るように育つのは、蓮の葉であった。

前年から今年にかけて、海の彼方の新羅の暴状が、目立って棄て置かれぬものに見えて来た。太宰府からは、軍船を新造して新羅征伐の設けをせよ、と言う命のお降(くだ)しを、度々都へ請うておこして居た。此忙しい時に、偶然流人太宰員外帥(だざいいんがいのそつ)として、難波に居た横佩家(よこはきけ)の豊成は、思いがけぬ日々を送らねばならなかった。
都の姫の事は、子古の口から聴いて知ったし、又、京・難波の間を往来する頻繁な公私の使いに、文をことづてる事は易かったけれども、どう処置してよいか、途方に昏(く)れた。ちょっと見は何でもない事の様で、実は重大な、家の大事である。其だけに、常の優柔不断な心癖は、益々つのるばかりであった。
寺々の知音に寄せて、当麻寺へ、よい様に命じてくれる様に、と書いてもやった。又処置方について伺うた横佩墻内の家の長老(とね)・刀自(とじ)たちへは、ひたすら、汝等の主の郎女(いらつめ)を護って居れ、と言うような、抽象風なことを、答えて来たりした。
次の消息には、何かと具体した仰せつけがあるだろう、と待って居る間に、日が立ち、月が過ぎて行くばかりである。其間にも、姫の失われたと見える魂が、お身に戻るか、其だけの望みで、人々は、山村に止って居た。物思いに、屈託ばかりもして居ぬ若人たちは、もう池のほとりにおり立って、伸びた蓮の茎を切り集め出した。其を見て居た寺の婢女(めやっこ)が、其はまだ若い、もう半月もおかねばと言って、寺領の一部に、蓮根を取る為に作ってあった蓮田(はちすだ)へ、案内しよう、と言い出した。あて人の家自身が、それぞれ、農村の大家(おおやけ)であった。其が次第に、官人(つかさびと)らしい姿に更(かわ)って来ても、家庭の生活には、何時までたっても、何処か農家らしい様子が、残って居た。家構えにも、屋敷の広場(にわ)にも、家の中の雑用具(ぞうようぐ)にも。第一、女たちの生活は、起居(たちい)ふるまいなり、服装なりは、優雅に優雅にと変っては行ったが、やはり昔の農家の家内(やうち)の匂いがつき纏(まと)うて離れなかった。刈り上げの秋になると、夫と離れて暮す年頃に達した夫人などは、よく其家の遠い田荘(なりどころ)へ行って、数日を過して来るような習しも、絶えることなく、くり返されて居た。
だから、刀自たちは固(もと)より若人らも、つくねんと女部屋の薄暗がりに、明し暮して居るのではなかった。てんでに、自分の出た村方の手芸を覚えて居て、其を、仕える君の為に為出(しいだ)そう、と出精してはたらいた。
裳(も)の襞(ひだ)を作るのに珍(な)い術(て)を持った女などが、何でもないことで、とりわけ重宝がられた。袖(そで)の先につける鰭袖(はたそで)を美しく為立てて、其に、珍しい縫いとりをする女なども居た。こんなのは、どの家庭にもある話でなく、こう言う若人をおきあてた家は、一つのよい見てくれを世間に持つ事になるのだ。一般に、染めや、裁ち縫いが、家々の顔見合わぬ女どうしの競技のように、もてはやされた。摺(す)り染めや、擣(う)ち染めの技術も、女たちの間には、目立たぬ進歩が年々にあったが、浸(ひ)で染めの為の染料が、韓の技工人(てびと)の影響から、途方もなく変化した。紫と謂(い)っても、茜(あかね)と謂っても皆、昔の様な、染め漿(しお)の処置(とりあつかい)はせなくなった。そうして、染め上りも、艶々しく、はでなものになって来た。表向きは、こうした色の禁令が、次第に行きわたって来たけれど、家の女部屋までは、官(かみ)の目も届くはずはなかった。
家庭の主婦が、居まわりの人を促したてて、自身も精励してするような為事は、あて人の家では、刀自等の受け持ちであった。若人たちも、田畠に出ぬと言うばかりで、家の中での為事は、まだ見参(まいりまみえ)をせずにいた田舎暮しの時分と、大差はなかった。とりわけ違うのは、其家々の神々に仕えると言う、誇りはあるが、小むつかしい事がつけ加えられて居る位のことである。外出には、下人たちの見ぬ様に、笠を深々とかずき、其下には、更に薄帛(うすぎぬ)を垂らして出かけた。
一時(いっとき)たたぬ中に、婢女ばかりでなく、自身たちも、田におりたったと見えて、泥だらけになって、若人たち十数人は戻って来た。皆手に手に、張り切って発育した、蓮の茎を抱えて、廬(いおり)の前に並んだのには、常々くすりとも笑わぬ乳母(おも)たちさえ、腹の皮をよって、切ながった。
郎女様。御覧(ごろう)じませ。
竪帳(たつばり)を手でのけて、姫に見せるだけが、やっとのことであった。
ほう――。
何が笑うべきものか、何が憎むに値するものか、一切知らぬ上※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)(じょうろう)には、唯常と変った皆の姿が、羨(うらやま)しく思われた。
この身も、その田居とやらにおり立ちたい――。
めっそうなこと、仰せられます。
めっそうな。きまって、誇張した顔と口との表現で答えることも、此ごろ、この小社会で行われ出した。何から何まで縛りつけるような、身狭乳母(むさのちおも)に対する反感も、此ものまねで幾分、いり合せがつく様な気がするのであろう。
其日からもう、若人たちの糸縒(いとよ)りは初まった。夜は、閨(ねや)の闇の中で寝る女たちには、稀(まれ)に男の声を聞くこともある、奈良の垣内(かきつ)住いが、恋しかった。朝になると又、何もかも忘れたようになって績(う)み貯(た)める。
そうした糸の、六かせ七かせを持って出て、郎女に見せたのは、其数日後であった。
乳母よ。この糸は、蝶鳥の翼よりも美しいが、蜘蛛(くも)の巣(い)より弱く見えるがよ――。
郎女は、久しぶりでにっこりした。労を犒(ねぎら)うと共に、考えの足らぬのを憐むようである。刀自は、驚いて姫の詞(ことば)を堰(せ)き止めた。
なる程、此は脆(さく)過ぎまする。
女たちは、板屋に戻っても、長く、健やかな喜びを、皆して語って居た。
全く些(すこ)しの悪意もまじえずに、言いたいままの気持ちから、
田居とやらへ[#「田居とやらへ」は底本では「田舎とやらへ」]おりたちたい――、
を反覆した。
刀自は、若人を呼び集めて、
もっと、きれぬ糸を作り出さねば、物はない。
と言った。女たちの中の一人が、
それでは、刀自に、何ぞよい御思案が――。
さればの――。
昔を守ることばかりはいかついが、新しいことの考えは唯、尋常(よのつね)の婆の如く、愚かしかった。
ゆくりない声が、郎女の口から洩(も)れた。
この身の考えることが、出来ることか試して見や。
うま人を軽侮することを、神への忌みとして居た昔人である。だが、かすかな軽(かる)しめに似た気持ちが、皆の心に動いた。
夏引きの麻生(おふ)の麻(あさ)を績むように、そして、もっと日ざらしよく、細くこまやかに――。
郎女は、目に見えぬもののさとしを、心の上で綴って行くように、語を吐いた。
板屋の前には、俄(にわ)かに、蓮の茎が乾し並べられた。そうして其が乾くと、谷の澱(よど)みに持ち下りて浸す。浸しては晒(さら)し、晒しては水に漬(ひ)でた幾日の後、筵(むしろ)の上で槌(つち)の音高く、こもごも、交々(こもごも)と叩き柔らげた。
その勤(いそ)しみを、郎女も時には、端近くいざり出て見て居た。咎(とが)めようとしても、思いつめたような目して、見入って居る姫を見ると、刀自は口を開くことが出来なくなった。
日晒しの茎を、八針(やつはり)に裂き、其を又、幾針にも裂く。郎女の物言わぬまなざしが、じっと若人たちの手もとをまもって居る。果ては、刀自も言い出した。
私も、績みましょう。
績みに績み、又績みに績んだ。藕糸(はすいと)のまるがせが、日に日に殖えて、廬堂の中に、次第に高く積まれて行った。
もう今日は、みな月に入る日じゃの――。
暦の事を言われて、刀自はぎょっとした。ほんに、今日こそ、氷室(ひむろ)の朔日(ついたち)じゃ。そう思う下から歯の根のあわぬような悪感を覚えた。大昔から、暦は聖(ひじり)の与(あずか)る道と考えて来た。其で、男女は唯、長老の言うがままに、時の来又去った事を教わって、村や、家の行事を進めて行くばかりであった。だから、教えぬに日月を語ることは、極めて聡(さと)い人の事として居た頃である。愈々(いよいよ)魂をとり戻されたのか、と瞻(まも)りながら、はらはらして居る乳母(おも)であった。唯、郎女(いらつめ)は復(また)、秋分の日の近づいて来て居ることを、心にと言うよりは、身の内に、そくそくと感じ初めて居たのである。蓮は、池のも、田居のも、極度に長(た)けて、莟(つぼみ)の大きくふくらんだのも、見え出した。婢女(めやっこ)は、今が刈りしおだ、と教えたので、若人たちは、皆手も足も泥にして、又田に立ち暮す日が続いた。

十七

彼岸中日 秋分の夕。朝曇り後晴れて、海のように深碧(ふかみどり)に凪(な)いだ空に、昼過ぎて、白い雲が頻(しき)りにちぎれちぎれに飛んだ。其が門渡(とわた)る船と見えている内に、暴風(あらし)である。空は愈々(いよいよ)青澄み、昏(くら)くなる頃には、藍(あい)の様に色濃くなって行った。見あげる山の端は、横雲の空のように、茜色(あかねいろ)に輝いて居る。
大山颪(おおやまおろし)。木の葉も、枝も、顔に吹きつけられる程の物は、皆活(い)きて青かった。板屋は吹きあげられそうに、煽(あお)りきしんだ。若人たちは、悉(ことごと)く郎女の廬(いおり)に上って、刀自(とじ)を中に、心を一つにして、ひしと顔を寄せた。ただ互の顔の見えるばかりの緊張した気持ちの間に、刻々に移って行く風。西から真正面(まとも)に吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して来た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向ってひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、空様(そらざま)に枝を掻き上げられた様になって、悲鳴を続けた。谷から峰(お)の上(へ)に生え上(のぼ)って居る萱原(かやはら)は、一様に上へ上へと糶(せ)り昇るように、葉裏を返して扱(こ)き上げられた。
家の中は、もう暗くなった。だがまだ見える庭先の明りは、黄にかっきりと、物の一つ一つを、鮮やかに見せて居た。
郎女様が――。
誰かの声である。皆、頭の毛が空へのぼる程、ぎょっとした。其が、何だと言われずとも、すべての心が、一度に了解して居た。言い難い恐怖にかみずった女たちは、誰一人声を出す者も居なかった。
身狭乳母は、今の今まで、姫の側に寄って、後から姫を抱えて居たのである。皆の人はけはいで、覚め難い夢から覚めたように、目をみひらくと、ああ、何時の間にか、姫は嫗(おむな)の両腕(もろうで)両膝の間には、居させられぬ。一時に、慟哭(どうこく)するような感激が来た。だが長い訓練が、老女の心をとり戻した。凛(りん)として、反り返る様な力が、湧き上った。
誰(た)ぞ、弓を――。鳴弦(つるうち)じゃ。
人を待つ間もなかった。彼女自身、壁代(かべしろ)に寄せかけて置いた白木の檀弓(まゆみ)をとり上げて居た。
それ皆の衆――。反閇(あしぶみ)ぞ。もっと声高(こわだか)に――。あっし、あっし、それ、あっしあっし……。
若人たちも、一人一人の心は、疾(と)くに飛んで行ってしまって居た。唯一つの声で、警※(けいひつ)[#「馬+畢」、U+9A46、198-下段-5]を発し、反閇(へんばい)した。
あっし あっし。
あっし あっし あっし。
狭い廬(いおり)の中を蹈(ふ)んで廻った。脇目からは、遶道(にょうどう)する群れのように。
郎女様は、こちらに御座りますか。
万法蔵院の婢女が、息をきらして走って来て、何時もなら、許されて居ぬ無作法で、近々と、廬の砌(みぎり)に立って叫んだ。
なに――。
皆の口が、一つであった。
郎女様か、と思われるあて人が――、み寺の門(かど)に立って居さっせるのを見たで、知らせにまいりました。
今度は、乳母一人の声が答えた。
なに、み寺の門に。
婢女を先に、行道の群れは、小石を飛す嵐の中を、早足に練り出した。
あっし あっし あっし ……。
声は、遠くからも聞えた。大風をつき抜く様な鋭声(とごえ)が、野面(のづら)に伝わる。
万法蔵院は、実に寂(せき)として居た。山風は物忘れした様に、鎮まって居た。夕闇はそろそろ、かぶさって来て居るのに、山裾のひらけた処を占めた寺庭は、白砂が、昼の明りに輝いていた。ここからよく見える二上の頂は、広く、赤々と夕映えている。
姫は、山田の道場の※(「片+總のつくり」、第3水準1-87-68)(まど)から仰ぐ空の狭さを悲しんでいる間に、何時かここまで来て居たのである。浄域を穢(けが)した物忌みにこもっている身、と言うことを忘れさせぬものが、其でも心の隅にあったのであろう。門の閾(しきみ)から、伸び上るようにして、山の際(は)の空を見入って居た。
暫らくおだやんで居た嵐が、又山に廻ったらしい。だが、寺は物音もない黄昏(たそがれ)だ。
男岳(おのかみ)と女岳(めのかみ)との間になだれをなした大きな曲線(たわ)が、又次第に両方へ聳(そそ)って行っている、此二つの峰の間の広い空際。薄れかかった茜の雲が、急に輝き出して、白銀の炎をあげて来る。山の間(ま)に充満して居た夕闇は、光りに照されて、紫だって動きはじめた。
そうして暫らくは、外に動くもののない明るさ。山の空は、唯白々として、照り出されて居た。肌 肩 脇 胸 豊かな姿が、山の尾上の松原の上に現れた。併し、俤(おもかげ)に見つづけた其顔ばかりは、ほの暗かった。
今すこし著(しる)く み姿顕(あらわ)したまえ――。
郎女の口よりも、皮膚をつんざいて、あげた叫びである。山腹の紫は、雲となって靉(たなび)き、次第次第に降(さが)る様に見えた。
明るいのは、山際ばかりではなかった。地上は、砂(いさご)の数もよまれるほどである。
しずかに しずかに雲はおりて来る。万法蔵院の香殿・講堂・塔婆・楼閣・山門・僧房・庫裡(くり)、悉(ことごと)く金に、朱に、青に、昼より著(いちじる)く見え、自ら光りを発して居た。
庭の砂の上にすれすれに、雲は揺曳(ようえい)して、そこにありありと半身を顕した尊者の姿が、手にとる様に見えた。匂いやかな笑みを含んだ顔が、はじめて、まともに郎女に向けられた。伏し目に半ば閉じられた目は、此時、姫を認めたように、清(すず)しく見ひらいた。軽くつぐんだ脣(くちびる)は、この女性(にょしょう)に向うて、物を告げてでも居るように、ほぐれて見えた。
郎女は尊さに、目の低(た)れて来る思いがした。だが、此時を過してはと思う一心で、御姿(みすがた)から、目をそらさなかった。
あて人を讃えるものと、思いこんだあの詞(ことば)が、又心から迸(ほとばし)り出た。
なも 阿弥陀(あみだ)ほとけ。あなとうと 阿弥陀ほとけ。
瞬間に明りが薄れて行って、まのあたりに見える雲も、雲の上の尊者の姿も、ほのぼのと暗くなり、段々に高く、又高く上って行く。姫が、目送する間もない程であった。忽(たちまち)、二上山の山の端に溶け入るように消えて、まっくらな空ばかりの、たなびく夜に、なって居た。
あっし あっし。
足を蹈み、前(さき)を駆(お)う声が、耳もとまで近づいて来ていた。

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