それは友達と買い物に出掛けた日のことでした。レジに友達と並び、私は友達の後ろに並んでいたら急に友達が「あいつアホか?」と小さな声で言うから私は何が起きたか聞くと、それはお釣りを貰う時に手のひらをくぼませずのばしていたということだった・・そん
ゲームセンターやモールは人が沢山居るのが普通だけれど、私の旦那さんは「あんな人が多いところは嫌い」と言いながらも目的の為なら文句言わずに行くけれど、目的が終わるとサッと帰るから私はアセアセと動かなくてはいけないそんな旦那さんにうって変
本当に旦那さんと出会う前は「私は次の恋なんてできない」なんて思っていたけど、まさかの松田聖子が言ってたビビッとくるものなんだね〜。旦那さん以外の人と付き合ってきても何となく一人の時間が楽しかったりしてて恋人らしい時間すら過ごせてなかったけど
結婚してから2年目が経つけど、やはり恋人同士の時みたいには行かず、外食なんてめっきり減り、仕事と家事で時間が消えてく生活になり、少し物悲しくなるのが増えてきた。今までは愚痴をこぼす暇さえなく、たんたんとこなしてきたから何も考えることがなかっ
前から好きだったけど、まんぷくでしっかりした役柄だからもっと好きになった〜まさか同じ歳だとは知らなかったなぁ〜あの落ち着いた喋り方がなんとも癒されるし、あの顔で甘えてこられたなら何でもしてあげたくなる母性本能くすぐられる良さだ
あの頃はふたりとも恋に慣れてなくてお互いがお互いを好きな感情が空回りしまくりいつもあなたが笑って許してくれた優しさに甘え過ぎていつの間にかふたりは離れ離れあなたの故郷へ電車に揺られて私は会いに行ってたけれど私はあなたに心を許しすぎて恋人じゃ
あなたと出逢ったのは22歳の冬だった。たまたま私が出勤途中に原チャリに乗った私は事故を起こしてしまい、1週間の安静に仕事を休んでいたら、ある日家に男性が御見舞いに来てくれたので玄関へ行くと彼は花束を私にくれた。「えっ?これドラマに出てくるパタ
20代前半の頃にそれは起きた・・妹(私より5cm高く、見た目は怖い感じ)と一緒にプリクラ機で並んで居たら女子高生らしき4人くらいが私をジロジロ見てくるではないか!私は「妹が隣に居るから黙っておこう」と一瞬思ったのに視線はまだ続き
題からして一瞬、「え?」と思ったけどそこに書かれていたのは【期待して裏切られると心が痛いでしょ?だから二重人格だと人によって裏表を使い分ければ傷つかずに済むのです!】・・好きで二重人格になってる人って居るのか?と思わされたが、その方が
中西保志の「最後の雨」を聴いてるのは別に忘れられない恋があるわけでもなく、ただ単に中西保志の美声(歌声が大好きなだけ)に酔いしれてるだけなのだそれを旦那さんはあまりにも意味深な歌詞が出てくるものだから気になったのだが、私が自分から恋をし
失恋ソングの中によく目をするのは「あなたが小さくなってゆく」「あの日に戻れない」「忘れられない」だけど私はそんなたいそうな恋をしてきたことがないから過去に付き合った人を忘れられなかったことがないしっかり忘れてて何かに取り組んでる。20代
私はとんと無器用である。もっと器用ならばあの人みたいにニコニコできるのにと。でも、そんなニコニコさんがある話をする時は哀しげな顔をした・・。皆の前ではしない深い話を何故か初対面の私に話してくれた。私はその哀しげな顔を見ながら黙って話を聞いて
昔っから恋愛気質じゃなかったから誰かを好きになることに疎くて【この人が好き!】ってなのがなかったなぁ・・。だから付き合うことすら考えたくもなく、告白しないし、されても好きになれないから長く続かなかった・・仕事は好きでいつの間にかキャリアウー
今夜は月末だったこともあり仕事が定時に上がれず外は真っ暗。帰り道に外灯が9つくらい連なってる場所があって不思議と外灯が順番に「お疲れ様」「よく頑張ったね」と微笑んでる様に見えた。私は心の中で「ありがとう」と返した。私はなんせ中学2年の頃は本気
何に対してもウジウジしたことがなかった私はやっぱり恋愛もアッサリ過ぎていて気にしたことがなかった別れ達も仕事が順調で突っ走ってる時に助けられて、悲しみも寂しさも仕事に費やしては紛らしていたから感情なんて忘れていたそして聴く音もやはり速さと明
たぬきときつねにハマってる私を毎回の如くガシャポンの前に喜びを与えてくれるのだが、何故か、何回やってもきつねばかり出てきてはお目当てのたぬきちゃんが出て来てくれず、今回もガシャポン出口に落ちてきた黄色い物体を見てしまい、「はぁ〜またきつねかよ〜」
「ぐぁぁぁぁぁぁ〜!どうして私ってば毎回こうも自分自身に学ぶことがないなぁと思う人と関わりたくなくなるのよ〜?!」ってアニメで叫んでそうな気分。年下なら尚更。やっぱり、5歳以上くらいの方でないと話をしててもつまんない。小池でピノキオになって
2001年クリスマスの晩、大好きな父が末期がんで入院していたからクリスマスプレゼントにパジャマをあげて少し話をして私は帰宅。翌日の昼のバイト中に病院から「父が危篤状態」だと電話が入る。速攻に病院に駆けつけたら、父はベッドの上で目を閉じていた。ま
私をある人が変えてくれたから今のポジティブな私がある。そのある人は20代前半で知り合い、スポーツカーが大好きな人で毎週ドライブに連れていってもらった仲だった。頼れて引っ張ってくれる父を亡くしたばかりの沈み込んでた私をいつも笑顔にさせようと頑張