興部町の廃校富丘小学校の初訪問は現役の16年前だった。入り口に猛犬がいて校舎に近づけず遠目からの撮影になった。
興部町の廃校富丘小学校、廃校から14年経っています。住宅に人が住み校舎も特に変わらない感じで周囲も整備されている。小屋に廃校記念の看板があった。当時外にあった物だ。
ブレイブモデル60式自走無反動砲の転輪塗装。自然光と昼間蛍光灯を付けても明かりの加減で車体色もゴムの黒も見分けがつかず難しい。日暮れ以降の蛍光灯の光だと色の区別がつく。今回塗った左の転輪に塗り残しが少しあるので後日再塗装する。
今日は午前11時半前に帯広のいつも混んでいるそば屋に行ったがやはり満車だった。昼はラーメンにして食後国道に出ると何かマスコットがいて人がたくさんいた。コープの旗があり家族葬と書かれていたようだ。新しくできた家族葬会場のようだが、見学会か?
興部町の廃校住吉小学校廃校記念誌資料から戦前は80人以上、戦中も卒業生が10人以上いたことが分かる。
興部町の廃校住吉小学校6年前の様子。草木が茂っていない時季だったんで建物などが良く見えた。倉庫になっていた住宅は屋根が折れ曲がっていた。校舎は教室と廊下、入口の裏が崩れた。端のコンクリートの壁は残っていた。
今日の帯広市は−2.6度と寒かった。然別の山が雪をかぶっていた。昼ウォーキング日高の山も雪が増えてきた。エゾリスは1匹紅葉は来週までもつだろうか銀杏が今年は多いかな。
興部町の廃校住吉小学校11年前、初訪問の翌年から校舎が崩れ出していたが5年後には玄関と奥の部分を除き崩れてしまった。 奥には便所の便器が見えた。奥の小高い場所に住宅跡が残っていた。
興部町の廃校住吉小学校の初訪問は平成20年で16年前、廃校から33年前だった。当時はまだ校舎が原型を留め荒れていたが廊下や教室を見ることができた。道路側の校舎の壁に屋根の枠が残っていた。道か橋の付け替えで体育館を撤去した跡のようだ。
興部町の廃校住吉小学校は昭和58年に廃校になり41年経っている。校舎は16年前は原型を留めていたがその後倒壊が続き今は玄関しか残っていない。豊畑小学校と並び破壊の進んだ学校だ。
今日も氷点下の気温、連日で最高気温が低くなった。北海道内各地で積雪があるが十勝は山間以外はまだ雪が降っていないのでまだ楽だ。出勤の然別の山々に雪がある。時久しぶりの犬バス。昼ウォーキング、日高山脈の雪紅葉は残り少なくなってきた。エゾリスは
興部町の廃校豊畑小学校の平成26年、10年前の様子。2年ぶりの再訪で草木がない春先で校門や住宅の様子がはっきり分かる。 教室と廊下が潰れてしまい残りは玄関と便所付近のみになった。
今朝は氷点下になり寒かった。日高の山にも雪が被り出した。昼ウォーキング、まだまだ紅葉。エゾリスもいた。トンボが日当たりの良い場所にかたまっていた。
興部町の廃校豊畑小学校12年前の様子。この年に紋別市に引っ越し、探索が十分できるようになった。それに住宅に人ないなくなり校舎周囲に行くことができた。
興部町の廃校豊畑小学校の初訪問は平成20年、16年前だった。体育館部分は崩れていたがそれ以外は健在だった。住宅にはまだ人が住み別の住宅は倉庫になっていた。犬が吠えて十分撮影できなかった。
興部町の廃校豊畑小学校は昭和50年に廃校になっている。5年ぶりの訪問で校舎は玄関付近以外は倒壊した。住宅も納屋に使われていた建物は倒壊した。草木が茂り雨のため十分跡地の探索はできなかった。
廃校から7年後の興部町豊野小学校はパークゴルフの看板と休息場がなくなり遊具も消えていた。 近くの商店はまだ営業していた。郵便局跡も今と変わらない。
廃校から3年後の興部町豊野小学校、建物はあまり変化はないがパークゴルフの看板が色褪せ、休息場の周囲に折れた木の枝があった。遊具は変わらなかった。グラウンド脇の大きな木の一部が倒れていた。 グラウンドの奥に廃校時の訪問後に植えられた廃校記念
興部町の豊野小学校は平成24年春に廃校になった。廃校後の初訪問は4月の半ばだった。寒く、雪が多い年だったので残雪が多かった。 現役時代とほとんど変わらないままだった。廃校の記念碑も看板もなく廃校とは分かりにくかった。
興部町の廃校豊野小学校は平成24年に廃校になっている。ここは廃校記念碑や看板がないので廃校後も現役時代とあまり変わらない感じだ。しかしパークゴルフの看板や遊具がなくなった。住宅も人が住んでいない物は傷みがひどくなっている。 近くにある商店と
昼ウォーキング紅葉は落ち葉が増えてきた。でもまだまだ紅葉は続く。雪山のはずだが雲ではっきり見えなかった。エゾリスは1匹。
おろち、洗礼、猫目小僧が私のトップスリーかな?長い間色々な作品をありがとう。安らかに。■漫画家・楳図かずおさん 死去 88歳 【まことちゃん・漂流教室・14歳・へび少女・おろち】(TBS NEWS DIG - 11月05日 12:02)https://news.mixi.jp/view_news.
ブレイブモデル60式自走無反動砲の履帯取り付け作業で塗装が結構剥がれた。そこで塗り直しをした。塗装は設計図では2007年の模型雑誌を参考とあるが無理なので同じ時代の60式装甲車の塗装を参考にした。 まず右側の転輪のゴム部分を塗装した。前後
興部町の朝日小学校、現在は牧草地の端に記念碑があるだけだが当時は校舎の他に住宅、グラウンドもあり開校時の昭和4年から20年までは50〜60人の児童がいたようだ。 その後20年代は40人台で推移し30年代から5年ごとに在校生が10人ずつ減って行ったようだ
興部町朝日小学校、再訪は5年後、今から11年前の平成25年。途中にある神社の石碑と馬頭観音を発見した。場所手前だったかな?
平成20年初訪問の時の朝日小学校。記念碑以外に何もなく牧草地が広がるだけだった。ここに来るまでけっこう立派な家の廃屋があり、学校がその奥にあったとは思えなかったが記念碑を見つけてこの場所が学校跡ということに驚いた。奥にはまだ農家がある。