営業残り1か月となった遠軽駅の駅そば、6回目にしてジビエそばを食べることができた。鹿肉は柔らかく味が染みていた。硬いすね肉を使っているそうだが上手く処理しているようだ。
第45回ジャパンカップの結果は選んだ軸2頭で決着、馬券絡めた5頭で1着から5着まで全部入った。5連複があれば・・・ で、レースはスタートで1頭落馬、その馬が空のまま直線で前にいて血行障害になった感じだった。 さらにゴール後2、3着馬の騎手
第45回ジャパンカップ馬券購入は 1- 8 1,000円 2- 8 1,800円 8-14 1,800円 8-15 3,000円 1-15 2,400円 1-15 5,300円14-15 4,700円けっこうかたい馬券購入になった
昼は北見市のそば屋北明軒で天とじそば、夜は久しぶりにカレーを作った。イモ、にんじん、玉ねぎ、鶏肉、マイタケ入り
GUM-KAの五式戦車、発売告知は2002年ころ予定だったが2009年に発売が延期された。結構前なので記憶があいまいだが、その前にブレイブモデルの五式が発売になり、プラモデルではGUM-KAの直後にファインモールドから発売された。 ブレイブ、ファイン
常呂遺跡に前回来た時は草木が茂り時間も遅く展示を見ることができなかった。今回は竪穴住居の再現場所を見ることができた。保存するための屋根以外は当時の様子のようだ。熊の頭蓋骨が多数あったようだ。 チャシは崖の淵にありけっこう大きな竪穴もある。
数年ぶりに訪れた遠軽町の郷土資料館、社名淵小学校の鐘が展示されていた。カニ飯の弁当の包みと地元ラーメン屋のドンブリ、以前あったかな。展示物が多いので見落としたか。 安彦良和さんの遠軽高校が甲子園出場した時とラグビー部が活躍しているのでその
タミヤの一式砲戦車を使った試製一式砲戦車ホニ�気醗貅絢�走砲ホニ�兇鯏描�。 試製はタミヤの一式砲戦車の車体と九七式の前部の合わせがなかなか大変だった。防盾の傾斜が足りなかった。 一式は105ミリの砲身、装填部分を自作した。砲身はテーパー(傾
網走湖は凪で湖面に風景が写り込んでした。網走湖はけっこう風が吹いていることが多くこんなのは初めて見た。 帰り道の湧別町の川西でタヌキの夫婦がいた。夕方で光の加減かカメラの焦点がなかなか合わなかった。
今日は網走まで行った。天気が良く走りやすかったのでのんびりとドライブ。網走で初めてそば屋に行った。そば処ふじた屋というそば屋で五目そば大盛を食べた。古くからある店のようで内部も昔の蕎麦屋だった。なかなか美味かった。 帰りは西日が強かった。
佐呂間町の市街地ウォーキングが終わり車を止めた小公園に向かった。横にある昔住んでいた家近くと小公園内を散策し周囲を撮影した。1町からよく見える山、三角だが三角山とは呼ばれていなかった2古い家は取り壊され新しい家が増えているが超古い家が残っ
遠軽町の瞰望岩、遠方から眺めてはいるが、これまで近くからよく見たことがない。今回真下から撮影すると、写ってしまった・・・ 上から続くワイヤーが二本、一本は中段の岩場に、ここまでは登れるらしい。その先はワイヤーを使えば上まで登れそうだ。能取
佐呂間町市街地ウォーキング4 駅前まで戻り駅方向に行き中央の通りと並行して通る北側の道を進んだ。1駅前、ラーメン屋は昔「片平待合所」だったかな2駅跡、右がイベント広場で機関車が横にある3駅舎を移築回収した鉄道記念館4この通りは昔とあまり変わ
タミヤ製ドイツ戦車レオパルド�機蔽秧А砲肇ぅ織譽蠕愁譽�パルド��A4(黄色)並べると一世代違いだが違いが分かり面白い。
佐呂間町市街地ウォーキング3、西のあ商店街の端の交差点から引き返し復路の様子。1自転車屋と同級生の商店、店じまいしているが人は住んでいるようだ。2寿司屋、同級生の実家で弟が継いだらしい3変わらない街並みが残る、多田商店は元気4空き地は梅屋
佐呂間町市街地ウォーキング、駅前から中央の通りに出た1農協2ふじわら玩具店、半分手前はかさいさんという家具屋でなかったかな3上野商店は昔からあったはず、ガソリンスタンドは長らく空き家、パチンコ屋健在4経営者は変わったようだが昔のサンショッ
佐呂間町市街地ウォーキング、第一回はスタートは小公園。昔住んでいた家の前から通学路、織田病院付近、厚生病院から裏通りを通り駅前近くまで1小公園、遊具が新しくなった2小公園から続く道3右折、畑に大きな福祉施設が建っている。手前の友人の家は土
遠軽駅舎は築110年。遠軽駅前の国道交差点、ドラ巻き屋跡、道の向こうは喫茶店、その奥は赤胴焼きというお焼き屋だった。バス停の内部の食堂は止めたのかな?写っていないが右の北洋銀行遠軽支店は北見中央支店内に移転したそうだ。
タミヤ改造ドーザー付き九七式戦車の迷彩塗装とタイヤゴム部分の塗装完了細かい修正と車外部品の塗装予定。
いつも通り北見市中心部の国道を通った。知らず知らずのうちに古い建物が空き家になるかなくなっている。昔からの建物はやがて消え去りそうだ。大きな建物はここ十数年で大きく減った。
国鉄湧網線の若里駅跡、道の脇の高台が削られていたのでこの辺りだったはずだ。佐呂間側の築堤があったので道の脇の少し広い草地が駅跡のはずだ。 駅の位置を知らないと分からない。ここもソーラーパネルだらけだ。
佐呂間町の床丹集落は無人となっている。周辺の草木が各所で刈られていた。今回通ると一気に太陽発電のパネルが設置されていた。一部は設置中だった。他にも伐採された場所が数か所あるのでまだ設置されそうだ。
紋別市にあった鴻之舞金山の鴻紋軌道の高架橋、その後、水道橋として使われていたようだが老朽化で道の上の高架橋を撤去した。
紋別市にあった鴻之舞金山の鴻紋軌道の高架橋、その後、水道橋として使われていたようだが老朽化で道の上の高架橋を撤去した。
国鉄名寄本線の湧別町上湧別の旭駅跡を久しぶりに訪問した。どこが線路跡か分かりにくくなった。畑の脇の道から行こうとしたが駅までの道が草木が茂り見当たらなかったので線路跡から行った。笹藪がきつく途中数頭の鹿がいた。 駅の待合室は完全に崩れコン