根室市の廃校別当賀小中学校、平成10年に廃校。初訪問は平成19年、最後の訪問は平成22年。周囲に人家は少ないが線路を挟んだ反対側にはけっこう人の住む家がある。校舎は利用されているようだが徐々に周辺は荒れた感じになっている。
根室市の廃校初田牛小学校、廃校は昭和63年。初訪問は平成19年で最後の訪問は平成22年だった。地区の入り口にある木製の学校跡の票痛は残っているが破損している。グラウンド跡はパークゴルフ場で初訪問時は草が少し伸びているという感じだったが再訪
根室市厚床東小学校は昭和42年に廃校になっている。ここは当時の浜中村の端で当時隣接していた和田村の厚床に教育を委託していたので住民は和田村に合併を希望していた。しかし境界線の変更交渉がもつれ和田村は教育委託を拒否し当地に浜中は学校建設をし
浜中町の廃校姉別南小学校は平成26年に廃校になっている。初訪問は廃校の年7月、最後の訪問は翌年平成27年の6月だった。 今回一番訪問を楽しみにしていた学校だが雨が降り風が強く車からの撮影で訪問を終えた。
浜中町の廃校貰人小学校は平成22年に廃校になった。初訪問は平成19年で当時は現役校だったがそんな感じはしなかったので廃校と間違えた。最後の訪問は平成22年の秋だった。廃校時は校舎正面に廃校を知らせる看板があり、裏のグラウンドには百葉箱の奥
浜中町の廃校奔幌戸小学校、廃校は平成15年。初訪問は平成19年で最後の訪問は平成22年なので14年ぶりの訪問だった。 このあたりの学校は原野にポツンとあり周囲に数軒の人家があるが寂しい場所が多いが7ここもその一つだ。
浜中町の廃校榊町小学校は平成25年に廃校になっています。初訪問は現役最後の年平成24年、再訪は廃校の時だった。現在は福祉施設として利用されている。廃校時は白い校舎だったが今は黄色に塗られていた。
5月3日の釧路管内と根室管内の廃校訪問はまず浜中町の琵琶瀬小学校で平成24年に廃校になっている。訪問時は風が凄く強かった。 初訪問は廃校の年の夏で濃霧の中で校舎がはっきり見えなかった。再訪は平成25年の合同訪問でそれ以来11年ぶりの訪問だ
渚滑線の中渚滑駅、店跡と郵便局のある交差点から少し滝上寄りに農家があり、その前にある道の先に駅があったはずだ。農家の先から道はなかったが今回の訪問で農家がなくなったようで道の入り口も見当たらなかった。
滝上町の廃校雄柏小中学校、住宅のあった付近に水道関係の物が残っている。これは音楽室近くで位置からすると当時廃屋だった建物のはずだ。 音楽室跡は煙突を残し崩れた。芸術的な倒壊の仕方の煙突はこのまま残ってほしい。体育館は瓦礫の山になった。木製
資料館になっていた校長住宅は屋根が抜け大半が崩れた。トイレとフロ、玄関部分が何とか残っていた。玄関にあった私の父親が枠を書いた予定表はなくなっていた。知人が庁に連絡したので回収されたかな?住宅の横に水道の蛇口部分がある。すぐ近くは風呂小屋
滝上町雄柏小中学校を4年ぶりに訪問した。無人になって型7年ほど経っている。グラウンドに立てられた会館もほとんど使われずに傷みだしている。 学校跡はそれほど変わらない、というより倒壊し残りはブロックとコンクリートでそれほど変化はしない。
今日の昼ウォーキング、タンポポがたくさん咲きだした。かなり早い。土手が土砂崩れのようにカラスが掘り起こした。 マイ標本木の桜は色褪せてきた。来週は散りそうだ。変わってユキヤナギが多くなってきた。
ピットロード製87式自走対空機関砲の履帯取り付けで、まず左側から開始。うまく取り付けられたのでしばらく重しを乗せ乾燥待ち。 次は右、しかし履帯の形にある程度していたが何カ所かで外れてしまいうまくいかない。横にして作業しているとマットに引っ
昨年5年ぶりに訪問すると建物が崩れていたが今年はさらに歪みと倒壊が進んだ。建物だけ見ていると空間が歪んでいるように見える。
紋別市の小向小学校は今春廃校になった。最後は児童1人だった。 撮影時西日が強くなり撮影が難しかったが校門や校章を撮影した。玄関わきに小さな廃校記念碑があったが壁に近すぎる。 撮影していると校舎の横に古い丸太が建っていた。これは国道沿いの旧
久しぶりに山がくっきりと見えた。連日暖かかったので雪がぐっと減った。マイ標本木の桜は満開。黄色い鳥がいた。調べるとシジュウカラだった。後ろから見たことないので黄色いのに驚いた。ユキヤナギが咲きだした。今年初の極太タンポポ発見。
雄武町の廃校豊丘小学校です。令和4年に廃校になっている。住宅には人が住み校舎は再利用されているのか分からないが特に変わった様子はない。 ここの簡易プールは雄武町で最初のプールだった。しかし45年以上前に設置したにしては新しく感じるので改修
今日の様子、久しぶりにエゾリスがいた。近くを通っても逃げなかった。マイ標本木桜は満開だった。今年は色が薄いかな?駐車場の新築の家は足場が組まれた。
雄武町の廃校幌内小中学校、昭和54年に町内の中学校は雄武中学校に統合された。その後平成28年に小学校が廃校となった。今も校舎などはそのまま残っている。
雄武町の廃校、中幌内小学校。ここの初訪問と言うか発見は平成9年で道の脇に門があり、学校だとは知らず不思議に思った。その後、場所が分からず再訪は11年後の平成20年だった。その数年後、何かに跡地を使ったのか草が無くなり、敷地内に土台と便槽を
雄武町の廃校巡り、雄武町の奥地の上幌内です。平成20年頃無人になったようです。学校は撤去され最後まで人が住んでいた住宅も崩れ始めた。校門もかなり傷んでいる。 ここを初めて訪問したのは小学3年か4年の学年町内バス旅行でした。当時は小中学生が
雄武町の廃校上雄武小中学校、25年ほど前は住民が花壇を手入れし校舎も残っていたがその後体育館が倒壊し校舎も半分崩れた。グラウンドに残土が置かれ数年前には校門の片方が倒壊し放置されていた。 今回訪問すると校舎が撤去されていた。体育館も瓦礫の
十勝川堤防ウォーキング復路銀輪橋から撮影しながら移動すると車も通れる「帯里橋」があった。撮影しながら移動しウォーキング終了。1時間15分で7200歩だった。
十勝川堤防桜並木が終了したのでここから引き返す。日当たりの良い側を通ったので来る時より桜が鮮やかだ。人道橋「銀輪橋」の上から撮影。雪の残る日高山脈と桜。
十勝川堤防ウォーキング、渡し舟の説明、サッカージュニア瑠多すぎるサッカーゴール、桜並木終了。ここまで3キロ弱3500歩ほどだった。ここで引き返す。
車で十勝川のインフォメーションセンターに行ったら月曜日は休みだった。そこで堤防をウォーキング。堤防の小川は清掃中、公園がありパークゴルフ場があった。しばらく住むと古い「温故知新」と書かれた石碑があった。ここに移転したようだ。