枝幸町歌登の廃校豊沃小学校は昭和53年に廃校になっている。12年ぶりの訪問になった。地区には1軒の農家しか確認できない。学校敷地の一縷地に記念碑があるはずだが草木が茂り見つけられなかった。住宅も以前は3棟あったはずだが2棟しかなかった。校舎跡は
枝幸町歌登の廃校上徳志別小学校の平成24年、13年前の様子です。キャンプ場として使っていたようですが自然体験施設としては使われなくなっていたようです。住宅も使われている感じはありませんでした。
昭和57年の廃校枝幸町歌登小学校、平成5年からキャンプ場として使われていたようだが現在は使われていないようだ。 向かいの会館のところに人がいて話をすると20年前に娘さんが紋別市で看護師になったとのことだった。 その人の話によると校舎は自然体験
午前10時に中頓別町の廃校8か所と途中の廃校4か所訪問予定で出発。出発して300メートル、30秒で野良馬に遭遇した。国道脇で草を食べていた。出発いきなりでうまく撮影できなかった。
18年前の湧別川の治水記念碑、朝6時半の撮影でしかも雨が降り数枚撮影しただけだった。建設年と横にある男爵名は写らなかった。後年文字も写したが画像が見つからない。
湧別川の上湧別地区にある治水記念碑、堤防下の道から行くと記念碑に道が続いていて管理されているようだが記念碑は植物に覆われている。この植物はなんだ?
紋別市の廃校中立牛小学校、初訪問は現役時代の平成7年だった。ここに学校があり現役なのに驚いたが残念ながら撮影はしたが写真は残っていない。翌春廃校になり平成12年頃に通ったが撮影せず、再訪し撮影したのは平成20年頃だった。 7年ぶりに訪問す
遠軽町丸瀬布の廃校伊奈牛小学校は昭和38年に廃校になっている。ここには金、銀、銅などが算出した鉱山があった。学校跡には小さな記念碑が建てられている。少し離れた場所に門があるが学校の門なのかははっきりしない。
昭和55年に廃校になった遠軽町東社名渕小学校、6年ぶりの再訪だ。前回訪問時にすでに校舎は取り壊され住宅、バックネット、校門、女性像などすべてが取り壊されていた。今回訪問すると跡地に木が育ち始めていた。痕跡がないので学校跡とは分からない状態
NHKでアニソンをやっていた。そこで斉藤由貴さんが1986年の「悲しみよこんにちは」を歌っていた。この曲は高橋留美子さん原作の「めぞん一刻」のアニメ版の曲だ。 この曲を聞くと昔からとても懐かしく感じる。世の中が今より明るくのどかで生きやすい
今春廃校になった湧別町上湧別地区の5校のうち統合先となった上湧別中学校。現役校なので周囲から撮影した。この学校は中学3年生の時に中体連の陸上競技会の遠湧ブロック大会に参加し来たことがある。この時は補欠で2年連続の競技参加はできなかったけど
湧別町の西の奥地にある緑陰小学校に6年ぶりに行った。道がどろどろだった。久しぶりに行くと伐採作業で様子が一変していてどこが学校か分からなくなっていた。 道を進むと記念碑を見つけた。学校跡が伐採され林がなかった。校舎の跡地にコンクリート片が
6年ぶりに紋別市の和訓辺小学校に行った。植林された木が伸び以前より鬱蒼とした感じだった。途中熊の糞があった。けっこう人が最後まで住んでいたと思われた住宅も傷みがひどくなて知多。立派な農場の建物も荒れていた。初訪問から17年経っている。 学
猿払道の駅付近、国道の反対側の駐車場は道の駅側に地下道でつながっている。広い草地にタンポポが一つだけ咲いていた。地下道入口の反対側の駐車場脇にはタンポポがたくさん咲いていた。 近くにある記念碑はいさいりの碑と書かれホタテ養殖事業の記念碑だ
猿払道の駅の向かいにはこの沖合で遭難し多数の死者が出たインディギルカ号遭難慰霊碑もある。名前はよく聞いたが現物を見るのは初めてだ。犠牲者が700人以上という大惨事だったのを初めて知った。近くに見慣れぬ黄色い花が咲いていた。
猿払道の駅付近、ホテル、温泉があり、国道の向かいの海側にも色々あった。一つ目はホタテ貝化石群、貝の化石の塊。近くに大きな錨があった。
猿払村の廃校知来別中学校は昭和60年に廃校になっている。現在小学校は高台にあるが当時は現在の入り口付近にあり体育館でつながった中学校の校舎は入り口横の寺の横にあったようだ。校舎の痕跡は見当たらなかった。 近くには神社や保育所と思われる建物
猿払村の廃校芦野小学校栄分校。昭和32年に開校し昭和46年に廃校になっている。戦後開拓地で最盛期67戸が入植したが入植過多で半数が一気に離農、その後も離農が続き学校は14年で廃校になった。 地区に民家は現在ないようだが広々とした農地が広が
猿払村の廃校猿骨小学校、廃校は昭和51年に廃校になっている。跡地に会館が建っているが校舎はその横の高台にあったようだ。訪問時は会館前に車が数台止まっていたので周囲から写真を撮るだけにした。
クッチャロ湖の西にある浜頓別町の廃校、開明小学校は昭和55年に廃校になっている。農家が疎らな場所に会館が建っている。その場所が校舎跡のようだ。入り口に廃校時の物と思われる子供の手形を押したコンクリートの記念碑がある。敷地内はゲートボールと
浜頓別町の廃校宇津内小学校は昭和48年に廃校になっている。地区には農家が一軒あるだけのようだ。 学校跡に行く途中神社の表示のある場所には廃材があるだけだった。学校は道の舗装が切れる場所の右側の広い場所とのことだったが広い場所は笹と木が茂り狭
浜頓別町の廃校清和小学校、大正11年に開校し昭和47年に廃校になった。この学校、川の堤防のような砂利道の脇にあったようだ。近くに住宅を利用した会館と神社がある。その横に学校があったようだが道が付け替えられて位置がはっきりしない。 現地に行
今日の浜頓別、猿払探索、この方面は4月以降3回目だ。出かける時、狐が道にいる、跳ねられたのではなく日陰で寝ている港のトラックの車列、水揚げを運ぶのに並んでいるようだ。宗谷は雨雲が出ていた開明小学校から断続的な大雨が降った気のせいかどんどん
今日の廃校訪問は浜頓別町の仁達内はキャンセル、宇津内は煙突3本確認、開明はモニュメント確認、狩別は会館前に車がたくさんいて周囲から撮影、芦野小学校栄分校跡地確認。知来別中ははっきりしなかった。浜猿払は不明。清和は煙突、土台、便槽を発見した
草木の場所はそろそろ探索が難しくなるので浜頓別町の廃校仁達内、開明、清和、宇津内と猿払村の知来別中、浜猿払中、狩別に出かける予定。
今春廃校になった湧別町上湧別地区の中湧別小学校。 校舎は湧別地区の小学校の特徴の校門から長い道があり正面玄関に続く作りになっている。校門横のブロックはチューリップの形のようだ。 横の池に町のカントリーサインのキャラクターの開校記念碑があっ
湧別町上湧別地区は今春地区の中学校1校と小学校4校を廃止し中学校の校舎を増築し公立上湧別学園とした。2校が統合し公立学園はけっこうあるが5校は初めてかな? その中の上湧別小学校、旧上湧別町の本町名の小学校が廃校になる時代になった。ここ数年