今日の昼ウォーキング、秋が近づいている。エゾリスの食痕がある。日高山脈は濃い雲に隠れてしばらく見えない。 夕方、日高山脈の中間に雲がかかっていた。雲海が横から見える。
今日は最高気温31度、明日は22度の予想だが暑さは最後になってほしい。昼ウォーキングは短距離、駐車場の使っていない部分にセイタカアワダチソウが群生している。年々増えている。空の雲は高い。エゾリスが木にへばりついていた。近くにカラスがいて警
曇りなのに31度、湿度がひどいのに。でも今年は涼しくなるのがかなり早そうだ。いつもは9月でも30度近い。
ファインモールド製の61式戦車と61式改修型が完成した。汚し塗装はしなかった。61式は製作中に破損が多く、完成後も両方の柵が落ちたので再度取り付け直し完成した。改修型は赤外線投光器の透明部品を取り組け完成。
久しぶりに幸福駅に行った。花壇の一本のヒマワリからこれまで見たことがないくらい枝分かれして花がたくさん咲いていた。アゲハチョウがいた。駅舎の貼り紙は今年撤去されたはずだがまた一杯になっていた。 帰宅後夕方ウォーキングは雲が厚く覆っていたが
足寄町の廃校長野小学校2回目の訪問は4年後の平成23年、周囲と内部も撮影した。体育館は床が歪んでいたがまだそれほどひどくなかった。横に鳥居があり高台の奥に建物があるので行った。昔の神社の建物のようだ。高台から擦屋を撮影したがこの角度から撮
足寄町の廃校長野小学校の初訪問は平成19年、敷地と校舎を撮影しただけでした。まず確認している廃校全部をまわるために撮影は最小限度でした。
昭和50年前後に流行ったぶら下がり健康器、今も色々あるようだ。当時は青いパイプでだいたい腹筋用の板がついていた。親戚の家にもあったが洗濯物を干していた。そんなのにぶら下がって健康になんかなるかい、とみんな言ってた。私もそう思った。 あれか
鳥取小学校入口の住宅、カレンダーは1967年で廃校前年57年前の物だ。よくこんなにきれいに残ったものだ。奥にある壁のかざっりは盃に般若が付いている。転校記念 坪田と読める。足寄町民憲章があるので会館だったのかもしれない。
足寄町の廃校鳥取小学校。廃校は昭和43年で初訪問は平成18年だが校舎付近には今春初めて行った。何かに使われていたのか夏場もグラウンド跡はあまり草がない。
音更川に流れ込む小河川、合流点から大きな鳥が飛び立った。アオサギのようだ。私が近くを通ったので逃げたがこの場所に戻りたいようで少し離れた木に止まり戻る機会をうかがっているようだ。ここ、そんなに魚取れるのか?
音更川河川敷は黄色いセイタカアワダチソウが大発生している。細長い虫がいる。足が波型になるのでヤスデのようだ。良く見えないが歩いている奴の上に一匹乗っかっていないか?虫の幼虫がありに運ばれていた。 ゴルフ打ちっぱなし場、横の柵がほとんど撤去
午前中涼しかったので9時少し前から1時間ほどウォーキングをした。久しぶりに音更川左岸を上流の橋まで行き右岸を下流に向かった。堤防の植物の葉が丸められ粘液の糸で固定されていた。これ作るの蛾だったかな?今年は小さな甲虫が多い。 堤防上はカンタ
昨日の夜から朝まで冷房も換気扇、扇風機を使わずに寝た。夜中23.5度湿度65%だったのが朝6時で26.5度湿度65%だった。26.5度だと少々暑い。 十勝は例年は30度前後が9月半ばまで続きうんざりするが今年はお盆までのようだ。普通の北海
昼ウォーキング、農場跡は黄色い小さな花が群生していた。セイタカアワダチソウのようだ。野生化したユリが咲いていた。甲高い鳴き声の鳥がいる、ホトトギスのようだ。草地を歩いているとタンポポの株が盛り上がっていた。踏んでみようかと思ったが大きな口
今日も暑い雲が覆う湿度の高い日だった。朝午前3時で室温26.7度、湿度74%で蒸すので換気扇を止め窓を閉め冷房の除湿を入れた。 昼ウォーキング、数の減ったチョウチョが弱々しく飛んでいる。数の減ったセミが必死に鳴いていた。久しぶりにエゾリス
8月13日は毎年「かちまい花火大会」だ。今年もだが朝型は雨で開催できるかと思ったが昼頃から晴れ開催が決定した。帰宅時、見物場所を求め十勝川と音更川の堤防を目指す人がたくさん歩いていた。しかし雲が低く垂れこめていた。 午後7時半花火開始、し
足寄町の廃校長野小学校は螺湾と上利別の間に続く道の近くにある。農家の入り口の脇に夏場はほとんどわからない道を進むと学校がある。遊具や住宅、記念碑があり草木が茂った中に校舎はある。年々劣化が進み外観も崩れ出しているが学校とは思えない面白いデ
足寄町の廃校上稲牛小学校の再訪は初訪問から3年後の平成21年でした。この時は内部にも入り撮影しました。廃校当時のままのようでした。廃校後に再利用はされなかった感じでした。今となっては貴重な画像です。内部だけではなく周囲から撮影しておいて学
足寄町の上稲牛小学校の初訪問は18年前の平成18年でした。当時撮影したのは玄関と校章だけでした。急いで廃校を巡らないと校舎が撤去されるので数をめぐるために撮影はあっさりでした。
足寄町の廃校上稲牛小学校は昭和46年に廃校となり53年年経っています。そのため4年前に再訪した時はすでに校舎は残て地ませんでした。跡地には太陽光発電のパネルが並んでいました。
数日前、よく覚えていないが事故にあう夢を見たので、昨日は長丁場の運転だったので注意していた。陸別の道の駅の駐車場でいつもはバックで入れる場所が開いているが混んでいて、いつもと違う場所で側壁がすぐ左にある場所に駐車した。 出す時に左下をミラ
陸別町の廃校には何も書かれていない白い看板があることが分かり勲祢別小学校の位置が分かった。この看板には元々学校の写真と説明文があったらしい。草木のない平成20年11月に学校跡を探索した。グラウンドには残土が置かれそこに草木が育っている。少し高
陸別町の廃校勲祢別小学校は情報が町史の写真のみで特に位置の情報は全くなかった。現地を訪問すると校門があり個人の名札が付き奥に進むと橋がありその先に広い敷地と民家があった。学校が川の先と言うのもおかしいので初訪問で学校の位置特定はできなかっ
陸別町の勲祢別小学校、昭和42年に廃校となり57年経ち跡地で痕跡を見つけることは難しくなりました。個人の家の入り口に移設された校門は草木に覆われながらも健在です。
墓参りは朝8時に出発した。置戸付近から断続的に雨となり気温が低かった。佐呂間町市街地で昼食と思ったが日曜日だった。そこでサロマ道の駅に行き昼食を食べ12時少し前に湧別町の墓地に到着した。相変わらず風が強くマッチではロウソクも線香も火が付か
さきほど帯広上空に青い光の塊が現れ白くなったかと思うと地上に光線を照射した。何の光だ?生物だけを消し去るような破壊光線か?人をさらう光線か?やがて消えていった。 3日後はかちまいの花火大会なのに・・・
陸別町の廃校川上小学校は昭和39年に廃校となっている。最盛期は80人、昭和に入ってからも50人前後の児童がいたが最後は10人程ったようだ。校舎は非常に小さかったようだ。 初訪問は平成19年、奥にまだ農家の建物が残っていた。道脇の神社もあり学校は便