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2017年07月06日01:22

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『小っちゃくなっちゃった!』第3話

『小っちゃくなっちゃった!』

「アルペイオス様!ネイロス様!」
 ようやく今のサガにとって馴染みの人物が現れたことで、サガは安心したように顔をほころばせた。
「さぁ、サガ、こちらにおいで」
 ネイロスが穏やかに笑んで腕を差し伸べると、サガは遠慮なく彼に駆けよった。ネイロス河神はサガの体を高々と抱き上げ、少年のサガは「高い、たかーい」に喜びの声を上げた。
「きゃあっ」
「ははは…抱き上げるには、大きくなり過ぎたかな」
「あ、ネイロス兄上、ずるい!サガ、こちらにもおいで!」
 アルペイオス河神が兄からサガを奪い取り、自分も同じように抱き上げた。
「どうだ、サガ、楽しいか?」
「楽しい!」
「そうか、そうか」
 競い合うようにしてサガを抱き上げて猫可愛がりしている両河神に、カノンは剣呑な表情になった。
「あんたら、本当にサガのことが好きだよな…」
 だが不機嫌をあらわにしたカノンに両河神はしれっとした顔で答えた。
「だってお前は抱かせてくれないからな、カノン」
「抱き上げようとしたら、足蹴りをしていたじゃないか、お前は」
「それなのにサガばかり可愛がられていたとすねられてもなぁ」
「……」
 子供の頃から今に至るまで、カノンの足癖の悪さは一向に変わらないのだなぁ、とアイオロスは思った。
 素直じゃないお前が悪い、と両河神に言外に告げられたカノンが言葉に詰まる。
「抱くと言えば、父上が二人を膝に乗せた時も大変だったな」
「サガは乗りなさいと言ったら遠慮がちにしながらも素直に乗ったのに、カノンの方はじたばたと抵抗して嫌がって…」
「最後、キルケが羽交い絞めにして、無理矢理に父上の膝に乗せたんだよな」
「そうそう」
 体を抱き下ろした後も腰の周りにまとわりついて甘えてくるサガの頭を撫でながら、両河神が笑い合う。
「…いや、そこまで嫌がってるなら何も無理に膝に乗せなくても…」
 思わずアイオロスが呟くと、両河神は「何を言っているんだ、お前は?」という目でアイオロスを見た。
「…あ、いや、アイオロス。『膝に乗せる』って、この場合は『自分の息子として認める』って意味なんだわ」
 カノンがアイオロスに説明する。
 古代のギリシャ人やローマ人の先祖は、人間の精液は膝で作られると信じていた。「膝」を意味するラテン語の「genus」に「生む」を意味する「gen-」という語幹が含まれているのもそのためだ。ゼウスが焼け死んだ母親セメレの胎内からディオニュソスを取り出して自分の太ももに縫いこんで育てたという神話も、膝から太ももが生殖に関係する部位と信じられいたためだ。古代ローマでは、子供が産まれた時、父親がその子を抱いて膝に乗せなければ、その子は我が子として認知されず、捨てられていた。捨て子の運命は、死ぬか、運よく拾われても、その拾い主の奴隷となるかだった。
「…だから、あそこで父上の膝に乗らなければ、お前を養う義務はないと放り出されても仕方がないところだったのに」
「なのに頑として乗らないんだもんなぁ、カノンの奴」
 カノンが声を上げて反論する。
「仕方ないだろぉ!初対面の男の膝に乗れとかいきなり言われても…あの時はそんな意味があるってこっちも知らなかったし!」
「意味を知ってても素直に乗らないだろ、お前は」
 ぐっ、と再びカノンは言葉に詰まった。
「だいたい、あの父上が人間の子供を膝に乗せたことからして、驚きだ」
「今までお前たち以外で父上の膝に乗った人間はいなかったし、これからも現れないだろう」
「それなのにお前と来たら、そのことを少しもありがたいとか、すごいとか思っていないんだからな」
「…恩着せがましく言うなよ…」
 ぼそっと呟いて反抗したカノンに、少年のサガが言う。
「カノンはいつもそうだね。いつもそうやって人を怒らせることばかり言ってるんだから。大人になっても、全然変わってないんだね」
「……」 
 再びカノンは沈黙した。カノンは、サガに対しても「怒らせることばかり言った」あげく、聖衣フル装備でたこ殴りされてスニオン岬の岩牢に閉じ込められたのであるが、無論、今のサガはそのことについての記憶はない。だが記憶がないだけに、サガの無邪気で裏のない言葉が余計にカノンの胸に突き刺さった。
「と、とにかく!子供の頃の話はいいから!サガを元に戻してくれ」
 改めてカノンが両河神に頼む。
「…とは言われても…」
 両河神は改めてサガの顔をのぞきこんだ。
「封じてある記憶領域の解除ねぇ…。おれたちもこういう術は得意でないし」
「そういうことが得意なのは、我々より妹や姪たちの方だな。妹のペルセーイスか、姪のパシパエかキルケあたり…」
 ペルセーイスは大洋神オケアノスと海女神テーテュスの間に生まれた娘たちの一人で、その名は「破壊する女」を意味し、月の女神、あるいは冥界との関係を示唆している。太陽神ヘリオスの妻であり、彼との間にコルキスの王で金毛羊皮の所有者たるアイエテス、ミーノスの妃で女魔術師のパシパエ、「多くの薬草を知る」と歌われて人を獣の姿に変えるキルケ、と、魔術に縁深い子供たちを産んでいる。アイエテスがオケアノス神の末娘イデュイアとの間にもうけた王女メデイアも、神話に名高い魔女の一人で、ペルセーイスの家系の女性たちは魔術と関係が強いのだ。
「とはいえペルセーイスは東の果てにあるヘリオスの宮殿にいるし、パシパエはエリシオンだし、どちらもすぐには来れないな。キルケは…声をかけるわけにはいかんし…」
「…あんたたちも使えねぇな…」
 アケローオス河神を初めとする河の神たちも、カノンにかかれば「役立たず」の道具扱いであった。カノンにとって敬愛に値する神はアテナだけなのである。とことん不遜な男であった。
「他の妹たちはだめなのか?山ほどいるんだろ?」
「そうだなぁ…。ダエイラかヘシオネ、あるいはイデュイアなら…。だがどのみち今は全員、天界だ。わざわざここまで呼びつけるのも…」
 アルペイオス河神が名を上げたのは、いずれも「知識」や「予知」に関係する名を持つオケアノスの娘(オケアニス)である。
「本当に山ほどいるよな…。イデュイアってのが一番下の妹だっけ?」
「ああ。母上が腹を痛めた妹たちの中ではあれが最も年若い。まあ、見た目だけなら一番若く見えるのは母上なのだが…」
 ネイロス河神の呟きに、カノンが反応した。
「…おれは蛇の王様の王妃(バシレイア)には会ったことないんだけどさ…。娘たちより若く見える妻って…もしかしてあの蛇の王様ってロリ…」
 その瞬間、カノンの頭にアルペイオス河神の鉄拳が飛んだ。
「お前は少しは口を慎め、カノン!それだけは皆、思っていても言わないようにしているのに!」
「思ってるのかよ!?」
 「ロリコン」という言葉の意味を知らなかったサガは、アルペイオス河神とカノンのやり取りに首をひねっていた。
「ねぇ、キルケにはどうして頼めないの?僕、キルケに会いたいな!アイアイエの島に帰りたい」
 自分を抑圧する養母から自由になりたくてアイアイエ島を家出したという記憶のないサガは、優しく美しい養母を純粋に恋しがった。
「そうは言うがな、サガ…」
「キルケ的には、サガが元に戻らないほうがいいよなぁ、これ…」
「…うむ、やはり頼めんな…」
 キルケに成人時の記憶がない今のサガを会わせれば、彼女は喜んでサガを手元に置き、以前のようにアイアイエ島の住まいに閉じ込めるだろう。それはアテナとの対立を招き、最終的には彼女の破滅につながるだろうことを、彼らは察知していた。
 まあ、と、両河神は考えを切り替えた。
「急いで元に戻すこともないのではないか?」
「そうだなぁ。おれはもうちょっと今のサガを可愛がりたい。どうだ、サガ、おれの住まいに来ないか?オリンピアの遺跡を案内してやる。ゼウス神殿の柱はでっかいぞ!それにプラクシテレスのヘルメス像も見事だ」
 アルペイオス河神がサガにオリンピア観光を勧めると、ネイロス河神も対抗して自分の地元を勧めた。
「サガ、それなら私のところにおいで。遺跡ならメンフィスのほうが素晴らしいぞ!それにテーベも。そうだ、そのまま河をさかのぼって、アスワンまで行ってハピを訪ねないか?最近は洪水を起こさなくなって彼も退屈してるから、客は歓迎してくれるだろう」
 メンフィスは、エジプトの古代の都市遺跡だ。今はカイロ近郊の無人の遺跡だが、古代エジプト語で「永遠の美」を意味する「メンネフェル」と呼ばれたこの都市は、古王国時代のエジプトでは首都であり、創造の神プタハの神殿の他、数多くの遺跡が残っている。「メンフィス」は「メンネフェル」がギリシャ語化した名前で、ネイロス河神の娘の名でもある。このニンフの名前がメンフィスの都市名の由来となったと神話では伝わっている。
 「テーベ」は新王国時代のエジプトの首都だった街で、古代エジプト語では「ウアセト」という。現在ではルクソール、カルナックの両神殿群に「王家の谷」がある場所だ。
 ハピは古代エジプト人が信仰したナイル河の神のことだ。女性のように垂れた乳房と豊満な腹部を持った男性神で、青あるいは緑の体色と肥満した体型はナイル河の豊穣を意味している。古代エジプト人がナイル河の源流と信じた上流の地アスワンが彼の聖域で、ナイル河が定期的に洪水を起こすのはハピ神の力によるものだと古代エジプト人は信じていた。今はアスワン・ハイ・ダムが出来てナイル河が洪水を起こすことはなくなったが、それまではエジプトの農民たちはナイル河に麦の穂で作った「ナイルの許嫁」を沈めて、ナイル河の氾濫が肥沃な土を運んで来てくれるよう神に祈っていたのだ。
「エジプトの遺跡…見たいです!本でしか読んだことがない」
 ネイロス河神の言葉にサガは瞳をきらきらと輝かせた。
「ナイル河にはハピって神様も住んでるんですね」
「ああ。私はメンフィスに住んで下流の下エジプト担当、ハピはアスワンに住んで上流の上エジプト担当という住み分けになってるのだ。メンフィスは、デルタ地帯の下エジプトと上エジプトの境だからな」
「へぇぇ…」
「大地の統合(セマ・タウイ)図というのを見たことがあるか?二人のナイルの神が向かい合って、下エジプトの象徴であるパピルスと上エジプトの象徴である睡蓮を結んでいる図で…。あれ、実は片方は私なのだ」
「ええ!そうなんですかぁ!」
 二人の会話にカノンが自分の記憶をたどった。昔、本で見たハピ神の絵は…。
「…え、じゃあ、あの頭からパピルスを生やしたデブがあんた…」
 その呟きにネイロス河神がカノンをにらんだ。
「…本当にお前は口の悪い子だね、カノン。あのパピルスは冠で頭から直接生えているわけではないし、肥満体なのはハピだ。私ではない」
 そして気を取り直したネイロス河神が優しい目をサガに向ける。
「サガ、そのレリーフの実物も、ルクソールにある「メムノンの巨像」で見られるぞ」
「…見たい!」
 サガがエジプト観光に惹かれたと見て、すかさずアルペイオス河神が口を出した。
「いやいや、アイギュプトスは昨今、治安がよくない。シケリアはどうだろう?温暖でいいぞ。サガ、シュラクサイに行こう!アレトゥーサに紹介してやる。彼女があの街を案内してくれるだろう。あの地の大聖堂は古代のアテナ神殿を転用した物で、古代と中世の融合がそれは美しい…」
 「アイギュプトス」はエジプトの古代ギリシャ語名で、シケリアはシチリア島のことだ。古代ギリシャの神様だけに、地名には当時の言葉が入ってしまうらしい。
 シュラクサイ、現在のシラクーザは、古代シチリアで最も栄えた都市で、当時のこの街の人口はアテナイ、スパルタの二大強国に次ぐ規模を誇っていた。古代のシチリア島や南イタリアは「大ギリシャ(マグナ・グラエキア)」と呼ばれてギリシャ本土以上に栄えたギリシャ人の入植地だったのだ。
 古代のコリントス人のアルキオスが入植に際してアポロンの神託を求めたところ、神は「オルテュギアの島がトリナキエ(シチリア島)の土手、遠くかすむ海洋の中に横たわり、アルペイオス河はこの地で流れも美しいアレトゥーサの泉と混ざりながら泡立つ」という神託を下した。やがてシチリアに来た彼らは海の近くにありながら淡水が湧き出る不思議な泉を発見し、これこそが神託で示された泉だと信じた。アルペイオス河神とアレトゥーサの恋物語もこの神託から生まれたという。
 また冥王ハーデスがペルセフォネーに一目惚れして彼女をさらった際、「アレトゥーサの泉」から冥界に戻ったのだという神話もある。この泉が海の近くにありながら淡水が湧き出ることから、よほど深くから水が湧いているのだと人々は思い、冥界にまで通じているのだろうと想像されたのだ。
「シュラクサイ…。古代のアテナイ軍が遠征して全滅した地…。僭主ディオニュシオスやヒエロンにティモレオン…。アルキメデスが防御兵器を駆使してローマ軍と戦った都市…素敵…」
 うっとりとサガが呟く。彼が今まで読んできた書物での知識が頭の中を駆け巡り、古代へのロマンと現地への憧れをかきたてた。
「アルペイオス、アレトゥーサとて自分をストーカーした男に会いたくはないだろう。治安なら私がついているから…」
 延々と続く河神たちとサガの会話に、とうとうカノンは叫んでツッコミを入れた。
「…あんたら、地元自慢でサガを観光誘致する競争をしてないで、どうやってサガを元に戻すかを話し合えーっ!」
 だが当事者たるサガはどこまでも無邪気だった。
「ええ〜?僕は行きたいな。せっかく地上にいるんだから色々と見たいよ。ね、カノンも一緒に行こう?」
「サガ、話をややこしくするな…」
 無心な兄の様子にカノンが頭を抱える。そしてアイオロスも声を張り上げた。
「そうだよ、サガ、早く元に戻ってくれないとおれが困るんだ。サガが補佐してくれないと仕事が出来ないし、子供の姿じゃ夜の営みも出来ないじゃないかぁ!」
 その言葉にくわっとカノンがアイオロスを怒鳴りつけた。
「アイオロス、てめぇはいい加減、サガとやることから離れろ!」
「仕方ないだろ!サガを見てるだけでムラムラするんだよ!本当なら夜だけじゃなく、朝も、昼も、夕方も、一日中だって抱いていたいのにぃ!」
 アテナとハーデスの講和の結果、復活したアイオロスは成長した二十七歳の肉体を与えられたが、精神の方は死んだ当時の十四歳の部分が多分に残っていた。つまり頭の中が性衝動が堰を切ってあふれ出さんばかり、世の中の全てがエロく見えるという、伝説の思春期真っ盛りなのである。
「うわあああーん!このままサガが成長するまでセックスできないなんて嫌だーっ!サガーッ、せめて抱き締めさせてくれぇ!」
 身をすくませた少年のサガに近寄ろうとするアイオロスに、カノンが蹴りを入れて阻止する。
「こら、てめぇ、サガに近づくな!ペニスを引っこ抜くぞ!」
「サガァァァーッ!好きだーっ!」
「寄るな、エロ人馬!しっ!しっ!あっち行け!」
 サガを背後に隠したカノンとサガに近寄ろうとするアイオロスの醜いやり取りに、ネイロス河神とアルペイオス河神は視線を交差させた。
「しかし元に戻す方法を話し合えと言われても…」
「本当に元に戻していいのか?」
「本当に、本当にいいのか?後悔しないか?」
 両河神の言葉にカノンが眉をひそめる。
「何だよ、その念押しは?」
「…う〜む、元に戻る方法は探らないほうがいいと、私の超感覚的直観が告げているんのがな」
「まあ、そこまで言うなら…占ってみるか」
 アルペイオス河神の言葉に、アイオロスとカノンは目を丸くした。
「占い?」
「そんなもので分かるのか?」
「予言の神たるアポロンのように百発百中とはいかんがな。人間のそれよりはずっと高い精度で知りたいことが分かる。鳥占い、夢占い、内臓占い…色々あるが…」
 アルペイオス河神がアイオロスに目を向ける。
「教皇、サイコロはあるか?ないなら、硬貨でもいい」
「サイコロはありませんが、硬貨なら…」
 アイオロスは引き出しの中から財布を取り出し、貨幣を一枚、アルペイオス河神に渡した。
「どうぞ」
「うん。ではこれで占ってみる」
 アルペイオスは手にした硬貨を放り投げた。落下した硬貨の面が表か裏かを見て、順に指を折ったり、伸ばしたりしながら、どちらの面が出たかを覚えていく。それを六回繰り返し、やがて彼はある結論を得た。
「…ああ、うん…」
 うなりながら迷っているらしいアルペイオス河神にカノンが尋ねる。
「分かったのか?」
「分かったが…。これ、言っていいのか?本当に言っちゃっていいのか?」
「何だよ、もったいぶるなよ」
「本当に、本当に知っても後悔しないな、カノン?」
「だから早く言えって!」
 カノンに促され、アルペイオス河神はおごそかに口を開いた。
「では…」

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