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2016年10月25日05:18

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『海神の子』第5話

『海神の子』第5話

ジュリアン・ソロは庭に敷かれた芝生の上に座り込んでいた。視線の先では五歳になる息子がボディガードを相手にサッカーボールを蹴っている。
「ジュリアン」
 名を呼ばれ、ジュリアンが振り向いた。カノンが庭に面したテラスからこちらに降りてくる。
「カノン、来たんですか」
 ジュリアンは立ち上がり、服についた土と芝生を手で払った。
「コンスタンディノスは元気なようだな」
「ええ」
 カノンはジュリアンと並び、サッカーボールで遊ぶ少年に視線を向けた。
「あ!カノン、いらっしゃい!」
 客人の来訪に気付いた少年がサッカーボールを蹴る足を止め、カノンに手を振る。カノンも手を振って少年に答えた。少年は再びサッカーボールを蹴って遊びだした。
「…それにしても、あなたがあの子を連れてきた時は驚きました」
 ジュリアンが回顧する。
 五年前、一年近くソロ邸に姿を見せなかったカノンが久しぶりにジュリアンを訪ねてきた。彼は腕に生後一か月ほどの金髪の赤子を抱いており、
「ジュリアン、お前の息子だ。ソロ家の後継者として育ててくれ」
 と、いきなりジュリアンに言ったのだ。
 当然、子供を作った覚えなどなかったジュリアンは驚き、母親は誰かと問うた。カノンはそれに対し、
「母親は死んだ。女の親戚がお前の前に姿を現すことはない。安心しろ」
 とだけ答え、ジュリアンに赤子を渡すとソロ邸を立ち去ってしまったのであった。
 身に覚えもないのに「息子」だという赤子をカノンに置いていかれ、ジュリアンは困り切った。それでも放置しておくわけにもいかなかったので、召使たちに命じて必要な物品を買いそろえさせ、乳母を手配して養育させることにした。
 子供の身元を確かめるために、DNA検査も行われた。その結果、赤子は確かにジュリアンの息子であるという鑑定結果が出た。この結果にジュリアンはさらに頭を抱えたが、結局、赤子を我が子と認知して育てることにしたのである。
 赤子の名前についてカノンは何も言わなかったため、ジュリアンは男児に、自分の父親と同じ「コンスタンディノス」という名を与えた。これはすなわち、この赤子を自分の後継者と認めた証でもあった。
 以来、コンスタンディノスはジュリアンの手元で、元気に、利発に、成長している。「母親」はいないが、「父親」であるジュリアンはコンスタンディノスを可愛がっているし、乳母も召使も祖母であるジュリアンの母もおり、皆がコンスタンディノスを愛している。このため、子育ての人手にも愛情にも、もちろん物質的にも、この少年は何も不自由していなかった。「母親」が不明であるという不自然さを気にするには、本人もまだ幼かった。
「しかしそれにしても…あの子の母親は本当に誰なんだか…」
 遊ぶ息子を見ながらジュリアンが、これまでに何度も繰り返した疑問を呟き、ため息をつく。
「何だ。お前だって童貞だったわけではなかろう?」
 カノンの指摘にジュリアンが顔をしかめる。
「いや、それはそうですが…。でも避妊はきちんとしてましたよ。子供を作るようなへまは…」
 子供を連れて来たカノンは、相変わらずコンスタンディノスの母親の身元については口を閉ざして何も言おうとしない。
「はっきり言って不気味ですよ。誰かが勝手に私の精子を盗んで子供を作ったのかとも思えて…。気付かない間にレイプされていた気分です」
「手違いは誰にでもあるさ。女が勝手にゴムに穴でも開けてたと思え」
「そう言われましてもね…」
 はぁ、と、ジュリアンが大きなため息をつく。
「まぁ…コンスタンディノスの顔立ちは、子供の頃の私に瓜二つですしね。あれだけ似ていれば、私の息子だということを疑う人間ももういません。母などコンスタンディノスを溺愛していますよ」
 金褐色に海色の瞳をしたコンスタンディノスは、写真に残るジュリアンの幼い頃の姿にそっくりだったのだ。
 カノンが産んだ双子のうち、一人はソロ家の後継者に、というのがポセイドンの意志だった。だがどちらを、とは、海皇は指定しなかった。だからカノンは、金髪でジュリアンに似た長男の方をジュリアンに託して育てさせることにした。ジュリアンとの容姿の類似が、親子関係を周囲に信じさせるだろうと思ったからである。
「カノン!カノンも一緒にやろうよ!」
 サッカーボールを蹴っていたコンスタンディノスが、カノンに駆け寄ってきて彼を遊びに誘った。カノンは彼の小さな頭を撫でると、
「また今度な」
 と言った。
「やらないんですか、カノン?」
「今日はお前とコンスタンディノスの様子を見に来ただけだ」
 すぐに帰る、と、カノンは誘いを断った。
「じゃあ、父上!父上も遊ぼう!」
「よぉし」
 ジュリアンは庭の中央に歩み出ると、息子とサッカーボールを蹴り始めた。カノンは仲睦まじい親子の様子をしばらく見ていた。
 いずれジュリアンが年老いたら、ポセイドンは依り代をコンスタンディノスかその息子に移すだろう。神は美しい肉体を愛するのだ。ソロ家はポセイドンの依り代の家系として存続し続け、海皇の庇護のもと、海商王としての歴史と繁栄を連綿と記していくだろう。
 その未来を思い、カノンはソロ邸を後にした。

 ソロ邸から海界・ポセイドニアの元首公邸に帰還したカノンは、執務を終え、夕食を取った後、女神レウコテアの居館である「白の館」を訪ねた。双子の兄であるサガが、もう一人のカノンの息子テオファネスに会うために「白の館」に来ていると聞いたからである。
 出産後、一ヶ月ほどの時間をかけてカノンの体は男性のものに戻った。それと同時に、カノンは自分が産んだ双子のうち、長男は地上のジュリアンに渡し、次男の方はレウコテアに預けて「白の館」で養育させるようにした。
 男に戻った今では女手の足りない元首公邸では育児に不便であり、ニンフたちの住まう「白の館」のほうが幼い子供を育てるにはいいだろう、というのがカノンの言い分だったが、それは口実に過ぎなかった。
 カノンは、自分が産んだ息子たちを見たくなかったのである。
 女手ならば子供たちには乳母がついていたし、女官を増やせばすむ話だった。次男の名前である「テオファネス」も、カノンではなくレウコテアがつけたものだ。「神の顕現」を意味する名である。カノンは、己の子の命名すらしなかった。子供のことについて考えたくなかったのだ。
 「白の館」に預けられた自分の甥に、サガは足しげく会いに来た。もう一人の甥のコンスタンディノスはジュリアンに預けられ、親戚と名乗ることさえ出来ない分、サガはテオファネスを可愛がった。胎児のころから成長を見守り、誕生を心待ちにしていた甥を、サガは我が子の様に溺愛した。そして実の親であるカノンはというと、自分の息子にというより兄に会うために、「白の館」に足を向けるのだった。
 そしてその夜、「白の館」を訪ねたカノンは、子供部屋で兄のサガが甥に本を読んでいるのを目にした。
「…カノン父上!」
 カノンが来たのを見て、テオファネスが目を輝かせた。テオファネスは、紺黒の髪に、双子の兄と同じ海色の目をしていた。顔立ちは優美で整っているが、カノンにも遺伝上の父親であるジュリアンにも似ていない。ポセイドンの本来の姿に似ている、とレウコテアは言った。
「まだ起きてたのか、テオファネス」
「サガ伯父上に本を読んでもらってました。ヘラクレスの冒険のお話…面白くて」
「もう寝ろ。子供は寝る時間だ」
「…はい」
 父に言われたテオファネスは、おやすみなさい、と素直にカノンに頭を下げた。
「さ、寝室に行こう、テオファネス」
 サガが甥の手を取り、彼を隣の寝室に連れて行った。夜着に着かえたテオファネスは、広い寝台に一人もぐりこんだ。
「サガ伯父上も今日はここに泊まるの?」
「そのつもりだ」
「…じゃあ、カノン父上も今夜はいるんだ」
 テオファネスが嬉しそうに言う。
「おやすみ、テオファネス」
 サガが甥の頭を撫でる。
「…あのね、サガ伯父上」
「どうした?」
「僕が眠くなるとね、ポセイドン父上の声が聞こえてくるんだ」
「ほう?」
 甥は内緒の打ち明け話をするかのように、サガにこっそりとささやいた。
「ポセイドン父上が言うんだ。『テオファネス、愛しい息子よ。お前の望みは何でも叶えよう。この世界の全てはお前のものだ』って…」
「……」
「だからこの前、ポセイドン父上にこうお願いしたの。『この世界なんていりません。カノン父上と一緒に暮らせるようにしてください』って」
「…そうか。ポセイドンは何か言ったか?」
「なにも…」
 それからテオファネスはまぶたを閉じた。
「僕、いつになったらカノン父上と一緒に暮らせるんだろう…。ずっといい子にしてるのに…」
「…お前がもう少し大きくなったらな」
 おやすみ、と、サガは甥の額にキスを落とし、寝室を後にした。
 「白の館」にはカノンのためにしつらえられた彼の私室がある。子供部屋を出たサガがそこを訪れると、弟は居間の長椅子に腰を下ろして暗い顔をしていた。
「テオファネスは寝たか?」
「ああ」
 カノンはブランデーの瓶を傾け、グラスに酒を注いで、一口飲んだ。
「カノン、いつまでテオファネスをここに預けておくのだ?」
「……」
「あの子は寂しがっている。お前と一緒にいたいのだ。あの子にとって親はお前しかいないのだぞ」
「…分かっている」
「あの様な経緯でもうけた子を疎ましく思うのは仕方ないだろう。だがあの子には何の罪もないのだ。お前はテオファネスを許し、愛してやらねば…」
「分かっていると言っている!」
 兄の言葉にカノンは声を荒げ、グラスを勢いよくテーブルに置いた。
「お前はいつも正論ばかり…!おれの気持ちなどなに一つ分かってないくせに!」
「カノン…」
「今でもテオファネスを見るたびにおれはポセイドンに犯された時のことを思い出して…、あの時のポセイドンの得意げな笑い顔を思い出して、気がどうにかなりそうなんだよ!そんな状態で一緒に暮らせるわけがないだろう!」
「カノン…」
 言い放ってぐいっと酒をあおる弟を、サガは憂いを込めた目で見つめた。
「あいつに罪がないのは分かってる…。でもだめなんだ。おれはテオファネスを愛せない…」
 グラスをテーブルに戻すと、カノンは額を抱えてじっと瞑目した。
「おれの手元に置くより、ここに預けているほうがまだいいだろう。レウコテアもニンフたちも、テオファネスを可愛がってくれる…。世話をする人手も充分にある…」
「……」
「明日の朝食は、テオファネスと同席して取る。それで許してくれ、サガ」
 サガはため息をつき、弟の向かいの椅子に腰を下ろした。
 これこそが、ポセイドンがカノンに与えた「罰」なのだと思った。自分が産んだ子供を見るたび、カノンはポセイドンのことを思い出し、決して海皇のことを忘れることが出来ない。ある意味、カノンの心はポセイドンによって捕らわれたも同然だった。「シードラゴン」を気に入っているという海神は、カノンの心に傷跡を残すことで彼を鎖につないだのだ。
「あの子はお前の後継者にするのか?ポセイドンはそのつもりのようだが」
「ポセイドニアの元首職は世襲制ではない。テオファネスが成長して、ふさわしい実績を積んでいけば、いずれ元首に選出されることもあるだろう。おれが決めることではない」
 そっけない弟の言葉に、そうか、とサガは短く返した。息子の将来に対する配慮さえ、カノンは積極的にはする気にはなれなかったのだ。
「いつかは、テオファネスを引き取らねばと思ってはいる。でも今はまだだめだ。そう、あいつがもう少し大きくなったら…」
 呟くカノンの姿に、ポセイドンも罪なことをしたものだ、と、サガは思った。強姦されて産み落とした子供を、カノンは愛せないでいる。ポセイドンは育児に関わる気などない。それなのに幼いテオファネスは「親」の愛を求めているのだ。
 あるいはテオファネスは、得られない「愛」を求めて、心の空洞を埋めようと、常に満たされぬ心を抱えてあがきながら生きていくことになるのかもしれない。…サガとカノンがそうであったように。
 それを思うと、サガはどうにも気持ちが重く苦しくなるのだった。

 深夜、テオファネスはぐっすりと眠っていた。
 闇にまぎれてカノンはそっと彼の寝室に入り、眠る息子の顔を見つめた。
 しばらくテオファネスの寝顔を見つめていたカノンは、腕を伸ばして少年の細い首に両手をかけた。ぐっと力を入れようとして…そしてカノンは手を震わせ、両手を息子の首から放した。
 カノンは身をひるがえし、急いでテオファネスの寝室から出た。すると入り口近くの暗い廊下に兄のサガが立っていた。
「…何をしていた、カノン?」
 弟の不審な行動に、サガの顔はこわばっていた。カノンは兄に駆け寄ると、胸元に飛び込んで彼を抱きしめた。
「カノン…!」
「サガ、サガ…助けてくれ…」
 カノンは兄の胸の中で震えた。
「…おれは自分が怖い…。このままではテオファネスを殺してしまうかもしれない…」
「…カノン…」
 サガは弟の体を抱き、背を撫でた。
「このままではいけないのは分かってる。でもだめなんだ…。どうしたらテオファネスを愛せるのか分からない…」
「カノン、大丈夫だ、大丈夫だから…」
 サガは弟の背を撫でてやりながら、言葉をかけた。
「大丈夫だ。いつかはお前の気持ちも落ち着く。そうすればテオファネスのことも可愛く思えるようになる」
「…だめだ、出来ない…」
「お前はテオファネスの実の親ではないか。大丈夫だ、きっとそうなる」
 自分でも信じていない言葉を、サガはカノンにかけてやるしかなかった。
「お前が愛せなくても、その分、私たちが可愛がってやるから…。心配するな、カノン。大丈夫だ。テオファネスのことは私たちに任せておきなさい」
「すまない、サガ…」
 それからカノンは呟いた。
「すまない…許して…、許してくれ…」
 それが誰に対して許しを乞うた言葉なのか、サガにもはっきりとは分からなかった。

<FIN>

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