スイッチバックを上ると、東三原バス停付近からの軌道跡は、県道嬬恋草津線の一段下を走行する。
歩いて見ると、高さ2mほどの軌道跡の擁壁が段を作って並走しているが、段の上も下も見事に家が軒を並べており、写真で表現するのが難しい。
県道と白根有料道路の分岐付近から小径を下ると辛うじて残った軌道跡が確認できる。
藪の中から姿を現し
生活歩道として先の小径と交差
その先は見事な切り通しになっている。
カーブの先は建設会社の私有地に吸収され、県道を渡る。
軌道跡は未舗装路として続き、
資材置き場のようなところに行き着く。
この先も森の中を掘割が続くが熊笹と湿地で歩行進入は困難だ。
どうやら次の湯窪駅直前まで、県道とはくっつきそうでくっつかない場所を走行していたようだ。
湯窪は、硫黄鉱山からの索道の終点に作られた硫黄の積出のための貨物専用駅だったが、後年旅客営業も行ったとされている。道端に軌道跡が一部残り、そこがバス停になっている。駅跡はもう少し先のあたりだったようだ。
しばらく行くと右側に年代物の待合と共に石津のバス停を見る。
この反対側にスイッチバックの万座温泉口駅があった。万座温泉からはずいぶん遠いが、ここから馬でも出ていたのだろう。
スイッチバックの引き込みが駅になっていた。駅跡は石津住民センターとなっている。開業当初は駅名も石津平といったそうだ。
周辺にはスイッチバック跡がわずかに残る。
周囲には民家が建ち並び、山あいのちょっとした集落になっている。
駅を出た列車はそのまま高度を上げることなく本線に復帰していく。
(続く)
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