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R博士の格闘技研究室コミュのモンゴル相撲は強いのか?

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日本の角界を席巻するモンゴル勢。彼らのほとんどがモンゴル相撲経験者である。

ただし、彼らのほとんどは若い頃に日本に来ているため、モンゴル相撲の実績はほとんどないが。。。

コメント(16)

まずは、モンゴル相撲についての予備知識。

毎年7月11〜13日に行われる大ナーダムが最高の権威を持つ大会。同時に昇級審査にもなっている。

通常512人で行われ、32強でナチン(隼)、8強でザーン(象)という称号が与えられる。
優勝するとアルスラン(獅子)。2度の優勝で最高位のアヴァラガ(巨人)になる。
※さらに準優勝が3回で、、、とか細かい設定もあるが、一応これを知っておけばOK。

※2003年から、4強にガルディ(伝説の巨鳥)、16強にハルツァガ(鷹)が与えられるようになった。

大ナーダムに次ぐ大会が2月に行われる旧正月の大会である。
もちろん⊇仂譽瓮鵐弌爾脇韻犬覆里世?△海舛蕕肋叉蕕北鬼愀犬任△襪燭瓠??劼?磴い里澄
ちなみにここ15年のモンゴル相撲の状況を簡単に説明すると、「モンゴルの生ける伝説」バットエルデンに尽きる。

88年のナーダム初優勝以来、91年に準決勝で敗れただけで、3連覇(88〜90)+8連覇(92〜99)と、通算11回の優勝(90年のモンゴル秘史完成750年記念ナーダムを含めると通算12回)。

国民栄誉賞を受けるほどのスーパー大横綱である。

まさにモンゴルにおける、ヒクソン、カレリン、双葉山、山下、木村、ロッキー・マルシアーノ、ジョー・ルイスだ。
余談が長くなったが、モンゴル相撲の他競技挑戦について述べたい。
正直、勉強不足、データ不足で申し訳ないが、、、

日本の大相撲で朝青龍が横綱になったことは言うまでもない。彼の独特な取り口を見れば、彼がモンゴル相撲経験者であることは明白だ(本人もそう言っているし)。
また、父親や兄弟もモンゴル相撲の上位選手であったこともよく知られている。
※朝青龍は青年期にモンゴル相撲のヤチンに勝利したことが伝えられているが、さすがにこれは調査できなかった。

また、先述したバットエルデンは、94年の世界アマチュア相撲選手権で優勝している。
※アマ世界大会には、琴光喜、栃乃洋、海鵬ら、後に幕内で活躍する日本のトップアマチュアが参戦している。

日本の相撲でも十分通用している、いや、それを凌駕している程のレヴェルの高さがあると言える。
サンボでも、ソ連崩壊以前は、ソ連、ブルガリアと並び3強国と知られ、もちろんその選手達はモンゴル相撲現役および出身選手だったであろう。

世界王者を7人輩出したらしい。
※これは未確認。

ちなみに、先述のバットエルデンも3度サンボ世界王者になっているそうだ(※これもはっきりした記録は見つからなかった)。
ただ、99年の世界選手権では2位になった選手と互角の試合をしたらしい。

とにかく、サンボ強国であったのは事実のようだし、現在でもかつてほどではないが、サンボの世界選手権の上位入賞者を数多く輩出しているのは事実。
レスリングでもモンゴル相撲の強者は通用するようだ。

朝青龍の兄スミヤバザルがアトランタ五輪において、同大会金メダルを獲得する現プロレスラーのカート・アングルを苦戦させたことは、別の機会で述べたが、それだけではなさそうだ。

古い記録で申し訳ないが、ムンフバトというナーダム優勝5回のアヴァラガ(最高位=巨人)が、メキシコ五輪で銀メダルを獲得している。
実はこの国家的英雄のムンフバト氏。大相撲で活躍する白鵬の父なのである。

ムンフバト以外にもモンゴル相撲出身選手がレスリングで活躍していると思うが、まだ調べていない。
柔道でもモンゴル出身選手は活躍している。

89年の世界選手権95キロ級で準優勝したオドヴォギン・バルジンニャムが最高の成績のようだが、この選手もやはりモンゴル相撲のアヴァラガだ。

ちなみに先述の国民的英雄バットエルデンもシドニー五輪に出場している。
つまり、モンゴル相撲は、ここまで調べただけでも、
大相撲、アマチュア相撲、サンボで優勝者。レスリングと柔道で準優勝者を出していることになる。

また、朝青龍以外はすべてがアヴァラガ。
モンゴル相撲での強さが他競技にもそのまま通じていることが多い。

朝青龍もナーダムに出たいと話していたが、ぜひ見てみたいものだ。現役のうちは無理だろうが、モンゴル相撲は比較的高齢でも活躍できる競技のようだから、3年後に引退(勝手に期待)したら、総合とともにナーダムに挑戦してもらいたい。

現在最強と言われる「小さな巨人」スフバットとの対戦が見てみたい!
別トピック「朝青龍兄は強いのか」で書いたが、
現在のモンゴル相撲界には4強とされる選手がいる。

スフバト:小さな大横綱
ウスフバヤル:2メートルを超す巨漢横綱
スミヤバザル:朝青龍の兄
ガントクトホ:横綱の息子でスフバトの義弟

の4人だが、彼らは全員レスリングの選手としても活躍している。

スフバトは世界選手権4回出場で最高6位入賞。
ウフスバヤルは世界選手権5回五輪1回出場で最高位11位
スミヤバザルは世界選手権1回五輪2回出場で最高位10位
ガントクトホは世界選手権4回五輪1回出場で最高4位入賞。

クートゥア、ケアー、コールマン、ヘンダーソン、エリクソンといった総合格闘技で活躍する米国人レスラー達と遜色ない成績を残している。

モンゴル相撲の選手が、本業を持ち(彼らはアマチュアなので相撲は本業ではない)、その傍らで相撲をやり、さらにその傍らでレスリングをやっていることを考えると、これはすごいことだ。
追加情報

モンゴル相撲の国民的英雄バットエルデンのサンボ成績を確認しました。

セルビア・モンテネグロ在住でサンボ連盟理事、国際特級審判の筒井氏に問い合わせたところ、

85&86年に100キロ級で優勝
89年に100キロ超級で優勝

だそうです。
さらに、

98年に準優勝、99年に3位入賞
敗戦した相手はどちらも常勝のサンボ王者ハサノフ。

さらに、柔道では上記したシドニー五輪を含め、五輪には3度出場とのこと。

やはり、バットエルデンはただ者じゃない。

また、これまた前述したオドヴォキン(モンゴル相撲アヴァラガ&柔道世界選手権準優勝)も、サンボ世界選手権で3度の優勝がある。

上記2人を含め合計5人のモンゴル人サンボ世界王者を確認することが出来た。
今日知ったところによると、朝赤龍の父はハルツァガ、安馬の父はザーンだそう。
人気の大横綱スフバトは、怪我により引退を表明したそう。
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/300291.html

先述した白鵬の父ムンフバトについての、詳しい記事を見つけました。

コピペしますので、是非ご覧くださいませ。

五輪銀メダル以外のレスリングの実績はどうだったのか気になります。世界選手権含め。

   偉大なる父親

 白鵬は力士として偉大な父親を持つ。
 モンゴル相撲の象徴ともいえる人物なので、詳しくご紹介したいと思う。
 そもそも、モンゴルに「ふたりのムンフ」という言葉がある。これは国民的英雄、バヤンムンフとムンフバトという二大横綱を指す。後者のムンフバトはもちろん白鵬の父親である。バヤンムンフは一九四四年生まれなので、一九四一年生まれのムンフバトとは、同世代になる。
 決して大きくはない百七十七センチ、百五キロの体格で、ムンフバトが五百十二名が参加する国の「ナーダム」で最初に優勝して横綱となったのは一九六三年、二十二歳のときだった。翌六四年にも優勝し、同年の東京オリンピックにもレスリングの代表として参加している。その後メキシコ、ミュンヘン、モントリオール、モスクワと五回連続での出場を果たし、メキシコオリンピックでは銀メダルを獲得し、モンゴルに初のオリンピックメダルをもたらした輝かしい経歴の人だ。モンゴル人がメダルを取れる競技はレスリングやボクシングといった格闘技だが、レスリングを専門にする人はいないので、モンゴル相撲の力士が参加するのが今までの慣わしとなっている。
 ムンフバトが、六〇年代半ばから八〇年代半ばまで永遠のライバルとして競い合ったバヤンムンフと最初に国のナーダムで決勝を戦ったのは一九六五年。このときはムンフバトが決勝を制した。ちなみに参加者は五百十二名だったから、一日で九回戦を勝ち抜かなければならなかったことになる。
 この二強に加えて、もうひとりの横綱のツェレントグトフ(一九五一年生まれ)を加えた三強時代の数々の伝説的な勝負は、モンゴル人の脳裏に強く刻み込まれているという。結局、「ふたりのムンフ」の国のナーダムでの直接対決は四勝四敗の引き分けだったというが、モンゴル相撲の最盛期を担ったのは間違いない。
 一九八〇年代後半から九〇年代は、昨年国会議員になったバトエルデネ(一九六四年生まれ)のひとり舞台であった。二〇〇〇年ごろから第十八代横綱のウスフバヤル(一九七二年生まれ)を中心に、朝青龍の兄の大関スミヤバザル(一九七四年生まれ)、大関A・スフバト(一九七一年生まれ)、それにバヤンムンフの息子のガントクトフ(一九七二年生まれ)などで混戦状態にある。
 スポーツ記者歴四十二年という、モンゴル随一の相撲通のチョルーン記者にモンゴル相撲の“横綱ベスト5”を選んでもらったところ、一位のバヤンムンフに続いて、二位がムンフバトだった。こうして名前が挙がるほど、ムンフバトはモンゴル相撲の黄金期を支えた代表的な大横綱なのである。
 また、チョルーン記者は、バヤンムンフを一位に持ってきたが、バーサンドルジ著の『モンゴル民族相撲小百科事典』(二〇〇〇年)を見ると、バヤンムンフの項の解説が二十八行であるのに対して、モンゴルに最初のオリンピックメダルをもたらしたこともあり、ムンフバトには三倍以上の九十八行が割かれている。まさに日本でいう「横綱の品格」を持つ人格者としても尊敬を集めている。強さが優先するのはいうまでもないが、日本の横綱でいえば、大鵬のような人気と尊敬といえるだろうか。
 いずれにしても、ムンフバトは一位二位を争うモンゴル相撲の力士であり、これがモンゴル国民の一般的評価だと考えてよいだろう。
ムンフバト(白鵬の父)の追加情報

五輪銀メダル(68年)は確認できました。

さらに、世界選手権(フリー)では66年4位、67年3位、69年5位、70年4位です。

階級は68年までが87キロ級、その後は90キロ級です。

転向ではなく、階級の調整の問題でしょう。

間違いなく世界のトップレスラーだったようです。
それどころか!
上記の記事で、ムンフバトのライバルとされているバヤムンフ選手もすごいです!

68年オリンピック5位
69年世界選手権6位
70年世界選手権4位
71年世界選手権2位
72年オリンピック銀メダル!
73年世界選手権4位
74年世界選手権2位
75年世界選手権優勝!
76年世界選手権5位

フツーに世界王者じゃないですか!

ちなみに68年は97キロ級、それ以外は100キロ級です。
恐るべしモンゴル相撲!

てか、モンゴルは共産主義ですから、スポーツには力を入れてたんですよね。。。
モンゴル相撲やばいっすね。

日本に例えるとどういうことかと言うと、

大鵬(バヤムンフ)がレスリングの世界王者。
ライバル柏戸(ムンフバト)が五輪の金メダル。
千代の富士(オヴォドキン)が柔道で世界2位。
貴乃花(バットエルデン)がサンボで世界王者。

みたいなもんですよ!
久々にこのトピックも更新します。

追加情報を見つけました。

まず、バットエルデンの柔道家としての実績。

アジア大会:準優勝1回、3位3回
アジア選手権=準優勝2回、3位2回
東アジア大会=3位2回

とのことです。
残念ながらアジアの頂点には一度も届いていない。
それぞれ敗れた相手もいつか調べてみたい。

オリンピックも2000年シドニー大会に出場
初戦で潘松(中国)に一本負け


上記のバヤムンフにも追加情報。
サンボでも74年に世界王者になっているそうです。


他のモンゴル人異種格闘技選手は、
ゼベック・オイドフという選手が、
モンゴル相撲の番付は分からないのですが、
76年モントリオール五輪レスリングフリースタイル68キロ級銀メダル。
74&75年の世界選手権では優勝している。

世界柔道2007HP内の磯部晃人氏の記事より発見。

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