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思想と哲学コミュの碇シンジを戸塚ヨットスクールにぶちこみたい

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エヴァンゲリオンっていうアニメで
東京が巨大な宇宙怪獣に襲われてるとき
パイロットの碇シンジが
紫色のロボットに乗って戦うのに
まあ ぐずぐずぐずぐず、てれてれてれてれ
とにかくムカついたのは僕だけだろうか

アスカっていう女の子に「あんたバカァ」とかいちいち言われて
でもあんな女の子じゃ全然だめ

あんなの戸塚先生がゴン!って
頭ぶん殴れば済む話なのよ

コメント(12)

戸塚ヨットスクール、ヨットスクールとしては、、、よかったのか、どうなのか、

いま?コンプライアンス?問題?
なにが問題??知ってる?どのくらい?
エヴァの世界観というか舞台装置が戸塚ヨットスクールみたいなものだが、戸塚ヨットスクールの方が安くて手っ取り早そうですね。
エヴァンゲリオンの旧劇場版で不可解なのは、人類補完計画で他者との境界が消失した状態が碇シンジにとって自身の問題の解決を意味するにも関わらず、再び彼が個体性を意志するところ。
人類の補完が完了した時点で「終劇」としてもよかったのではないか?
アスカちゃんじゃなくて
こういう監督のほうが必要

【箱根駅伝】 選手のガッツポーズにキレる駒澤・ 大八木監督
https://youtu.be/sJ4J6VW_xTA
エヴァの最終回についての一つの感想です。


信仰義認と説かれて、神から与えられた信仰を受け入れるだけで救われると説かれて、受け入れたつもりにはなれても、本当は、世界に向かって開かれた自分にはなれてはいない。
だからこそ、碇シンジのように「死と再生」を繰り返すのだと思いました。

行為義認とはそういうことで、生きている限り、世界内部的な存在者たちとの交渉を通じて、存在者レベルの具体的な一つ一つの現実を受け入れていくことを、やっていかなければならないのかもしれないです。
具体的な一つ一つの物質的現実との交渉を通じて、いかに魂を神の域に近付けていくかが人生の修行なのだと思います。

肉体は滅びても、魂はあの世に持っていける。
そう信じます。
戸塚ヨットスクール
https://totsukayachtschool.com/

ーー
とにかくムカつかいた?
なんでだろう?
何に対して、、なのだろう?

碇シンジの「逃げちゃ駄目だ」「逃げちゃ駄目だ」というセリフは、頭では分かってる現実を心は受け入れてないからこそ、そう自分に言い聞かせなければならなかったのだと思います。

頭で考えて分かったことを直感や体感のレベルに落とし込むために、一度は人類補完計画に参加して、生命を誕生させた海に一度は入って、そして出るという大人になるための通過儀礼が必要だったのかもしれないです。

他者を嫌いになったり現実に何度でも引き戻されて嫌な気持ちになったりしながら、自分に執着していて世界を受け入れていない段階を乗り越えて、世界と和解するための碇シンジの修行は、大人になってからも続くのだと思います。
>>[9]

エヴァンゲリオンの話題になったとき
唐突におたくが現れて
こっちとか頼んでもないのに
一人嬉しそうに碇シンジの心理を力説してる

エヴァンゲリオンおたく
くそキモい
違い封建、、
間違いほーけん、、
ムカつくといえば、、くそきもい、、とかいう、きもおた、、
すみません、トピ主さんに読んでもらいたくて書いているのではありません。
自分の成長のためにこの哲学コミュに参加して、気が向いたときに発言させて頂いてる者です。

エヴァ、展開が遅すぎてつまらなかったと思いきや、最終回だけが急展開すぎて圧倒されるばかりで、理解できませんでしたけど、笑

「この監督、なんかすごいこと考えてるんだなあ」とだけ、感想が残りました。

最終回だけでもまた見たいと思いながら、そのチャンスなく、まだ理解できていませんが、時空という他者との境界は、真実在しないものと信じれば真実在しなくなるから、碇シンジが時空という個体化の原理を実在しない仮象として認識したら、補完し合うことを妨げていた、ATフィールドが消失したという話だったでしょうか。

「心」は、分割不可能な一者としての「神」になることをも意志し得るし、分割された「物質」になることをも意志し得るし、分岐点に立たされて、二つの志向性へと引き裂かれている状態が心の本質である苦しみなんでしょうね。
そのような苦を楽と錯覚している状態から脱することが、神から与えられたものとしての信仰を受け入れることなのだと考えました。

「心」は、「神」と「物質」の二元からなるのだと考えました。

神という一元に内属する属性としての物質性への心の囚われがもたらす二元化をやめることが、二元論を乗り越えて、疎外を乗り越えて、物質性を内包しているものとしての神という一元に帰還することなのかもしれないです。

以上のような考察を踏まえれば、二項対立図式の優位項と劣位項を反転させても相変わらず二項対立図式は乗り越えられてないというデリダの有名な言葉を、もしかしたら正しく理解できるのかもしれません。

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