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半蔵門かきもの倶楽部コミュの 第百回 JONY作 「Fly me to the moon」(三題話『ハロウィン』『カモ』『細胞』)

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 今年の『ハロウィン』の話をしていた最後の客が帰り、TVで見ていた『鴨』の『細胞』の番組も終わったので、今日は、そろそろ、店を閉めようとしたとき、その女は入ってきた。ブルーに染めたウエーブのかかった髪と、広く開いた胸元の蝶のタトゥ−。忘れもしない下北沢のJazzの店で見たピアニストの女だ。
 「ここだったんだ。ステキなお店ね」
 女(仮にA子としよう)の声はハスキーな低音だった。考えてみれば、彼女とは言葉を交わしたことが無かった。俺の知っているのは、彼女の歌だけだった。それは、聴く者の心を魅了するセクシーな歌声だった。その人が、今、俺の店にいる。ミュージシャンも、普通に話しもすれば酒も飲むんだ。そんな当たり前のことに俺は改めて気づかされた。
 「びっくりしたな。よく、俺の店がわかったね」
 俺は、カウンターの席を勧め、
 「何か飲む?」 
と訊いた。
 「モスコミュールお願いしてもいい?」
 「もちろん」
 俺は、トールグラスに、氷を入れ、冷蔵庫からジンジャーエールを出して、棚からウォッカを探して、グラスに注いでバースプーンでステアした。最後に冷蔵庫からライムをだして切り、絞って乗せる。それから、俺自身のために、ジンジャーエールの残りを氷の入ったグラスに注ぎ、ライムから一欠片を切り取って絞り、ノンアルコールドリンクを作った。カウンター越しにA子と目を合わせカチンと音を立てて乾杯し、彼女に訊いた。
 「ひとり?」
 「うん、S(仮名)にJさんの店に連れて行ってよと、誘ったんだけど、彼、生徒の店に行くのは抵抗あるみたいで、断られちゃった」
 「そうかもしれないね。やりにくいかもね」 

 Sというのは、俺のギターの先生である。俺が、A子に会ったのは、数日前の日曜の夜だった。その日は、ポッカリ時間が空いた。俺はSから聞いていた彼が出演するライブの情報をスマホで調べ、時間的にちょうど良かったので、暇つぶしに行ってみることにした。
 その店は下北沢の裏道にあった。「Z・・・(仮称)」という名前のジャズバーで雑居商業ビルの地下にあった。店は20人も入れば満席になる程度の広さで、奥にドラムとピアノが置いてあるステージがあり、さらにその奥の緞帳の向こう側を楽屋として使っているようだった。
 一階のファーストフード店の脇に、地下の「Z・・・」に降りる階段があり、その前の路上に立て看板で、今日の出演者が紹介されている。今夜は4組の奏者で、そのうちの一組に俺の先生のSの写真があった。どれだけ盛っているんだと俺は内心でその写真のカッコつけかたにケチをつけた。しかし、俺が惹かれたのはそのとなりのA子の写真だった。笑顔の欠片もなくカメラを無視して無表情だったが、そこには隠しようのないオーラがあった。俺はその夜そのステージを偶然見に来ることになったことを良かったと思った。そのときは、まだ、このあとに予想しない事態が待っていようとは知るはずもなく。
 地下に降りていくと、「Z・・・」の店内はほぼ満席で、むっとする人いきれとドラムとピアノとベースの音に溢れていた。俺は、入口でチャージを払い、ミックスナッツとコーラを受け取り、ようやく見つけた空席に座った。めちゃくちゃ冷房が効いていたが、ステージも観客も熱気がすごく、俺もステージでやっている「言い出しかねて」のリズムを足のつま先できざみ、ステージの帽子をかぶってピアノに向かいまるでデュークエリントンのように歌っている男を見ながらナッツをかじった。
 何曲かが終り、リーダーと思しき帽子のピアニストがたいして面白くもない下北沢の今昔の話などして、5分の休憩に入った。
 突然、肩を叩かれ、振り返るとSだった。俺が、普通に笑顔で挨拶をすると、Sはそれを途中で遮り、
 「Jさん。今日、時間ありますか」
と、真剣な顔で言い出した。彼は俺が通称のJの名で呼ばれるのを知ってから、先生なのに俺のことをJさんと通称で呼び、俺のほうが年上らしいこともあり敬語でしゃべる。
 「ええ。今日は暇です」
 すると、彼は、有無を言わせずに、俺をステージ裏に引っ張って行った。そこには彼のバンド仲間のA子と髭面のドラマーが深刻な顔をしていた。
Sは、説明をし始めた。
 「ベーシストが今本業の出張で札幌にいて、天候で飛行機が欠航して、ステージに間に合いません。私がこの店にある楽器を借りてベースをやりますから、Jさんがギターのバッキングをお願いします。ノーギャラですが」
 「え?俺がですか?無理ですよ」
と俺は反射的に答えた。当たり前である。そんなもの練習もせずに、できるわけがない。ちなみに、バッキングとは、コードでの伴奏である。ギターソロやリフのような目立つメロディーラインではない縁の下の存在である。
 「これがスコア(楽譜)です。有名曲ばかりです。ベースでしっかり支えますから必ずできます」
Sの目が必死だった。そんなSを見るのは初めてだった。俺は、その気迫に押されて返事をしていた。
 「わかりました。S先生、スコアを貸してください」
 本当は近くの公園にでも行って残された時間で音を出したかったが、それもできないので、そのまま楽屋というかステージ裏の狭い空間でSに貸してもらったiPod Nanoの 音源をイヤホンで聞きながら、Sのギター(テイラーのV-Classだった) で、音を出さずにひたすらコード進行の練習をした。
 ステージ上では、もう一組の演奏が終り、ついに俺たちの番になった。準備はぜんぜんできてないが、やるしかない。俺は、昔から、本番に強い、と自分に言い聞かせる。
 ステージに上がるときに、Sが俺に言った
 「音は外しても、リズムは外さないで下さい」

 ステージは、奥のかみてに髭面のドラム、 奥のしもてにSのベース、舞台の客席側中央にA子のグランドピアノ。俺は目立たぬようにピアノの蓋の影に立った。
 最初の曲は Fly me to the moon だった。 ドラマーが軽いスネアドラムのタッチで4小節を鳴らしてら、イントロ抜きで(これはたぶん素人の俺に配慮してだろう)ベースとピアノがいきなり入る。A子のハスキーな歌声が響く。
 Fly me to the moon 
 Let me play among the stars
 And let me see what spring is like
 On a Jupiter and Mars
 A子の声は俺を痺れさせた。髭のドラムもめちゃくちゃ上手い。Sのベースも正確だった。このメンバーと一緒に、素人の俺が音を出せるのが信じられなかった。ついA子の歌に合わせて、ノッてしまいそうになるが、「調子に乗るな。音数(おとかず)を少なく」と自分に言い聞かせる。
 In other words, hold my hand 
 In other words, darling kiss me
 ピアノ越しにA子と目が合った。A子が微かに微笑んでいるように見えた。まるで、「いいわよ。それで」と言ってくれているように感じられた。
 全部で4曲。やり終えたときは、頭の中が真っ白で脱力感でその場に倒れてしまいたかった。時間が押していたのか、あるいは、しゃべり担当が今日来れなかった札幌にいるメンバーなのかも知れなかったが、終りの挨拶もメンバー紹介も無く、俺たち4人はステージを降りた。
 店を出るときに打ち上げに誘われたが、俺は遠慮した。そこに、いるべきは来れなかった本来のベーシストであり、俺がいるのは場違いだったからだ。音楽の世界は文学とは違い実力の差が歴然としている。俺がA子や髭のドラマ−やSのレベルに達することは、今後もおそらくない。この人達と俺は仲間として酒を飲める関係ではなかった。

 「そうかもしれないね。やりにくいかもね」 
そう言いながら、回想から現実に戻った。いつもは先生と生徒の立場なのに、その生徒の牙城に入り込み、先生としての尊厳を壊す事なく酒を飲むというのは、やりにくくて当然だ。俺は重ねて言った。
 「俺とS先生では音楽との関わり方が違い過ぎているから」
 上手く表現ができなかったが、俺は、A子やその仲間たちの音楽性の高さを、たとえインディーズでもセミプロとしてやっていることを尊敬し、それを伝えたくて言った。しかし、うまく伝わらなかった。彼女は、モスコミュールを半分ほど一気に飲み、
 「Sは、まだ、いいよ。ギター講師やって、音楽だけで食べている。私は、このトシになってラブホの清掃で食べているのよ」
 と言った。
 俺は、違うよと叫びたかった。俺の言いたいのはSやA子の経済的な事なんかではない。しかし、その問題はどうも彼らの脳裏にいつも張り付いていてすぐに表に出てくる悩みのようだった。以前、Sが俺の車を偶然見かけたとき、彼が、今のA子のような表情になったのを思い出した。それについてSと話したことは一度もないが、おそらくSも学生時代から音楽から離れずに生きてきて、ギター講師しか生業(なりわい)がなく金に困ってこれからも生きなければならないことの辛さをいつも感じているのだろう。
 俺には、この金の問題については、何も言いたくない。俺もかつては金とは無縁に学問だけで生きていきたいと願った若い頃があった。しかし最初の予期せぬ結婚により、俺は金を稼ぐ必要性を感じ、或る意味必要悪と思いながら金を稼ぎ、それは病気で自分の会社を出るまで続いた。子供のいない俺は、今では妻以外誰を食わせる必要もなく金の要らない生活をしている。だから、音楽では彼らの足元に及ばない実力しかないのに、普通に不動産を持ち、普通に収入のある生活をしている。そういう自分を殺して生きてしまった俺に、昔から音楽一筋で生きているA子やSに何が言えよう。
 「ごめんね。愚痴言っちゃった」
 長い沈黙の後で、ぼそっとA子が言った。
 「いや、君に愚痴を言ってもらって嬉しいよ。俺でよければいくらでも愚痴聞くよ」
 「ありがと」
 A子にこれを訊くかどうか迷ったがこんなチャンスは二度と無いと思い、思い切って尋ねた。
 「ねえ」
 「何?」
 A子は無防備に首を傾げる。
 「俺の演奏どうだった。緊張しすぎていて全然覚えていないんだ」
 A子はふふふと笑い、
 「ブッツケであれができればいいんじゃない」
 と言った。
 その言い方で、自分は庇われていると骨身に染みてわかった。あの時の俺はただの飾りだったのだ。おそらく本来のベーシストと本来のギタリストのSがやっていれば、まるで違ったステージになっていたのだろう。
 「ごめんな」
 「何であたしに謝るの」
 「ごめんな」
 俺には何も言えなかった。こんな出来ない俺でごめん。君にふさわしい男でなくてごめん。君を感動させられなくてごめん。
 「ウイスキーにしようかな」
 A子の言葉で俺は無言で、ロックグラスに氷を入れてヴァランタインを注いだ。
 「Jさんも、一緒に飲んでよ」
 「飲んだら君を送れなくなる」
 「え。送ってくれるの?嬉しいな。Jさんのおうちは遠いの?」
 「◯◯」
 「近いじゃない」
 「君は?」
 「高円寺。旦那はいないけど、今日は母親が来ているの。だから今夜はうちに上がれないよ。ごめんね」
 「そうか、じゃ、一緒に飲もうか」
 「そうしよ。そうしよ」
 彼女が自分の隣の席をポンポンと叩いて言った。
 俺は、店のドアに貼ってあるOPENの札を裏返し、アイスペールに氷を入れ、ヴァランタインの瓶と自分用のロックグラスと共にトレーに乗せ、彼女が叩いた席に座った。
 彼女以上のミュージシャンは世の中にいっぱいいるかもしれない。しかしこの前の下北沢の「Z・・・」で聴いた彼女の歌以上のものを俺は知らない。そんなことを口にしようかと思うが上手く言えない。
 俺とA子は、ただ並んで、ウイスキーのオンザロックを飲んだ。おそらくは、お互いにダメな自分を嘆いて。A子はいつまでも芽が出ない自分に絶望し金の不安に苛まれて。俺はディレッタント(好事家)としか生き得ず、何ら芸術の才がない自分の凡庸さを嘆いて。
 二人は黙ってただ杯を重ねるだけだ。
 外では静かに初秋の夜がふけて行く。
 (終)



コメント(8)

Fly me to the moonを暗くした部屋に流しながら、何度も読ませていただきました。
ぐっときましたね。
情景が目に浮かび、二人のせつない気持ちに自分が絶対的虚無の底でつながっているかのように共振しました。
大人の小説ですね。
この良さは、ある程度の人生経験を積んでからこそ、身につまされるように滲みてくるものだと思います。
少し涼しくなりかけた秋の夜に響いてくる詩でした。
>>[1]
過分なコメントのお言葉を恐縮です。同じようなものしか書けないのですが、マンネリにならないようにしたいと思います。
いつもの鉄板設定のA子さんとまたまたSさんでしたが
>> 俺には何も言えなかった。こんな出来ない俺でごめん。君にふさわしい男でなくてごめん。君を感動させられなくてごめん。

Jさんがこんなこと思ってるのが今回は新鮮でした・・・

>>「Z・・・」で聴いた彼女の歌以上のものを俺は知らない。そんなことを口にしようかと思うが上手く言えない。

いえばいいのに・・・と でもいうと陳腐になってしまうんでしょうね そういう届かない感がなんとなくいい味になってる気がしました。
分かり合えないけどなんとなく引かれてる男女・・と

旦那いないで母親いなければ家にあがりこんじまえるんだ・・・・とJさんの原体験をなんとなく尊敬してます・・・^^
>>[3]
いつもながら、深いコメントありがとうございます。何かが起こるわけでもない話なので、空気の描写だけしかないのですが、「味」を言って頂き、嬉しいです。ありがとうございました。
>>[2]
本当に正直な感想として、多分この作品が今まで読んだJONYさんの作品の中で一番好きです。なんだだかせつなくて感情が揺さぶられます。
>>[5]  
ありがとうございます。文芸部も100回もやって、私も同じようなものを書き続けさせていただき、少数でも読んで下さる方がいらして、感謝しかありません。
自分の才能や立場をわきまえている主人公を尊敬します。
降ってわいた注目の舞台で冷静でいられるところもすごいですね
自分ならすぐ調子に乗ってしまうと思います笑

音楽でも小説でも、それ一本でメシを食い、第一線で活躍している人=真の表現者とつい思いがちですが、そう単純ではないですよね
確かに芸術で食ってる人はすごいですし、音楽や映画などお金のかかる分野になればなるほど、作品そのものにも予算は潤沢にかけられて、大々的な宣伝で認知度も高められますが、果たして東京ドームでライブする人と、100人以下の小さなライブハウスでやる人に、本質的にどれだけ違いがあるのだろうか、と考えてしまいます。
>>[7]
ミュージシャンをはじめとする芸術家も、ほんの1%にも満たない売れている人を別にすれば、芸術に生きようとすれば、(生まれながらの金持ちは別として)カネの苦労は避けられません。美術教師や音楽教師はその点居場所を確保しつつ芸術の「傍(そば)」にいつつ生きるというぬるい生き方で、それは、その人の選択なので、何も言うことはありませんが、自分は、時間が自由になる清掃や警備のアルバイトで食いつなぎながら、金と時間とエネルギーの全てを芸術のために使っている人に出会うとめちゃくちゃ惹かれます。これはそう言う人へ捧げるリスペクトです。

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