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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第百六回 文芸部A 大邦将猛作 「浅草バカ男」 三題噺 「新入社員」「花見」「水面」

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物書き・・・にはなれないが、物を書いていたい。
理由は私自身にはわからない。孤独が私を書き立てるのかもしれない。
物を書く者として街を書くということができてない。
ありもしない赤羽の架空のスナックでありえないおいしい一夜をエンターテインメントで書いたことはあるがそれは街でなくファンタシーを描いていた。
街の歴史を物語として表現してみたいという欲望があるのだ。

自分がもう20数年住み続けたこの浅草を書かずして何を書こう。
だから私は愛するこの浅草をおそらくこよなく愛していた男の話を書こう。そして私はどうしてもその男を愛せなかった


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浅草に住んで22年になる。
社会人になって6年目、初めて転職して新入社員をもう一度やって、九州から関東に戻ってきて
桜見物というか花見をしに浅草にきてみたら、居心地がよかったので決めた。
メトロ銀座線は線路幅の特殊性から終点始点の浅草からも渋谷からも別路線に接続しない。
都内にあって銀座に20分で朝必ず座れる超穴場住まいだった。
吾妻橋あたりの隅田川の水面は美しい。とても気に入った。

移り住んだ当時は松屋デパートはまだ屋上に100円入れると1−2分動くパンダの乗り物があって自分の昭和の子供の時代にタイムスリップしたみたいだった。
またスカイツリーがなかった。現在の東武線スカイツリー駅は業平橋という名前だった。

観光客は今ほど多くなかったが毎週末は浅草寺にテキヤの屋台が出て、いまよりもガラの悪そうな兄ちゃんが店をやり、裏参道には刺青いれた裸でやくざの情婦みたいな女性のカレンダーがみっともなく何種類も表通りの一面に飾られ『美術品販売、入場には見学料申し受けます』・・・となかに怖いおじさんいそうな・・・そんな街だった。

マンションなんだけど、隣は駅前なのにまだ一軒家みたいのがちょこちょこあった。いまはかなり減った。
その一軒家たちは結束が固く、マンションの管理委員会に代表者がきては
「来年町会にだれかはけんしてくれないか」と地域のつながりを求めてきた。
なにをするのかときけば、三社祭のときにお茶出しをするから当番になってほしい・・・と
女性がいいとか・・・

三社祭の時にアスファルトの舗装道路に直ずわりしてるおっさんたちがいるがなんか食って酒飲んでるんだけど
あれになぜ僕らからお茶出し??しかも奥さんでお願いします・・・ていまならすぐにSNSでボロカス言う人がいそうだけど
管理委員会にそのお願いにきたおじいさんは「この町会は江戸時代からつづいておりまして・・・」と誇らしげだ。

三社祭が何の謂れなのかよくわからないし(説明読んだけどますますわからん)
そのときにどっから沸いてきたのかすごい食い込んだふんどしでちんぽはみ出てそうなほとんどわいせつみたいなかっこで刺青したおっさんたちが
浅草にあふれかえる・・・・。

昔江戸ではそうやってまつりで男どもが裸自慢(デブでも自慢)して神輿担いで、終わればご苦労様って酒がふるまわれて
近所の長屋のつづき同志で飲んだんだろう・・。

なにがうれしいのかわからないがこういう人たちからはとなりに突如立ったマンションが何階にどんな人が何人住んでるかわからないということが
気持ち悪くて仕方なかったんじゃないだろうか?
冒頭に述べた如く通勤便利始発駅だから都内通勤に座っていけてしまう。銀座や新橋に20分でいける。
一軒家の街のままいられるわけがない。

伝法院という通りにはいまだに羽織だとか、浮世絵だとかを売ってる江戸時代の長屋形式の店舗が残る。
売り物は今風にコロッケとか苺デザートなんてのもあるが、反物やはぎれガラスの江戸切子と100年以上前から成長もせずおなじことを続けてる
人たちが確かにいる。

松屋デパートは近所のおばさんのアルバイトで食品売り場がうまり、屋上に昭和の子供の乗り物がのこり、
スカイツリーができる前くらいまでは平成でも昭和かあるいは江戸の伝統が残っていたのではないかと思う

そうそこに僕は最後の江戸を見たのだ。そう思えている。

22年前、街中でおどろくほど大きなくしゃみをして「ええい、ちくしょう」とつぶやいてるおじさん、そしてそのころからいるホームレスたち、おばあさんもおじいさんもいる。(20年以上たってるが以前からおじいさんおばあさんに見えてた。不思議とこれ以上老けない。病気にもならないんだろう。)

お江戸は808町というが、続き長屋の近所は鍵もかからず祭りを楽しんだり、隠し事もなく近所と噂話をし尽くしたんだろう。
となりはなにするひとぞというのは気持ちが悪い世界だったのかと。
僕は完全に現代人で隣人に知られたくない秘密を山ほど抱えている。闇も多い。
闇のない人たちの時代が江戸の町人の時代であったろうとおもう。そしてそれは平成前半くらいまでは確かに浅草に生き延びていたのだ。

ここで語りたい悲しい男がいる。
浅草バカ男・・・僕はそう彼を呼んでいた。

22年前、彼は僕のマンションのすぐ近くでクリーニング屋を営んでいた。僕は30代始まったばかり、子供もいない。新婚ではないが新婚二年目くらい。

ほかにないからクリーニングはここ。せまい入り口でいっぱい預かりのクリーニング品をひっかけて彼は奥に座ってた。
嫁さんは「あのクリーニング屋、とにかくのべつ幕なくしゃべってるのよ」と
自分の生い立ちから子供の時に野球選手になりたかった。学校の成績が悪くて高校しか出てない。浅草に来たばかりなのにとなりの中華料理屋さんのおかみさんは昔こんな子だった・・・・。
嫁さんがとりにいけないときに出来上がったクリーニングをとりにいくと僕の苗字が珍しいからか
「あーおおくにさん。おくさんにはいつもお世話になってるよ」
ととにかくしゃべるしゃべる・・・。ほかの客の女性にもまたまたのべつ幕なく彼の身の上と近所の話・・・・。女性は不機嫌そうだ。「いいからはやくできたもんよこせ」と僕にテレパシー能力がついたみたいだった。

ひどいのはさらにあって、街中あるいてると、すなわちクリーニング屋のそとで大通りで僕や嫁さん見つけると
「あーーおおくにさん。この間奥さんを○○で見つけたよ」とか
おんなじこと嫁さんにもいってたらしい。どこどこでアイス食ってたとかプライバシーも何もあったもんじゃない。

嫁さんも僕も彼を「バカ男」とよぶようになった。彼はクリーニング屋やってるときは人の気など意に介せずにいつも上機嫌だった。
話は聞かないというか相手が彼に話してるのを見たこともない。

クリーニング屋に彼がいないときはその母がいたことがある。
彼ほどでないが母も聞いてもないことを話す人で
彼は一度会社に勤めたが続かなかったのだと言っていた。
クリーニングなら預かって業者に渡せばいい。だれでもできる。駅前に土地を持ってたのでこれに賃貸で食える。
息子に嫁はこないだろうと苦笑のように笑いながら語っていたそうだ。
彼は僕よりは痩せていて背も高かった。イケメンとまではいわないが顔もいけてるとおもった。
22年前時点で人格抜きで写真みせたら、僕と彼で彼がいいという女性は10人中10人だとおもう。

一つ通りをはさんだところにクリーニング屋ができて、また松屋デパートにもクリーニング屋が入り、
数か月でバカ男のクリーニング屋は消えた。顧客たちは同じことを考えていたのだ。

クリーニング屋がなくなって数年後、僕と嫁が二人でいるときに長距離から「おーーいおおくにさん」
と声かけてきたことがある。浅草の街中なのだが田原町という隣駅がちかいくらいのところで

無視した・・・というか突然なれなれしくされて不愉快だった。
万事がそんなだから、浅草できっと彼の同級生のような人もさすがに相手できなかったのでないだろうか

台東区は40万の人口を抱えるがまるでそのなかに顔を覚えられる100人くらいのご近所空間とでもいうものがあって
そこに彼は生きているのでないかとおもった。

長屋の一角を店開きして買いに来てくれた人は多分明日も同じものを買いに来てくれた江戸時代なら
みんながみんなこんなだったのかもしれない。はっつあんのでてくる時代劇の長屋のセットを思い出して
「隣の家と構造物としてつながってるんだもんなぁ」と。

しばらく彼を見ない数十年がたった

その間、浅草はめまぐるしく変わった。
外国人が増え、英語、中国語、韓国語も聞こえる。
江戸っぽいかもしれないが人力車の観光サービスが目玉飛び出るような値段で走り回り
体験で着物を着せるサービスに日本のきちんとした和服ファンだったら絶対着ないしょうもない和服をきる外国人と
日本の若いカップル。
スカイツリーができて、スマートボール屋とポルノ映画館がつぶれ(まあ、ネットで無料で無修正だもんな・・・)
外国人向けのホテルがたくさんできた。

そして僕はひさしぶりにバカ男をみた。
彼はエキミセと名前を変えた松屋デパートの洋菓子屋でケーキを買っていた。
そしてなぜかそこで僕はすぐそこに住んでいて・・・と店員に語り掛ける
土地の権利書を見せて、土地があるから生きていけてます・・・。と

目というか耳を疑った。私はなにかを頑張ったとも言わない。持っていると
クリーニングは仕事だったかもしれないがお世辞にも大変と思えない。

久しぶりに見る彼は太ってきていた。すこし腰が曲がり、顔が黒ずんでいた。
ハットをかぶって、暑いのに厚手の毛のようなジャケットを着ていた。あまり清潔そうに見えなかった。
その時点の彼と僕なら10人中10人の女子が僕がましというだろう。(いいとはいわんかもしれんけど)

そしてあろうことか彼はおばあさんがあるけなくなってきたときつかうシルバーカーみたいなの(手押し車)
を押しながら歩いていた。病気なのかもしれない。僕が50過ぎたころだ。彼も同じくらいの年齢だと思う。

しばらく彼がかってのクリーニング屋の前の小さな交差点にシルバーカーを止めてそこに腰を掛けていた。
浅草はますます人通りが増えて朝のラッシュには僕は駅に向かうが、駅からはこの旧クリーニング店前は人が海のように押し寄せる

その人ゴミに立ち向かうように不機嫌そうな顔をして人の流れに逆らうようにシルバーカーにもたれて日を浴びているのだ。
そして昼間も土曜も日曜もかれは雨でなければいつもそこにいた。
僕は・・・自分がかしこいとは思ってないが、人がこれほどバカに見えたことはない。
そしてバカであることがこれほど哀れに思えたこともなかった。他人をバカ呼ばわりすることが失礼なことは重々承知である。
なれなれしくプライバシーを破壊する彼を無視したことが悪いと思ってないが後味が悪いほどに彼はおろかで不憫で
彼を育てた親はひどいと思った。そして覚えてる限り彼の若かりし頃のその母はかなり高齢だったのでおそらく鬼籍に入ってるのだろう。

江戸の長屋の町人は縁側でひなたぼっこをしただろうか・・・・そんなことを思った。
ある日の彼はいつもの立ち位置で人通り少ない時にカバンから書類をだして眺めていた。
あれはデパートで見た権利書じゃないかと思う。

たまに浅草の違うところでもみた。かならず道に面したオープンスペースで一人でなにかを食べたり飲んだりしていた。
座っていて通りを見ている。
彼は本を読まないのだろうか?テレビを見るのでもいい。なぜ家の中にいないのだろうか?不思議でならなかった。

時折思い出しては解釈してしまう。どうでもいいことなのだが不思議なものがあれば理解したいとおもうし、哀れに思うまでくると彼の心の中にあったものはなんなのか気になるのが物書きではないか?

彼は江戸の町人の最後の生き残りだったのじゃないかと思う。
近所はみんな友達、目的のないおしゃべりが最大の娯楽、金は天下の回りものでがむしゃらに稼ぐものでない。宵越しの金持たない
マンション管理委員会に乗り込んできたおじいさんと心は同じだ。
プライバシーへったくれ、なんでもしゃべる。自分のことも他人のことも。
彼なら「あーーーおくさーーん、この間旦那さんが綺麗な女の人とデレデレしてたよーーー」と思考もなく言うだろう。

土地の権利書をカバンに抱えながら浅草の江戸の残像を破壊する人の波に向ってただ居座ったんだろう。
庭の縁側で茶をすする老人のように。江戸の長屋は通りが庭だから。クリーニング屋はいまはよくわからないマッサージ屋になっている。
いまもバカ男の所有で賃貸なのかもしれない、そのすぐ前でバカ男はモーゼが紅海を割るように人ごみに立ち向かっていた。

そしてコロナのあとくらいに彼をみなくなり、浅草の一つの歴史を見終えたのだと感じている。
令和という時代はもう江戸時代を忘れ去ったと言っていいだろう。

これが僕の見た浅草という幻燈です。

コメント(2)

変わりゆく浅草と変わらない浅草の混在がこのエリアの独自の空気を作っていて、こんな独特の場所ほかには無いです。そこに一人の変わらない浅草のバカ男。でも寺や川と違って人はすぐに無くなる。江戸をかすかに残す一つがまた消えた感慨がとても共感できます。
>>[1] ありがとうございます。
彼が今どうなってるのかわからないのですが(失礼承知でもうこの世からいなくなったのかも=病気)
彼本人はつねに能天気でいいひとだったのかなと思ってます。
江戸っ子ってみんなあんな感じだったのかなと
最後は彼は激しい孤独を抱きながら、彼の浅草を破壊する人ごみに権利書握りしめて「ここは俺の育った街だ。」と立ちむかってたんだろうなと思ってます。
ハッピーエンドにしてあげられなかったけど僕なりに彼と浅草を理解しようと努めました。

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